【イベント報告】第3回HIROSHIMAピーストーク −ルワンダ編−

2016年12月21日

第3回はルワンダ編

今年3回目となるHIROSHIMAピーストークを12月3日に安田女子大学で開催しました。今年度最終回となる今回はルワンダ編です。JICA中国には開発途上国から国づくりの基礎を学びに日本に来ている研修員がいます。その中でも紛争経験国の研修員と一緒に市民が平和について語り合うこのイベント。今回は安田女子大学のご協力の下、多くの学生をはじめ、高校生や社会人など、合わせて38名の参加者が安田女子大学の素敵なキャンパスに集まりました。

東アフリカに位置する小さな内陸国、ルワンダ。この国でわずか22年前に起こった出来事を正確に知っている人はどれだけいるでしょうか?かつてのルワンダは統一国家としてとても平穏な日々を送っていました。しかし、ベルギー領時代には理不尽な方法で国民を民族として区別し、差別化するシステムが導入され、民族間の差別意識が植えつけられてしまいました。その結果、1994年、およそ100日の間に100万人もの命が失われたと言われる民族同士の大虐殺(ジェノサイド)が引き起こされました。人間が生み出してしまった悲しい歴史を乗り越え、今では「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの急成長を見せるルワンダは、どのようにして復興への道を歩んだのか。ルワンダ出身の研修員が語ってくれました。

アフリカの奇跡 ルワンダ

ルワンダの首都キガリを紹介するルイスさん

最初に研修員のルイスさんがルワンダの概要について多くの写真を織り交ぜながら説明しました。国立公園で出会える野生動物や、伝統的なダンスは美しく見る人を惹きつけます。そんな写真に続いて都市部の写真も見せてくれました。緑豊かなルワンダは農業国である一方で、首都のキガリには高層ビルが立ち並んでいます。「ルワンダは農村地域ばかりじゃないですよ。広島には劣るかもしれないけれど、クリーン(清潔)でグリーン(緑豊か)に発展している首都キガリもあります。」と、ユーモアを交えて紹介。現在のルワンダの姿からは22年前に起った悲劇を想像するのは難しいほどです。ルイスさんはこのように国の説明を締めくくりました。「広島の人にもぜひルワンダに来て、見て、経験してほしい。そして今のルワンダの姿を日本の皆さんに伝えてほしいです。」

大虐殺(ジェノサイド)にいたるまで

参加者の目を見て、1つ1つ丁寧に話をするボスコさん

研修員の話にじっと聞き入る参加者

現在のルワンダについてイメージができたところで、ボスコさんがルワンダの大虐殺の歴史を語りました。なぜ大虐殺に至ってしまったのか。その経緯を分かりやすくするため、植民地化前・植民地時代・独立後・大虐殺・その後の復興の5つのパートに分けて、丁寧に説明をしました。

ルワンダにはかつて、主に3つの部族、ツチ・フツ・トゥワがいました。ツチは遊牧を、フツは農耕を、トゥワは狩猟を生業としており、ツチ出身の王の下、同一の言語と文化を分かち合う平和な統一国家でした。

第二次世界大戦後、ルワンダはベルギー領となり、状況は一変します。ベルギーによって、同じルワンダ人同士が「民族」に分類され始めたのです。それも、「鼻の高さ」や「顔の細長さ」など、身体的特徴を中心とした方法によってです。「皆同じ国民ですよ?例えば、あなたとあなたが分けられるのです。何が違うと言うのでしょうか?」そうボスコさんは訴えました。それまではツチ・フツ・トゥワは「民族」の違いではなく、単なる社会階級のようなものであったはずなのに。

ベルギー統治下では民族別身分証明書(ID証明書)が発行され、元々国家を治めていたツチをベルギーが優遇することで、国民間の民族差別は強化されていきます。ベルギーの狙いは、何だったのでしょうか?それは、民族間の溝を深めることで統一された国家を分断し、国力を弱めることにありました。ベルギーの思惑通り、フツの反抗心は大いに掻き立てられ、フツによるツチの殺害も起きたため、残されたツチの多くは隣国へ逃れました。この時に作られてしまった民族差別意識は、国家独立後もくすぶり続けることになるのです。

1962年の独立後はフツを中心とした政治体制が形成されていきました。国外へ逃れたツチはルワンダ愛国戦線を形成し、母国への帰還を求めたものの認められず、本国への攻撃を行います。このようにして、フツもまた、ツチへの嫌悪感・憎しみを大きく募らせていくことになりました。

そして1994年4月6日。フツの大統領が何者かに殺害されてしまった事件を皮切りに、フツによる本格的な大虐殺が始まったのです。100日間で100万人以上のツチや、虐殺に反対した穏健派フツが殺されたと言われています。虐殺に加担したのは兵士だけではなく、それまで隣人であった人々も含まれていました。想像を絶する恐怖がそこにはありました。およそ100日に及ぶ悲惨な虐殺は、ルワンダ愛国戦線の勝利により終結を迎えました。

明るい未来へ

ジェノサイド終結後、ルワンダは国を挙げて国民同士の団結と和解をすすめ、復興に向けて歩み始めました。司法制度を整え、学校やコミュニティにおける平和教育を導入し、国の発展と、国民の幸福のための取り組みに全力を注いだのです。反省をし、許し合うこと。個人の価値と尊厳を守ること。生き残った人の心と身体を支え合うこと。未来へ希望を持ち、ルワンダ人としての誇りを持つこと。何よりも、こういった国民一人ひとりの努力が底力となり、「アフリカの奇跡」を支えました。

ボスコさんは言います。「こんな資源も何もない小さな国でも、悲劇を乗り越え、平和を築くことができたのです。どこの国にだってできます。」ボスコさんとルイスさんは以前こんなことも話していました。「僕たちの一番のメッセージは、『国民が分かれて、殺し合って、ボロボロになっても、再構築はできる』ということだ。Effort makes matters.(努力が状況を動かす)」と。

今、何を思いますか?

参加者の疑問をくみ取るナディネさん

研修員からの説明の後、参加者が研修員に直接疑問や思いをぶつけ、意見交換する時間を設けました。発表したボスコさんとルイスさん以外に、応援にかけつけてくれた3名のルワンダ人研修員(ナディネさん、バレンスさん、ミチョさん)もそれぞれグループに入ってもらいました。話を聞いてもやはりピンとこなかったり、呑み込めないことがたくさんあったりする参加者に対して、各研修員が一つ一つ丁寧に答えていきます。

ほとんどのグループで挙がった質問の1つが、「ルワンダの人々は、どの人がどの部族出身なのか、分かるのですか?」というものでした。よくある質問なのでしょう。研修員はひと呼吸おいて答えます。「大虐殺後は民族による分類は存在しないんだ。そもそも、ツチ・フツ・トゥワの3部族は元々社会階級に相当するようなもので、どこの国にもあるような違いのみだったんだよ。」参加者はこの説明を聞いて、植民地時代に築かれた民族区別の事の重大さを悟ったようでした。

日本との相違点について話をするバレンスさん

自分が子どものころに受けた教育について話すミチョさん

質疑応答の後は、ワークシートを使って各々の気持ちを整理する時間を取りました。全体での意見共有の時間にはこのようなコメントが挙がりました。
「広島とルワンダの歴史は似ている所があると思っていたが、広島の場合は違う国の者同士が殺し合い、ルワンダは同じルワンダ人同士で殺し合ったというのは大きな違いだと学んだ。」
「研修員から、『日本は平和な国です。でもそれは、当たり前のことではないんです。日本の平和を国内に留めるのではなく、もっと世界へ発信するべきだ。』という話をされ、世界へ発信していくことの大切さに気付いた。」

今回ピーストークに来なければ感じることが無かったかもしれない思いを、抱えた参加者も多くいたようです。日常生活の中では紛争や平和について学んだり考えたりする機会は、いったいどのくらいあるでしょうか?一度立ち止まって「平和」について考えを巡らせる機会として、JICA中国ではこれからもHIROSHIMAピーストークを開催していきます。一緒に何かを感じてみませんか。