国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト 2009年度優秀作品

中学の部 入選

知らなければ、変わらない。

国立大学法人愛知教育大学附属名古屋中学校 二年
横地 駿

僕は、小学校六年生のときから、「子どもの権利条例」策定委員会の子ども委員になっている。そこで初めて、「子どもの権利」を知った。子どもには、安心して生きる権利があり、守られる権利があり、勉強できる権利があるのだ。当初、僕には違和感があった。「当たり前」がその理由である。平等ではないにせよ、僕らは、大抵、不自由無く生きているし、親は衣食住を与えてくれる。頑張れば、高校や大学でも勉強できる。これを「権利」というのか?という思いであった。

しかし、世界のことを勉強していくうちに、この最低限の権利さえ持たない子どもが多くいることを知り、愕然とした。持たないというのは、適切ではない。持てないのだ。明日の食料もなく、衛生状態も悪い環境下で、親は子どもの命さえも守れない。学びなど眼中には無い。生きるためには、子どもだって働かなければならない。働くといっても、農作業や物売りばかりではない。ごみの中から、売れる物を探したり、物乞いをしたりする。少年兵として意味も分からず、銃を構え、無差別に人が殺し合う場面に遭遇している。写真で見る彼らの目に輝きは無い。涙がこぼれた。生まれてきた国が違うだけで、この差は何だ?僕は、当たり前の日常と権利に感謝した。そして、この現実を直視しなければならないと感じた。

飢餓や貧困のために命を落とす子どものために、ユニセフや各国はいろいろな支援をしている。食料を送ったり、医療を提供したり、技術支援をしたりしている。しかし、紛争や治安の悪さによって、せっかくの善意は、本当に必要としている子どもや家族のところには届かないこともある。

世界が最も小さな命に注目して、その権利を守っていきさえすれば、何とかなるのではないだろうか?彼らにこの権利の存在を知らせることはできないのだろうか?僕の頭の中にこんな考えが浮かんだ。

僕たちの取り組んでいる「子どもの権利条例」の前文に『知ってほしい』という一文がある。僕ら子ども委員が作成した文である。「知る」ことこそ第一歩なのである。今、この瞬間も失われている命を守るにはこれしかない。僕は、この活動を通し、世界の現状を垣間見た。しかし、もっともっと知らなければならない。同時に、命を失う危機に直面している彼らにも知って欲しいと思っている。子どもには、生きる権利があることを。そして、それを守るべき大人には、命は育むものだということを。

「知る」ことこそ、僕が世界のためにできること。そして、近い将来、世界を支えていく僕自身のためにできること。

プログラム紹介