【広島とアフリカ】カープ流の育成 脈々と

2019年8月19日

     

【画像】JICA南スーダン事務所長
友成 晋也
2019年6月9日(日) 中國新聞SELECT掲載

※中国新聞社の許諾を得ています

コーチ研修生として大野寮でのキャンプに参加したマノマさん=右から2人目(2004年11月)

「このバッティンググローブは僕の親友、クリハラにもらったものです」。野球のガーナ代表チームで4番を打っていた故ポール・マノマ選手が2004年、広島東洋カープの秋季キャンプにコーチ研修生として参加していた時にうれしそうに見せてくれた。廿日市市の大野寮でのことだ。クリハラとはもちろん、後にブレークした栗原健太選手のことである。

ガーナに赴任中、1997年から3年間、仕事の傍ら同チームの監督をやっていた。私は40年来のカープファン。チームの方針を「カープ型の頭を使った機動力野球」と定め、ユニフォームの色もカープと同じ「赤」にした。

80年代のカープ黄金時代の印象を念頭に、弱く粗削りなガーナチームの強化策として、組織的で緻密な野球を追求した。その結果、シドニー五輪のアフリカ予選では、初出場ながら準決勝まで駒を進めた。

帰国後の03年、ひょんなことからカープの松田元オーナーとお会いする機会を得た。ガーナ野球の発展のため、ガーナ人の指導者を養成したいと話すと「なんとかしたるけん。カープは人づくりの球団じゃけえの」とオーナー。

当時、カープの成績は低迷し、球団経営は決して順調ではなかったはずだ。にもかかわらず、資金を工面して、ガーナから選手を招き、練習に帯同させてくれた。それがポールだった。

彼は帰国後、カープで学んだことを生かし、多くの選手を育てた。残念ながら7年前に早世してしまったが、彼の教え子たちが遺志を継ぎ、さらに次の世代を育てている。今年4月には、東京オリンピックの西アフリカ予選を戦った。強豪ナイジェリアにサヨナラ負けしたが、しっかり野球が根付いている喜びをかみしめた。


JICA南スーダン事務所長 友成晋也さん
ともなり・しんや
東京都出身。慶応大卒。不動産会社勤務を経て国際協力機構(JICA)へ。ガーナ事務所在勤中、ガーナ野球代表チーム監督としても活躍した。2018年から現職。1977年以来のカープファン。プライベートではNPO法人アフリカ野球友の会代表理事も務める。著書にガーナ野球を描いた『アフリカと白球』(文芸社)