違いを受け入れる心を持つこと

【写真】中村 真理さん福井県立ろう学校教諭/青年海外協力隊OG(福井県出身)
中村 真理さん

フィリピンは七千を超える島々からなる島国です。私が派遣されたのはその島々の中ほど、マニラから350キロ離れたパナイ島のロハス市という所でした。そこに一つだけある公立の特別支援学校に配属され、聴覚障害クラスを中心に活動を行いました。

とにかくいろんなことを試した活動期間

スピーチクラスの授業風景
中央が中村さん

聴覚障害クラスの生徒が板書しているところ

日本から来たばかりの私にとっては、教育現場のほとんどが「問題」なことだらけ。けれど一介のボランティアである私が関われることは何かを考える必要がありました。その間、学校だけでなく色々なところに行っては話を詳しく聞き、メモにまとめるといった毎日を繰り返しました。
まずは、子どもたちが自力で考えられ、魅力があって分かりやすい授業を目指して、スピーチ(ことばの指導)の授業とそこで使用する視覚教材作りを始めました。
また、進学先や就労先のない子どもたちのために職業訓練プログラムとして手工芸の授業と、製作した作品の販売も同時に始めていきました。
学校外での障害者支援などにも顔を出しながら、他の隊員がいる町の学校や教育委員会に出向き、現地の先生方に向けて数日間の出張セミナーを行いました。経験を重ねるにつれ、楽しく効果的な伝え方や内容の精選ができるようになり、想像していたよりも好評だったように思います。また、障害者支援関係の隊員同士で協力して、特別支援教育のための教材集を作り、関係機関に配布しました。

協力隊の経験で得たもの

現地の教員や学生向けに行った特別支援教育に関するセミナー

ソーラン節の衣装を着た生徒たち

本当に色んなことがありました。配属直後にペアで仕事をすべきパートナーが産休に入ったり、吐血してジェット機でマニラの病院まで運ばれたり、障害者イベントのダンス(ソーラン節を踊りました)で優勝して得た賞金がスナック代に消えたり。同僚と意見がかみ合わなかったり、頼んでいたことがまるで進まなかったりといった事はしょっちゅうでした。

活動を振り返ってみると、私にとって最も困難だったのは価値観や文化の違いだったような気がします。教育に対する考え方から物事の優先順位、人権意識、時間の感覚、食文化、しつけ、人間関係に至るまで、フィリピン人にとっては当たり前なこと、空気のようなものです。だからこそ、私にとっては全く分からない、けれどだれも具体的に説明はできないことでした。目に見えない感覚であり不文律の習慣だからこそ、自分が何につまづいているかも分からない。
その内、文化の違いを受け入れようと思いながらも、知らず知らず日本のやり方にこだわっていた自分に気付きました。活動にも自分が慣れ親しんだ日本の「型」を持ち込もうとしたり、目に見える結果を求めすぎたりして困難にぶつかっていました。
自分の活動を通して、自分の戸惑いや考え方があぶり出されてきました。それを消化して「まあいっか!」と笑えて初めて、文化や価値観の相違を本当に受け入れることができたのではないかと思います。

これからの私にできること

ココナッツの殻でできたビーズでアクセサリーを製作

外国からの寄付金頼みや、お金があれば変われるという体質・意識があるフィリピンでは「自分たちで努力して継続的に何かを変える」ということを味わう機会がなかなか無かったのではないかと思います。できないこと、叶わないことに慣らされているフィリピン人にとっては、「こうすればできる」という言葉を信じることは難しいのかもしれません。だからこそ、小さな活動を続ける中で「やればできる。変わる」という感覚を味わってほしいと願い活動を続けてきました。

帰国8カ月後の福井県国際交流フェスティバルにて、配属先で作った雑貨の販売と貝殻アクセサリーの体験コーナーを設置する機会をいただきました。想像以上に沢山の方に来場・体験していただき、本当に感謝しています。
ささやかでも続けることを目標に、協力隊の活動が終わっても一ボランティアとして、フィリピンの耳の聞こえない子どもたちへの支援を行っていきたいと思っています。