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海外でマイノリティ体験をした教員だから伝えられること(東京都立水元特別支援学校)

2019年5月28日

“分からない”に戸惑う子供たちの気持ちが、ドミニカ共和国で分かりました

カリブ海に浮かぶ島国、ドミニカ共和国で公立学校(初等・中等教育)で、通常学級における特別支援教育の向上のために活動した三條先生。元々は海外志向はなかったが、海外協力隊経験者からすすめられ応募。ドミニカ共和個には美しい海があり、発展している都心部にはラグジュアリーなリゾート施設もあり、『途上国』にもっていたイメージが一変した、という。

「途上国ってどんなイメージがありますか?」

バチャータ曲が流れる職員室で、明るい声が響く。
ここ水元特別支援学校に、二年ぶりに戻ってきた三條美紀先生だ。
青年海外協力隊の「現職教員参加特別制度」を利用し、教員としての身分を保持したまま、カリブ海に浮かぶドミニカ共和国での活動をしてきた三條先生。帰国後、復帰二日目にして実施した『活動報告会』は、突然の質問から始まった。
同僚の先生方が戸惑いながら答える。

「えっと……水が大変そう?」
「建物が……アレな……」

三條先生は、こう答えた。

「私もそう思っていたんです。
けれど見て下さい!ドミニカ共和国ってこんなに果物が豊富で、食べ物もおいしくて……10キロ太りました。台風で停電があったり、水事情はよくないものの、携帯電話は皆が持っていたし、wifiは日本より普及しているように思います」

職員室で映し出されるドミニカ共和国の写真や動画に、聞き手の先生方一同くぎ付け。続いて仕事の様子が語られる。

「ドミニカ共和国において“特別支援教育”は、一般にも先生方にも認知度は低い状況にあります。そのため、生徒に適切な配慮が行き届かないことも多々あります。
私の活動先の学校は、他のほとんどの学校がそうであるように“特別支援学級”などはなく、クラスに様々な特性を持つ生徒がいました。そこで、クラスの中で支援が必要な子がいるかアンケートをとって、特徴に合わせた個別指導や、支援方法を考えたり、現地の先生方と一緒に考え、取り組みました。
というと、難しく聞こえるかもしれませんが、『教室に時間割を貼る』とか『具体物(授業の教具)を作る』とか、日本では当たり前なことだったりします。時間割のおかげで子ども達が行動管理できるようになったり、教具があるから理解度が伸びたり……子どもの成長を見て、ドミニカ共和国の先生方も取り入れたり、何かあると相談してくれるようになりました。いやぁ、日本の教育環境って本当にすばらしいものですね!
ただ、そもそもの生活習慣も価値観が異なるので『日本式が正しい』と押し付けるのではなく『日本ではこういうやり方もあるよ』というふうに、相手の考え・やり方を否定せずに進めました」

笑顔で語る三條先生も、初めから全て上手くいったわけではない。

「赴任直後、仕事らしい仕事なんてない、同僚からも頼られない、頼られたところでスペイン語がよく分からない、向こうのやり方も分からない。
そんな状況で唯一私ができた仕事、それは……

『掃除』でした(一同笑)

ゴミがあったら拾うっていう単純な作業だし、やれば褒められるし、言葉いらないし、いいんですよ~。そして毎日掃除に励みながら、気づきました。日本の学校でも、分からない環境、慣れないやり方にぶつかった時に、一見関係ないような、自分ができることを黙々とやっていた子たちがいたなって。
あの子たちの気持ちが、よく分かったように思います。

こんなこともありました。ドミニカ共和国で街を歩くと『チーナ、チニータ』って呼ばれるんです。意味は『中国人』です。『中国語をしゃべって』とも何度も言われました。
違う、私は日本人だ! と腹立たしく思いました。
でも、皆さんは「ドミニカ共和国人」とその隣の国「ハイチ人」の見分けがつきます? それぞれが何語を話すか知ってます? 分からないですよね、私自身も世界のこと全部分かっているわけではないのに、相手には日本を分かっていてほしい、とお門違いな期待していることに気づきました。
それから『○○人』と呼ばれるのではなく、『ミキ』と呼ばれ『個人』として扱われるとホッとすることにも気が付きました」

語りに引き込まれ、あっという間に45分が経過。その後の質疑応答時間にも、質問の手が止まらなかった。でもここは日本、終了時間は守らねば…と、三條先生は最後にこうしめくくった。

「今日は色々話しましたが……海外での活動を通じて痛感しました、日本で働いている皆さんはすごいです。本当に心からそう思います」

私だから伝えられることがあるのでは

齋藤校長(右)はご自身も20数年前にサモアの学校にて国際協力活動をしていたという。河辺先生(左)も10数年前にネパールにて協力隊に参加しており、様々な地域での国際協力経験者が集う水元特別支援学校。

活動報告が実施されたのは3月27日。3月末に帰国してから1週間もたたずにの発表だった。なぜ生活が落ち着いてからではなく、帰国後の今なのか。そこには三條先生の強いこだわりがあった。

「4月からも元々の所属校で働くと決まった時、絶対に3月中にやろう、と思ったんです。異動前、自分を知る同僚が水元にいる間に自分の経験を伝えたい、と。
青年海外協力隊経験って、途上国で活躍してきた綺麗な話と思われるかもしれないけれど、実際には向こうで『外国人≒マイノリティ』として暮らすことからの忍耐や、学びの部分も大きくあります。そういう話を、私のことを知っている方々には私の口から伝えたいな、と。

協力隊の現職教員参加の場合、元の職場に戻ることなく異動という場合もあるのですが、アットホームな元の職場に戻ってこれた私は『私の話だから響く先生方』に『帰国したての今だから、経験が美化されてないからこそ』の話が伝えられるんじゃないかなって」

最後まで笑顔を絶やさない三條先生。この活動報告の準備は、帰国前2週間ほど前からはじめた。一度出来上がったものを、隊員友達に見せたところ「そんな綺麗な事務的報告じゃなくて、もっと自分の言いたいことを言えばいいじゃん!」と言われ、大幅に作り直したという。さらに、帰国後出勤初日に、かつての同僚に話してみたところ「年度末の忙しい時期だから、真面目で堅いのはやだな」と率直な助言を受けた。真面目すぎるものを作ったつもりはなかった。自分にとっては『普通』の感覚の途上国や国際協力の話は、日本にいる先生方には堅く聞こえるのか、2年の間に日本の現場と自分の感覚にギャップが生じているのか、と実感しながら、発表前日にしてさらに作り直したという。

「これから日本のやり方にちゃんと復帰できるか不安はあります。初日から、協力隊活動をしていた自分の頭の中と、日本の学校現場の頭の中のギャップを感じることもありました。でも、そのような中、こうして話させていただける機会をもらえたことは、本当に有難いことです」

活動報告後、校長先生と「児童にも学校給食を通じた異文化体験ができるのでは?」などと、早速新年度の国際理解教育の取り組みが話し合われ始めていた。


報告:JICA広報室地球ひろば推進課 八星真里子

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