【イベント報告】第1回HIROSHIMAピーストーク -アフガニスタン編-

2016年10月14日

今年の第1回はアフガニスタン編

10月1日(土)に今年度第1回のHIROSHIMAピーストークを竹屋公民館で開催しました。広島の皆さんに紛争経験国の研修員と一緒に平和について考えてもらいたいとして、昨年から始まったこのイベント。今回はアフガニスタン編です。中学生、高校生、大学生など学生7人と市民24人、合わせて31人の参加者が集まりました。
アフガニスタンでは、1979年のソ連軍侵攻前後から現在のアフガニスタンの状況に繋がる紛争が始まっており、今も国の状況は不安定です。そのアフガニスタンから、広島大学に留学中にJICA研修員3名が「広島の皆さんにアフガニスタンのことをもっと知って欲しい」と、自分の体験を話しました。

実は、魅力いっぱいのアフガニスタン

「アフガニスタンの魅力も知ってほしい」と名所や名物の紹介をするマルーフさん

イベントは、3部構成で行われ、第1部ではマルーフさんがアフガニスタンの概要について話をしました。
観光名所、きらびやかな民族衣装においしそうな郷土料理や名産の果物など、色鮮やかな写真とマルーフさんの話に、参加者は「へぇー」と驚きながらも魅了されていました。「アフガニスタンというと、テレビや新聞で目にする紛争のイメージが強かったですが、こんなにおいしそうな食べ物があったり、素敵な観光名所があったりするとは知りませんでした。」と参加者からコメントがありました。

マルーフさんの証言 −祖国への愛−

マルーフさんの話を、熱心に聞く日本人参加者

第2部では、3人の研修員が、ぞれぞれの紛争体験談を語りました。
一番手は、先ほどのマルーフさんが再び登場。マルーフさんは、アフガニスタンの紛争がなぜ起こったのかという歴史的、政治的な話も交えつつ、自身の経験を語りました。3歳の頃にソ連との軍事衝突が始まったこと、戦闘が激しくなったので、5歳の頃には家族とパキスタンに避難したことなど自身の体験談として話してくれました。マルーフさんは、「アフガニスタン人は、日本人と同様、平和を愛する心を持っています。しかし、ずっと戦争状態にあるため、アフガニスタン人は世界の平和構築や人道支援活動にも参加できずにいます。アフガニスタンに対する日本の支援に感謝するとともに、アフガニスタンに1日も早く平和が訪れ、世界の平和構築を支援できる国となることを願っています。」と話を締めくくりました。マルーフさんの言葉からは祖国アフガニスタンへの愛がひしひしと感じられました。

カパルワクさんの証言 −家族との絆−

優しい表情で、紛争を共に乗り越えた家族への思いを語るカパルワクさん

続いての語り手はカパルワクさんです。カパルワクさんの体験談は家族との話が中心でした。彼の父親が大学二年生の時に戦争が始まり、彼自身はパキスタンの難民キャンプで生まれたそうです。その後、中学生の頃に、ソ連撤退を機に家族でアフガニスタンへ戻りましたが、経済状況はかなり悪く、そんな中、お兄さんが病気になりますが、病院の多くは戦争で破壊されたため、満足な診断や治療が受けられない状態。家族の財産のほぼ全てを治療に投じましたが、ガンを患っていたお兄さんは亡くなってしまいました。その後、兄弟みんなで助け合いながら生活し、タリバン支配下で退学・結婚をするしかなかったお姉さん以外は、みんな学校に通い、それぞれのキャリアを築いているそうです。
カパルワクさんは、体験談の最後に「今、両親は良い教育を受け、立派に仕事をしている子供たちをとても誇らしく思っています。家族みんなで助け合い、教育を受け続けることができ、私たちはとても幸運でしたし、幸せです。でも、今でもガンで亡くなった兄のことは忘れられません。戦争がなければ、助かっていたかもしれません。」と語りました。カパルワクさんの体験談は、家族への想いにあふれていました。

アマノラさんの証言 −九死に一生−

武装勢力に拘束された生々しい体験を語るアマノラさん

三番手はアマノラさんです。アマノラさんは、6歳の時に家族とイランへ避難し、大学卒業までイランで過ごしました。4年前、大学卒業を機に両親とアフガニスタンに戻った彼は、道端にあふれる小さな子どもを連れた未亡人や、街中で聞こえる爆発音、学校にも行けずに働く幼い子どもたちにとてもショックを受けたそうです。
そして、その後彼が語ってくれた体験談に、参加者も大きなショックを受けました。アマノラさんは3年前、危篤の叔父さんに一目会いたいというお父さんを連れて、首都カブールから故郷の村に向かいました。首都から地方へ繋がる道路は、武装したゲリラ兵が出ることで知られ、首都に住む人たちは、みんな地方へ向かう道路を怖がっているそうです。小さなバンの乗り合いタクシーに乗って、お父さんや他の乗客と村へ向かう途中、アマノラさんたちが乗ったバンは、政府軍を装った武装勢力に襲われました。運転手はその場で射殺され、乗客はみんな手を縛られ、目隠しをされ、どこかに連れていかれました。アマノラさんはカダーさんという若者と2人、小さな部屋に投げ込まれました。2人でいろいろな話をしながら、「夜が明けたら殺される。どうせ死ぬなら最後まで2人で抵抗しよう。」と決意しました。夜明けをつげる鶏の声がした時、大きな爆発音がして戦闘が始まり、アマノラさんとカダーさんは政府軍によって救出され、お父さんとも再会できたそうです。
しかし、話はそこで終わりませんでした。彼を助けてくれた政府軍は、その1年後、武装勢力との戦闘で、全員戦死しました。さらに、彼と一緒に救出されたカダーさんはその後結婚しましたが、結婚から1年後、自爆テロに巻き込まれて亡くなりました。
アマノラさんは、「あのとき死んでいても不思議じゃなかった。でも、僕はたくさんの幸運のおかげで、今、日本で勉強できています。でも、僕の後ろには、多くの死んでしまった人たちがいます。このことを忘れてはいけません。亡くなった全ての人たちに、神のご加護と安らぎがあることを願っています。」と話しました。

私たちに出来ることとは?

たくさんの意見が飛び交ったグループディスカッション

最後に、第3部では、少人数のグループに分かれて、「アフガニスタンのために、出来ること」と「日本が平和な国であり続けるために、出来ること」について、グループディスカッションをしました。参加者からは、「今日のような機会があることが大切。そして、機会を作るためには、興味を持つ人を増やすことが大切。まずは、SNSなどで、家族や友人に今日聞いた話を伝えたい。」「今日話をしてくれた研修員の子どもが、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭にかぶる布)をつけているため、学校でいじめられたり、教師からもヒジャブをとるよう言われたらしい。まずは、教育の場から多様性を認め合うことが大切だと思う」といった意見が出されました。
また、参加者から多く出たのは、「アフガニスタンの方と会って、本人から生の話が聞けたのが良かった」というコメントでした。紛争経験国から来日した人と会う機会はなかなかなく、機会があったとしても、紛争体験はなかなか尋ねにくいものではないでしょうか。HIROSHIMAピーストークでは、これからも、紛争経験国から来日した研修員本人から、証言を聞ける場を提供したいと考えています。
次回は、10月22日(土)に広島経済大学興動館でカンボジア出身の留学生をゲストに迎えて開催予定です。ぜひお越しください。