国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

中学の部 最優秀賞 外務大臣奨励賞

二つの母国

北上市立上野中学校 二年
朴 志海

私の母国は二つあります。それは、生まれた国韓国と、育った国日本です。私は五歳のころに父の仕事で韓国から日本へ引っ越してきました。私が日本へ来ることになったのには、昔から日本との縁があるからでした。

なぜなら私の父、母両方の祖父母は以前日本へ来て暮らしていた時期があるのです。その頃の日本は朝鮮を植民地にし、たくさんの朝鮮人が日本に連れてこられたそうです。私の祖父母も日本で生まれ、朝鮮が解放される数年前まで日本で生活していました。帰国後も日本語を強制され、朝鮮にいるのに日本語を習わなければなりませんでした。日本は一九一〇年日韓合邦を始め、一九四五年に解放されるまで日本語ですべての授業を受けさせ、名前も日本の名前に変えさせました。私の大おばなどは日本語を完璧に話せるようになりました。

私が数年前に韓国へ帰ったときに、九十歳を過ぎている曽祖母が日本語で話しかけてくれました。それを聞きながら私は曽祖母の心にまだ残っている歴史の悲しさを感じました。日本語が話せるという悲しさです。しかし私には日本に来てから感じた逆のさびしさと苦しみがありました。

幼稚園に入園した私は、日本語がまったく分からなくて友達に話しかけることもできませんでした。そのため、仲良しの友達がたくさんいる自分の国、韓国へ戻りたいと泣きさけんだ日もありました。すると幼稚園の先生たちは私が日本の友達となじめるように韓国の歌をみんなに紹介してくれたり、韓国語を調べて廊下に貼ってくれたりと、努力をしてくれました。小学校に入り、みんなと一緒に「あいうえお」から勉強しました。すると私は少しずつ普通の生活をおくれるようになってきていました。閉じていた心もひらいた気がしました。しかし、それとは反比例して、韓国語はどんどん忘れていっていました。心配した両親は母国語を教え直すために努力をしてくれました。私に本を読ませたり、歴史ドラマを見せてくれたり、家では必ず韓国語を使うようにしてくれました。そのおかげで、私は韓国語も日本語も使える、バイリンガルに近い力を持っています。

今私は、言葉の壁を乗り越えたことが自信になっています。周りの方々の温かさに見守られながらここまで成長してくることができた私は、日本が大好きです。もちろん韓国も大好きです。今までの歴史のつながりから生まれたお互いの感情的な問題も必ず乗り越えていけると確信します。そして、一番近い国同士の良い関係をつくるために私の力を使っていきます。私は二つの文化を理解できて、両方の良さを知っているからです。日本のやさしさを韓国へ、韓国の温かさを日本へと伝えていけば必ず良い方向に向くと信じています。今度帰国したら、この夢を必ず曽祖母に伝えます。もちろん日本語と韓国語の両方で。

プログラム紹介