国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

高校の部 審査員特別賞

エコキャップ運動をやめた我がクラス

静岡県立吉原高等学校 二年
平林 美穂

今日一日を振り返ってみよう。エアコンを付けっぱなしにしていなかっただろうか。部屋の電気をこまめに消していただろうか。割箸やスーパーの袋を使っただろうか。こんな風に一日を振り返ってみると自分の一日の生活の中にも無駄だと思われる事が多くある。先日もまた、たった一冊の漫画を買っただけなのにわざわざ袋に入れてもらっている自分がいた。漫画の入っていた袋は家に帰ればすぐに捨ててしまう。本当にもったいない。漫画一冊くらい鞄に入れれば袋なんかもらわずに済む。しかし私はレジで一言、「袋はいりません。」と言えなかった。私は、たった一言の勇気がなかったのだ。

私たちのクラスでは、昨年の秋から「エコキャップ運動」と称してペットボトルのキャップを集め始めた。ペットボトルがリサイクルされることは知られているが、ペットボトルのキャップも八百個集めるとワクチン一本分にかえることができ、それらがアジアの国々の子どもたちに送られる。私たちのクラスでは半年以上かけて三七六一個のキャップを集めた。しかしキャップを集める中、私たちはある疑問にぶち当たった。それはエコキャップ運動は本当に地球にやさしい運動なのかということだ。ある日、クラスの中の一人が、彼の小学四年生になる弟の話をしてくれた。彼によると弟はその前日、「明日学校でペットボトルのキャップを集めるから、お金ちょうだい。ジュースを買ってくる。」と母親にねだっていたというのだ。聞いていた私もクラスメイトも「それ、おかしい!」と口々に言った。キャップを集めるためにペットボトルを買っているのだ。これではペットボトルのゴミを増やし、逆に地球に負担をかけていることになる。何故このようなことになってしまったのだろうか。自分たちが地球に対してよかれと思って始めた活動だが、このねじれ現象に疑問を抱き、クラスでこの件について調べることにした。

まず私たちは、エコキャップ運動を行うきっかけになったラジオ放送局へ向かった。このラジオ放送局はラジオを通してエコキャップ運動を呼びかけていた。呼びかけ以来、ラジオ放送局には多くのキャップが届いたという。それはラジオを聞いていた人々、特に小学生たちが、エコキャップ運動を周りとの競争だと勘違いしたのも一つの理由だという。ラジオ放送局の方は、エコキャップ運動で飽和状態になっている今、今後メディアとしてどう対応していくか苦慮されている様子であった。「自分たちの範囲で出来ることがエコの本来の姿ですから…。」という言葉が印象的であった。

次に、私たちはこのラジオ放送局がキャップを送っているという回収業社に行き、リサイクルの現状を確認した。キャップにシールがついていたり、キャップ以外の別の物が混ざっているのを見て驚いた。そのシールをはがしたり、別の物を取り除く作業をするために新たな人手が必要なのだ。私はビンや缶まで混ざったエコキャップの山を目にし、エコキャップ運動を勘違いしている人々が、数にばかりこだわっている現状を再認識した。

こうして私たちクラスはエコキャップ運動の現状を知り、「エコキャップ運動」を今後行わないことに決めた。「運動」という形にしてしまうと単に個数の争いになってしまう。これからは「分別」として行うことにした。燃えるゴミや紙パック・ペットボトルに加え、ペットボトルのふたの回収箱を設置し、こうすることでペットボトルを捨てるついでにキャップを捨てる「分別」にしたのだ。しかし、私たちの最終目標は「リデュース」つまり、ペットボトルのゴミの量自体を減らすことにある。エコは競争ではない。私たちは「エコ意識改革」をクラスから学校へ学校から世の中へと発信していきたい。自分たちに出来る範囲のエコを日々積み重ねていくことが、未来の私たちの環境をつくりあげていくのだ。エコが運動ではなく、生活の一部になる日が遠いか近いかは、私たち一人ひとりの意識にかかっている。「袋はいりません。」今の私になら言える気がする。

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