国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

高校の部 入選

私にできること

佐賀県立佐賀西高等学校 一年
秀島 瑞季

平和な世界が来る日は近いのか。そもそも、平和とは何であるのか。よく、平和という言葉を耳にする。そして、幼い頃から、何度も平和について学んできた。しかし、目に見えないものほど難しいものはないと言うように、私には、平和であることと、平和でないこととの区別がつかない。そこで、平和の意味を辞書で調べた。辞書によると「安らかにやわらぐこと、穏やかで変わりのないこと」そして「戦争がなくて、世が安穏であること」と定義されていた。

平和の定義をふまえて、平和のために何ができるのか、考えてみた。

前半の定義であれば、自分の周辺での小さな争いごとをなくすことである。喧嘩がおきれば、前半の定義など、普通はない。しかし、喧嘩は自己の考えを認めてほしくておこる。もしかすると、卑怯な事がなく、互いが傷つかない喧嘩は、平和へ繋がる道の一つかもしれない。平和のために喧嘩を無くす方法は、自分の自己を尊重しつつ、相手の自己を認め、近づき合う努力をすることだと思う。

後半の定義では、単純に考え、私がいるこの日本は平和で、世界のどこかの国は平和でない状態にあるということになる。日本は六十数年前から、二度と戦争をしないとして、平和を保ち続けている。しかし、世界各地では、こうしている今も世界のどこかで私よりも小さい子供たちが、戦争に怯え、食べるものもなく苦しい思いをしている。戦争によって、たくさんの人々が、悲しい思いをしている。私には、分からない事である。一体、何をしたら、平和のためになるのだろう。

話は変わるが、以前、某プロ野球チームのある投手の「僕のルール」という話を聞いた事がある。その投手は、二〇〇五年の契約から、自分でルールを決めた。ルールの内容は、その投手が一投する毎にワクチン十本、勝利投手で二十本、完投勝利で三十本、完封達成で四十本、更に、チームの優勝・個人タイトル獲得でワクチン数を増やすというものであり、ずっと続けている。これまでに送ったワクチンの総数は、十万本をとっくに超えている。また、説明を聞き、その投手自身で、どのようなワクチンを送るか、種類を選んで、決定しているという。彼によって、どれだけの人々が助けられたのだろうか。彼のこの活動こそが、平和のためにできることなのではないのか。

平和のために戦争がなくなる事。しかし、戦争がなくなる事はないと思う。

平和のために何ができるか。私は戦争を知らない。しかし、日本は何処よりも戦争の悲惨さ、核の恐しさを知っている。私たちは、世界に訴える事ができる。広島、長崎の傷跡は今も、至る所に深く残っている。世界では、まだその脅威の強さ、恐しさを知らなすぎる。だから、訴え続け、二度とないように、後世に伝えなければならない。

私は将来、NGO団体で働きたいと考えている。両親からは、「危ない」という理由で反対されている。心配してくれるのは、ありがたい。しかし、支援させていただきたいと思っている人が支援しないでどうするのか。支援者がいなくなってしまえば、今以上に、悲しい事が起こる。そして、一生その場にいる人々に比べ、支援期間はわずか。私が危ないのなら、その土地の人々は何なのか。今は、反対されているが、必ず、説得し、働こうと考えている。私にとって、平和のためにできることの一つであると思ったからである。

私たちには、まだできることが、たくさんある。それは、今、平和のためにできることをすることである。そして、今を生きることである。生きたくても、生きれない人がいる。それなのに、自分から命を断とうなんて、失礼にも程がある。それが平和のためであると考える。そして、まだ、私ができることはたくさんあると思う。私は、できることをしながら、それを探したい。

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