国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

高校の部 入選

私が考える行動

茨城県立取手松陽高等学校 三年
高岡 優菜

「こっちに来て。早く一緒に遊ぼうよ。」言葉は分からないが、まるでそう言っているように私の手を少年は引っ張った。細い腕だった。しかし瞳が大きく、キラキラと輝いていて、太陽みたいな子だと思った。

夏休みに高校生一〇人で行くカンボジアスタディーツアーも四日目。旅の疲労を感じていた私達に、孤児院「希望の家」の子供達は休ませる暇を与えてくれなかった。六歳から二〇歳までの約二〇人が、ここで一緒に生活をしている。暑さにくらくらしそうな気温の中でも、バレーボールにバドミントン、カンボジアの子供達は疲れを知らない様に、日が暮れるまで遊び回る。その印象はとにかく元気で、そして素直、ひたむき。ここが孤児院だという事を忘れさせるくらい、みんな明るかった。

私の手を引っ張った少年は、九歳だと自己紹介した。日本の子供と比べると、足も細く、抱き上げるととても軽い。しかし運動神経は抜群で、日本から持って来た羽子板での羽つきも、すぐ修得していた。実際に自分達で切った布から作られた布ボールのプレゼントを、少年はとびっきりの笑顔で喜んだ。私は感激した。こんなに喜んでくれるなら、いくらでも届けたいと思った。私はその少年の笑顔が忘れられない。日本にあんな顔をして笑う子供がいるだろうか。

「とても元気だったでしょう。私達は子供達に、自分の事は自分でできるような子供になってもらいたいと考えているんです。」そう語ったのは、幼い難民を救う会で活動されている、山際さんだ。山際さんとの意見交換会で、考えさせられた事がある。ボランティアと人の在り方だ。幼い難民を救う会は、オーストラリアから、ほとんど生ゴミに近い大量の離乳食を送られて来た事があるそうだ。その話を聞き、私も少し耳が痛い思いをした。私も今回、使い古しのぬいぐるみやいらなくなったおもちゃを、まるでリサイクルショップに持って行くように子供達にプレゼントしたが、もし自分がその立場だったらどうだろう。私だったら使い古しのものより、新品のおもちゃの方がいいはずだ。どうも私は、思いやりのふりをして、結局はカンボジアを対等に見ていなかったのだと思う。この話を聞かなかったら、自分がカンボジアを上から見ていたことも気付かなかったであろうと思う。あの少年の笑顔が、更に違う意味を持って私の頭から離れなかった。

私は帰国後、私がカンボジアの子供達のために、あの少年の太陽のような笑顔を枯らさないために、日本で何ができるのか考えた。実際にカンボジアの子供達と接して、まだまだ私から見ていたらない部分があった。子供達の着ている服は古着で、ボロボロの服を着ている子供が目に付いた。そして子供達はとても勉強熱心で、意欲も高く、まだまだ子供達が充分に勉強できる道具等がそろっていないのが現状だ。私はこの体験をたくさんの人に話した。日本の人はカンボジアの事を知らなすぎている。地球の中にはもっともっと援助を必要としている人がいるのに、無関心にお釣りが邪魔だから募金をする人を見て、もっと周りに私の体験や感じたことを伝えて、募金はなぜ必要なのか、どう使われるかを知ってもらい、意味を持って募金をして欲しかった。私は今度、大学の学生にこの体験を話す機会がある。そこでもたくさんの人に、カンボジアの事や子供達の事を知ってもらいたい。

こんな私のささいな行動は、子供達に大きく関わらないかもしれない。だけど続ける事によって、広める事によって、大きな力になると信じている。私は今日も、あの少年の笑顔を思い出しながら、今月の漫画を我慢して募金をしている。少年の笑顔を枯らさないために。役立つ事を思い浮かべながら。

プログラム紹介