国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

高校の部 審査員特別賞

障害があるからなんて関係ない

山梨県立ろう学校 二年
手島 拓郎

私は聴覚障害を持っている。しかし、普通の学生と何ら変わらない学校生活を送っている。毎日学校に行く。勉強や部活をする。今、日本の学生は、皆そのような学校生活を送っている。

しかしタイ東北地方では障害者に対し「前世の罪業の報いが原因」という考えが根強く、障害者を一生家から出さず、存在を隠して生活していく例が多くあると聞く。そのため発達段階に応じた適切なリハビリを受けられず、障害が重度化してしまう。自立へのチャンスを逃し、生涯寝たきりの生活になる子どもがいる。これは同じ障害者として見過ごせない事実だ。障害者だってこの世界にすむ一人の人間であり、私は、自分に障害があることにも何らかの意味があると思っている。障害の有無は自分で選ぶことはできない。しかし生まれてからの人生は、自分の力と意志で変えていけるものだ。そのチャンスを奪うことは、それこそ差別だ。同じ障害者が苦しんでいる。その人達のために何かできることはないだろうか。

私の学校では、ダルニー奨学金というボランティア活動に参加している。ダルニー奨学金は、タイの中学生に一万円を支援し、学校に通わせるという取り組みだ。一万円と言っても募金ではなく、書き損じ葉書や古切手を集め、換金する。約三百枚の葉書で一人の支援が可能となる。しかし私の通う聾学校は、生徒数が五十名ほどなのでなかなか集まらない。そのため交流校にも積極的に呼びかけ、昨年は二名の支援を行うことができた。

発展途上国の教育普及は多くの困難があると聞く。タイでは年収が二万円程度だが、三年間学校に通うために必要な学費は三万円である。さらに発展途上国の子どもたちは、貧しさゆえに貴重な労働力であり、日々の糧を得るために働かされていることが多い。仮に学校へ行けても教師を雇う余裕もなく、教材を買うことも難しい。さらには校舎も足りないという。私たちからしてみれば、あり得ない社会だ。日本の学生や社会が、発展途上国と比べて、どれほど恵まれているかは一目瞭然だ。私は自分にできることがあったら、何でもしたいと思った。

健常者でさえ、このような厳しい状態にあるのだから、発展途上国の障害者の教育や福祉はさらに大きく遅れている。一刻も早く障害者にも「普通の生活」をしてほしい。

私の通う聾学校は、昨年聾学校卓球大会で全国二位という成績をおさめた。そして私たちは今、全国優勝を目指し、卓球の練習に燃えている。好きなことに思い切り打ち込むことのできる環境、私はこの恵まれた環境に感謝している。障害を持っていても、高校生として充実した生活を送れることに感謝の思いでいっぱいだ。子どもたちが年齢に応じた体験や喜びを得られる暮らしこそが「普通の生活」であると思う。

同じ障害を持つ人々に何かできないか。私は、ダルニー奨学金制度について調べる中で、障害者のために車いすなどを提供するボランティアがあることを知った。私はそのボランティアに協力することを学校に提案したいと思う。同じ障害者として、発展途上国の障害者が「普通の生活」を手に入れ、自立して社会に出て行く、その支援をしたいからである。

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