「豊かさ」を考える

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カメルーンに来て一年半が経過した。学校での仕事、民族の多様性、子育ての難しさ。ここで学ばせてもらっていることは数知れない。その一つに、「豊かさ」がある。

現地の人たちの生活には、自ら土を耕し、種を植え、育てるという生き生きとした人間本来の姿がある。貧しくても決してお金に執着することはなく、家族を何よりも大切にし、伸び伸びと生きるカメルーン人たちの姿を見て、日本にはない心の豊かさを感じずにはいられない。

日常の「食」を通しても、豊かな学びがここにはある。
例えば、消費者は自らの手で鶏をさばく。店先のおりから肉づきのいい鶏をひょいと取り出し、ナイフでさっと首をはね、羽を切り離し、ビニール袋に入れて持ち帰る。鶏が「肉」になる瞬間を初めて見た時、自分がスーパーで何気なく買っていた鶏のむね肉が「動物」であったことを思い知る。同時に、「食べる」という行為が生き物の命をいただくことなのだと実感した。

日本では、この「肉」を生き物ととらえることが難しい。それは生産と消費の現場がかけ離れており、私たちの手元に届く頃には全く違う形に加工されているからなのかもしれない。

次に「暮らし」。
カメルーン人の家は基本的に一戸建てがいくつも連なっていて、隣人同士が一つの家族のようである。隙間だらけだったり、窓に穴があったり、ドアがちゃんと閉まらない家もあるが、特に問題はないようである。塀もドアも必要ない。隣人・地域との関わりが生活の基盤だからである。

もし村でたくさんの果物や野菜をもらえば、それを近所のみんなで調理して一緒に食べるし、定期的な地域の集会も行われる。誰かが亡くなれば近所のみんなで弔い、誰かが生まれれば近所中で祝う。時に、放っておいてくれと思うことがあるが、寂しい時に話し相手になってくれるのも、困った時に助けてくれるのも、隣人なのである。仲間を思いやり、支え合って生きる。これもまた、隣近所との付き合いが希薄な日本にはない、心の豊かさから生まれるものではないだろうか。

まっすぐで、裏表がないカメルーン人の生き方が好きだ。
彼らは自分たちの手で、一から暮らしをつくり上げていく。それがこの国の「豊かさ」に通じているようにも感じる。自分もいつしか、信頼できる友達が本気で困っている時に一緒に解決策を考える習慣が身についたし、作れる物は使わなくなった物やごみから作ってみようという発想を抱くようになった。それが、ボランティアとしての活動にも役立っている。

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自宅向かいの隣人が料理を仕込んでいる

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毎年恒例の日本祭にて同僚と同任地の隊員と

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村で中央アフリカ人の友人と日本語の歌を歌う


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現地NGO団体と孤児院で手洗い指導

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誕生日会に作った日本・カメルーン料理

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