【広島とアフリカ】「平和が一番」思い同じ

2019年9月9日

【画像】JICA中国 市民参加協力課
山本 主税
2019年7月7日(日) 中國新聞SELECT掲載

※中国新聞社の許諾を得ています

王子など一部の者しか身に着けられない帽子をかぶりもみくちゃにされている様子(2015年3月)

2013年、私はカメルーンの小さな村の借家で立ち尽くしていた。上下水道は通っておらず、電柱は3か月前に風で倒れ、電気もない。青年海外協力隊として初めて村を訪れた日のことだった。

前職の農業経験を生かした活動を提案したが「農業は求めていない」とにべもない。なりふり構わず身ぶり手ぶりで人々と会話をするなか、安全な飲み水がないことが見えてきた。

村人は中心部から約15分離れた崖下の湧き水を飲んでいた。雨期には水質が変わり、家畜も同じ水を使う。乳幼児もだ。おなかを壊し、脱水症状に陥り、そのまま目覚めない子もいた。

村の中心にはポンプ式深井戸があった。しかし、3年前に故障。大人の年収分もの費用がかかると、修理しようとする者はなかった。首都から技術者を呼び、部品開発に当たった。村人と修理組合を設立するなどして、修理費を従来の20分の1まで削減。近隣地域の井戸も修理した。

2年の任期が終わるころ、村長に呼ばれた。村の安定的な飲料水確保に貢献したため「王子」の称号を授けるとのことだった。人々は喜び、踊ってくれた。特定の人にしか許されない柄の帽子と「ンズゥ」という名前ももらった。第二の故郷ができた。

私が広島から来たと話すと、いつもはにぎやかな彼らがそろって神妙な顔をしていたのを思い出す。学校で原爆について学ぶものの、その後については知らず、いまだ廃虚のままという印象を持っているようだった。

祖父の被爆や復興の歩み、今は緑にあふれていて、人口も首都ヤウンデよりも多いと伝えると驚きと安堵の表情を浮かべていた。「やっぱり平和が一番」。カメルーン人も広島の人々も、たどり着く思いは同じだ。


国際協力機構中国センター(JICA中国) 山本主税さん
やまもと・ちから
広島市西区出身。京都嵯峨芸術大を卒業後、デザイナー、農業生産法人勤務を経て青年海外協力隊へ。国際移住機関(IOM)チャド事務所で勤務後、2017年6月より現職。非政府組織(NGO)や地方自治体の国際協力推進に取り組む。カメルーン共和国西部州バントゥム村王子。