JICA研修員と話すHIROSHIMAピーストーク ーモザンビークの車窓からー

2022年12月6日

馴染みのない国「モザンビーク」

モザンビークの印象について思いつくものを書いていく参加者

 11月19日(土)に広島平和記念資料館にてHIROSHIMAピーストーク「モザンビークの車窓から」を開催し、20名の方が参加してくださいました。HIROSHIMAピーストークとは、平和への意識が高い広島県において、紛争の経験国から来たJICA研修員が、自身の国の概要や体験談を紹介し、参加者と一緒に平和について考えることを目的としたイベントで、2015年に初めて開催して以来、今回の「モザンビーク編」で14回目の開催となります。
 今回のゲストスピーカーであるJICA研修員、タメレさんは、モザンビーク出身。「モザンビーク」と「紛争」のイメージが結びつく方はそれほど多くはないかもしれませんが、ご自身が経験した内戦の記憶から、現在、広島大学大学院で国際平和共生プログラムを学んでいます。そんなタメレさんに今回のイベントの目的を伝えた際、スピーカーとして自身の体験を共有することを快諾してくれました。「私は国で教師をしていました。人前で話をすることは得意です、任せて!」と、とても頼もしいタメレさん。まずは参加者がモザンビークという国にどんな印象を頂いているか知りたいとのことで、イベントの冒頭で聞いてみることにしました。「アフリカのどこか、ということしか知りません。」「知らなかった。名前も初めて聞きました。」等の回答からも、参加者にとって馴染みのない国であることが分かります。「そうですよね、だからこそ今日私の話を聞いてほしいのです。」とタメレさんの言葉に力が入ります。

幼少期の実体験

幼少期のエピソードを語るタメレさん。

 「私が6歳のとき、兵士が通り過ぎるのを車の下に隠れてじっと待っていました。」タメレさんが自身の体験を語り始めると、会場は少し緊張した雰囲気に包まれました。「庭になっていたバナナの茂みに隠れて、兵士を見ていたのは7歳の時です。」どのエピソードもとてもリアルで、耳を傾ける参加者の中には時折顔をしかめながら聞いている方もいらっしゃいました。このイベントのタイトルでもある、幼少期のタメレさんが列車に乗っていた時のエピソードは特に印象的で、母親の田舎へ向かう列車の中(列車と言っても、屋根も座席もない、コンテナのような状態)で、タメレ少年は銃声を聞きました。外の様子を見ようと頭を出すと、列車の外から反乱軍が攻撃していたとのことです。彼から語られる思い出は、時に深く参加者の心に響きました。
 「この映像をみてください。」とタメレさんは参加者の目線をスクリーンへ促します。「The train of salt and sugar(塩と砂糖の列車)」という内戦中のモザンビークを描いた作品では、タメレさんが幼少期に見たという列車からの景色そのままを見られるということで一部抜粋して紹介しました。映画はフィクションですが、乗客の目の前で繰り広げられる銃撃戦や、旅の途中で亡くなった犠牲者が道中で埋められる様子などは言葉で聞くよりも、より鮮明に想像することができ、タメレさんの実体験に思いを馳せた参加者が多くいたことと思います。

平和構築のためのディスカッション

タメレさんが参加者とディスカッションをする様子。

 タメレさんが参加者に聞いてみたいという問いが、もうひとつありました。それは「平和構築のためにあなたは何から始めますか?」ということです。こちらをテーマに参加者は3グループに分かれて、ディスカッションを行いました。今回の参加者の中には広島県内の留学生もおり、日本人の意見だけではなくインドネシアやフィリピンの学生からの考えも飛び交い、国際的なディスカッションとなりました。留学生からは「とても有益で目を見張るものだった。平和について理解が深まった。」と感想も頂きました。「若い世代への教育」、「広島県民として、平和の重要性を訴えること」など、様々な視点から意見が出ました。平和について考える意見交換ができ、有意義な時間となったようでした。

タメレさんの思い

 参加者の意見を受けてタメレさんが締めくくります。「平和構築のためにひとりひとりが考え、共有したことには意味があります。モザンビークという、馴染みのなかった国や私の体験を知ったことで、みなさんが平和について改めて考えてくださり、感謝しています。私はこれからも世界の平和に貢献するため、自身の体験を共有しつづけます。」昨今の世界情勢で、平和について考える機会が増えた方々も多いでしょう。その考えを発信・共有するきっかけとして、タメレさんのお話が皆さんの心に残っていることを願います。ご参加いただき、ありがとうございました。