2007年度 日系研修 パラグアイ 「高齢者福祉におけるデイケアサービス(デイケアと介護予防)」異国の地に生きる日本人の未来 〜高齢化するパラグアイの日系人社会〜

【国旗】パラグアイ2007年6月11日から8月21日まで、石川県立看護大学および羽咋市社会福祉協議会で研修を受けた日系人研修員の石川さん、越智さん、仙野さん、宮脇さんに、これまでの生活と、この研修を通して学んだことを、お伺いしてみました。

入植当時の物語

宮脇さんがパラグアイに入植したのは、1958年、当時10歳の頃でした。インド洋・喜望峰経由の船旅で、2ヶ月かけて到着したそうです。「到着してしばらくの間は、テントで立てた小屋で生活していました。」と宮脇さん。入植した人々は皆、木造の家ができるまでの数ヶ月から数年間をテントで生活していたそうです。

当時入植を決めた大人達は、パラグアイで成功して日本の故郷に錦を飾ることを目指していました。しかし実際には、慣れない気候のために、作物の植付け時期を間違えたり、元々の土地が痩せている場合があったりして、自給自足に近い生活が続いたそうです。また、入植当時、周囲はジャングルに囲まれていました。このため、耕作地を作るにも、まずジャングルを切り開き山焼きする必要がありました。石川さんは、自ら木を切る作業にも参加したこともあるそうです。また、「夜になると、ヒョウやトラの鳴き声を聞きました」と越智さん。虫に刺されて掻いたところから化膿して、難儀する人もいたとのことです。

こうした環境の中で、越智さんは移住して2年後にお母様を亡くされてしまいました。越智さんはすぐに家族の中で母親代わりとして働かれたとのことです。石川さんも、移住して数年でお父様と弟さんを亡くされました。それでも、「親にしてもらった恩は返す」と考え、近所の子供のお守りをして家計を支えられたそうです。

一方、当時を振り返って、楽しかったのは、学校や青年団で同世代の友達と会うことでした。しかし、隣の家までが遠くて、なかなか同世代の友人と会うことができなかったそうです。その他にも、地域の活動が盛んで道路建設などの勤労奉仕があったり、地区対抗の陸上競技会や野球大会が盛んに行われていたり、したそうです。

「当時のことは、良いことも悪いことも思い出になっています。自分だけが苦労したというよりは、どこの家族も状況は同じで、当然の生活と感じていました。そして何より、家族が居たからやっていけました。」と、研修員の皆さんは当時のことを振り返ります。

日系社会は今

その後、農業の機械化が進んだことや、近年では日本への出稼ぎに出る人たちが増えたこともあり、現在のパラグアイの日系社会はとても裕福になっているそうです。そうした中で、現在日系社会で子育て中の日系2世の親や、3世の子の世代の生活は、入植当初の日系1世の人たちの生活とは大きく異なってきているそうです。「巷に物は溢れており、子供に何でも物を与えてしまう人が多くなってきた」とのこと。豊かになったのはいいけれど、地域で協力することや、親の面倒をみること、頑張るといった意識が少しずつ薄らいできているそうです。

入植当初から今日の礎を築いてきた1世の方々は、老人クラブやゲートボールで元気に楽しむ人がいる一方、外に出ることが出来ない方々も多数いるそうです。「これから10年後に高齢者になる人が多数います。そうなった時にどうするのか、自分たちで今から考えないといけません」と仙野さん。少子高齢化の波は、パラグアイの日系社会の中でも深刻な問題となっています。

日本での研修へ

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研修員の皆さんが介護に関心を持ちこの研修に応募したのは、これまでの生活や人生のどこかで介護に関っているからだそうです。

宮脇さんは「高齢者が増えて行く中で、これまで生活した地域の人の役に立ちたいと思って、応募しました」と言われます。

仙野さんは、パラグアイで看護師をしています。また、近所のお年寄りのお世話もされていることから、この研修に応募したとのことです。

石川さんは、子供の頃、ご両親から移住地で生きるために応急処置を習ったことから、医療に対して関心を持っていました。その後、日本に来た時にも看護助手の経験をされており、その中で介護の大切さとやりがいを感じたと言われます。「ありがとうの笑顔で助けられる」と言われていました。

越智さんは、ご自身のお母様を2年介護し、またご主人のお母様を10年間介護されました。「10年間介護して、床ずれ一つ作らなかったのが私の自慢。その姿を見て、親戚の方からも喜ばれたし、頑張る私の姿を見て、私の子供も頑張って大学まで行ってくれました。」と越智さん。周囲から、そんな越智さんを研修に推薦する声があったそうです。

「今回の研修を通して、日本では介護の制度が整備されていて、高齢者の方を地域でしっかりと支える体制ができていることを学びました」と仙野さん。デイケアで活用できるたくさんの実技も現場で学びました。一方で、日本では高齢者介護がビジネスにつながる面があるという事実に、研修員の皆さんは驚いていました。また、研修を通して、羽咋の高齢者の皆さんや多くの関係者の方々と心のこもった交流ができたようです。

パラグアイの将来に思いを馳せて

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羽咋市社会福祉協議会の職員の皆さんと

研修を通じて学んだことを、帰国後活かしていきたいと研修員の皆さん。

石川さんは、今後「予防」の観点を大切にして、活動していきたいとのこと。

宮脇さんと仙野さんは、地区にまだ既存のデイケアの会が無いので、ここで得た情報を共有しながら、仲間を集い、会を立ち上げたいといわれていました。

越智さんは、この研修で介護に趣味の活動を取り込むことを学び、パラグアイでも実践してより多くの高齢者の方に参加してもらえるようにしたいと語っていました。

「将来的には、趣味や楽しみを一緒に出来て、子供からお年寄りまで、みんなが集えるところができたらいいねぇ」と、研修員の皆さんは笑顔を浮かべていました。