幸せな国日本を飛び出して、『世界で一番幸せな国』へ

青年海外協力隊OB 職種:環境教育 派遣期間:2016年7月~2018年3月
高野 勝郎さん(石川県出身)

『幸せ大国』フィジー共和国

 「世界幸福度調査」という指標を聞いたことがあるだろうか。文字通りこの調査は、世界各国の人々の幸福度を数値化しようと試みたものだ。幸せな国と聞いて、どのような国が思い浮かぶだろう。温かいお風呂に毎日入れて、治安も良い日本?軍隊を持たない国コスタリカ?福祉国家の北欧諸国? このような調査は国連や様々な民間会社が行っており実施する機関が変われば結果も異なる。米国のある世論調査会社が行った2017年の調査では、第1位に輝いた国は『フィジー共和国』という南太平洋に浮かぶ人口約90万人弱の小さな島国であった。昨年の同調査でもフィジーは世界第2位に輝いており、どうやら『幸せ大国』であることがわかる。そのフィジーこそ私が青年海外協力隊環境教育隊員として派遣されている国だ。私は20数年間日本で幸せに生きてきたが、そんな日本人としてフィジーを見つめ、実際に暮らし、感じたことをシェアしたいと思う。

フィジーってこんなところ

 フィジー共和国は、日本にも馴染みの深いオーストラリアの東、ニュージーランドの北に位置する小さな島国で、面積だけで言うと四国とほぼ同じだ。小さい国ながら、2016年リオ五輪ではセブンスラグビーでフィジーにとって史上初の金メダルを獲得し、2017年11月にはCOP23(国連気候変動枠組条約第23回締結会議)という国際的な会議の議長国を務めるなど、ある意味で今すごくノッている国だ。
 フィジーはiTaukei(イタウケイ)と呼ばれる原住民と人口の約40%を占めるインド系移民の子孫で構成される多民族国家で、あまりよく知られていないがフィジーに来るとあまりのインド系住民の多さに驚く。これは1世紀以上前のイギリスの植民地政策の名残だが、人口の約半分を占めるインド系住民とインド文化が、フィジーという国をより奥深く、よりエキゾチックにしているとも言える。

ここは本当にフィジー?

ランバサ市場

 私の任地ランバサは、フィジーでも有数のインドタウンとして知られており、街中では独特のリズムのインド音楽が大音量で流され、同僚は毎日様々な種類のカレーを食べる。「インド人は毎日カレーを食べる」という漠然としたイメージは間違っていなかったのだ!
 フィジーというと美しい海と白い砂浜、立ち並ぶヤシの木を想像しがちだが、残念ながらランバサは海に面しておらず、車で30分かけて見られる海も私の故郷輪島の方がずっと綺麗だ。ランバサで生活していると、ここがフィジーであることを忘れインドの地方都市に来てしまったかのような錯覚に陥ることがある。せっかくなので少しずつインド料理を覚え始め、今ではロティと呼ばれるインド風の薄いパンや数種類のスパイスをミックスしたインドカレーも作ることができるようになった。

環境教育隊員の仕事って?

 「環境問題」と一口に言っても、温暖化・生態系破壊・大気汚染など様々だが、私の要請内容は廃棄物処理に関わるものだ。フィジーに限らず大洋州の島国の元々の生活は、バナナやタロイモ、ココナッツや魚を主食とし、それらは全て分解され自然に還るものだった。そのためひと昔前までは「ごみ」が極端に少なく、それゆえ「ごみを分別する」という習慣もなかった。しかし近年の急速な近代化とグローバル化は、それまでフィジーに存在しなかったプラスチックや缶・ビンなどの自然界では分解されない(もしくは非常に長い時間を要する)多種大量のごみをもたらした。国土の小さい島国ではこれらのごみを処理しきる容量はなく、日本の様に焼却施設を管理・維持する技術や資金もない。そこでごみの発生を抑制するReduce, Reuse, Recycleの3R 活動の普及や環境意識啓発のために我々環境教育隊員が派遣されている。

あだ名は「ペテロ」。最初の仕事と大失敗

 ランバサマーケットでは、キュウリやナス、キャベツなど日本でもお馴染みの野菜に加えて、マンゴーやパパイヤ、パッションフルーツなど南国特有の色鮮やかな果物が並ぶ。配属先の町役場は、マーケットで排出される果物や野菜くず(Green waste)を回収して、それらを堆肥化(コンポスト)することによってマーケットごみの削減に取り組んでいる。コンポストへの不純物の混入を防ぐために、マーケットには野菜用の緑色のごみ箱と一般ごみ用の赤色のごみ箱の二種類が設置されているが、実際のところ分別は全くなされていない。この状況を改善するのが私の最初の仕事だったのだが、いきなり現れたアジア人が分別をしろと訴えても心には響かないと思い、まずは自分を知ってもらうことも兼ねてとにかく多くのベンダー(マーケットの売り子)とおしゃべりをした。しかし一部のベンダーにとって私の名前である「かつろう」は発音が難しいらしく、だんだんと呼び方が変化していき、いつの間にか「ペテロ」になっていた。直そうかとも思ったが、歩いていると「ペテロ!」と大きな声と素敵な笑顔で呼びかけてくれるベンダーを見ていたら、このままでいいかという気になってしまった。
 関係づくりが出来てきた頃から、実際の分別活動を始めた。ベンダーや買い物客に、役場の活動(分別促進とコンポスト)を知ってもらうために、ごみ箱に貼る分別ステッカー、配布用と掲示用のパンフレット、マーケットに吊るす大きなキャンバス地のポスターを作成した。これらは人々の注目を集め、配布用ポスターはベンダー全員に手渡しで説明しながら自ら配布を行った。これできっと分別状況は改善されるはずだと思っていたが、それは大きな勘違いだったことにすぐに気がついた。確かに一時的に状況は改善されたが、その後時間が経つにつれて分別は以前の状態に戻ってしまったのだ。作ってから気づいたことだが、多くのフィジー人にとってそこに何が書いてあるかということは気にならないのである。ポスターなどの視覚的な情報によって適切な行動が取れるというのは日本人としての感覚であって、それは決して全世界の人に通じるわけではない。この失敗から、紙を一枚貼ったり配ったりするだけでは人々の意識や行動は変わらないということを強く実感した。そこで次なる手として、学校における環境啓発活動を活動の中心に置くことにした。

CLEAN SCHOOL PROGRAMと予想外のプレゼント

International Volunteer of the Year 授与式

 私が次に取り組んだCLEAN SCHOOL PROGRAM(CSP)は、学校における子供たちへの環境啓発を通じて家庭やコミュニティ全体の環境意識の底上げをしようというプログラムで、フィジー全体で推奨されている。とは言っても学校によって協力度は様々で、何度校長先生と話をしても分別用ごみ箱を置いてくれない学校もあれば、精力的にコンポストやリサイクル活動に取り組んでくれる学校もあり、結局は人次第というところだ。
 今年のランバサのメインの活動は学校における廃紙の削減で、そのために毎週トラックで廃紙回収に周り、さらに日本の紙漉きを簡単にアレンジしたリサイクルペーパー作りを先生方対象のワークショップで提案した。何度お願いしても廃紙の中にプラスチックが混じっていたり、回収前に学校で燃やしてしまったりと、廃紙回収も最初は上手くいかなかったが、ほぼ毎日学校に通い根気強くお願いを続けた結果14の全参加校が廃紙回収に協力してくれるようになった。小学校低学年くらいの子が、廃紙の入った重そうな袋を軽々とトラックに放り投げ、作業が終わると「Thank you, Sir.」と素敵な笑顔を残し裸足で走り去っていく様子を見ていると、この国の子供たちはたくましいなと思ってしまう。そんな子供たちや先生方の協力もあり9月から11月の三ヶ月にかけて実施した回収では総量にして1,000㎏以上の廃紙を回収してリサイクル会社に送ることができた。
 年末には、これらの活動が評価されフィジーで活動する全国際ボランティアから一人選ばれるINTERNATIONAL VOLUNTEER OF THE YEARという名誉な賞を頂いた。本当に思わぬ受賞だったが、活動を見える形で評価して頂けたことはとてもありがたかった。

フィジーの「幸せ」と抱える問題

インド系住民の光の祝祭「ディワリ(Diwali)」

 多くのイタウケイフィジー人はキリスト教徒のため、休日に行われる教会行事にたまに呼ばれることがある。ヨーロッパのミサの様な厳かな雰囲気はなく、フィジーの教会はライブ演奏やダンス、大合唱などとても賑やかだ。ダンスでは子どもから20歳前後の青年まで一緒になって楽しそうに踊る。その様子を見ていて、フィジーの人達はたくさんの「所属(繋がり)」があるんだなと感じた。最小の単位である「家族」、家族が集まってできる「村」、宗派ごとの「教会」グループ、先住の「イタウケイフィジー人」としての繋がり…それぞれの所属に自分の役割があり、グループの成員は一つの家族のようなものだ。この「どこかで誰かと繋がっている、誰かに見てもらえている」という感覚がフィジーの幸せの秘密なのだと思う。それはインド系住民にとっても同じで、彼らには彼らのコミュニティがあり、その繋がりはイタウケイフィジー人に負けじと強い。
 しかしそんなフィジーもこの二つの民族の共生という話になると、簡単にはいかない。過去20年間という短い間に、インド系の政党が政権を取ったことでイタウケイフィジー人による四度ものクーデターが起こっている。もちろん職場では二つの民族が問題なく共に働き冗談を言い合っているが、どこか心の奥底に見えない壁があるように感じる時がある。一つの例に過ぎないが、私の職場では昼食の際に、二つの民族が同じ食卓に付くことは絶対にない。どちらも民族内の繋がりや文化・言語への誇りは強いが、それが逆に互いの歩み寄りを難しくしているのかもしれない。今後フィジーが本当に世界で一番幸せな国となっていくには、民族の共生の仕方という点が重要になってくるように思う。

「違い」を知ることと「同じ」を知ること

 最後に、今日まで海外で生活して感じた「国際理解」についてまとめてこの文章を締めたい。海外で生活していると毎日驚くことの連続だ。肌の色や顔つき、食べ物、宗教、生活様式、言語など「違い」を数え上げればきりがないが、それらの驚きが落ち着いてくると、だんだんと「同じ」に気が付いてくる。自分達と全く違うと思われた彼らも、私たち日本人と同じように、毎朝起きて歯を磨き、ご飯を食べ、仕事をして、休日には友達と遊び、誰かを好きになり結婚して子供を育てる。娘を嫁に出すムスリムの家族の結婚式では、母親は涙を流して娘を送り出していた。4歳の大切な息子を亡くした夫婦の葬式では親戚中が集まり悲しみを分かち合っていた。人間としての自然な営みや感情というのは、私たちも彼らも何も変わらないのだ。見た目や言語などインパクトの強い「違い」に気を取られて、このすごく当たり前の「同じ」を私たちはたまに忘れてしまうのではないだろうか。本当の意味での「国際理解」はきっとすごく難しいが、私たちと彼らの「違い」も「同じ」も受け入れて、二者の壁を少しずつ無くしていくことだと私は考える。ボタン一つで数千キロも離れた土地にミサイルを落とし命を奪うことができる世の中だが、そこに住む人々の顔や生活を少しでも身近に考えることができたら、もう少し平和な世の中がやってくると信じている。
 最後になるが、このような素晴らしい経験をする機会を与えてくれたJICAとフィジー、そして現職のまま参加することを許可してくれた石川県に感謝したい。帰国後は教員として働きながら、様々な形で国際理解教育に関わっていきたいと考えている。