ボードゲームと手話

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大学3年生の私は今年3月まで、インターン活動として、タンザニアの大都市ダルエスサラームにあるJICA事務所でボランティア事業の補助にあたった。

ある日、ムネニアという村を訪れた。青年海外協力隊員が活動する小さな村だ。住民の女性たちは集まっておしゃべりをしたり、男性はコーヒーを飲んだり、ボードゲームをしたりしていた。

村の人たちと交流するため、日本では見たことがないボードゲームに挑戦した。使うのは、蜂の巣のように穴が空いた木の盤と大量のビー玉。何とかルールを覚え、一戦交えた。しかしぼろ負け。相手が代わってもう一戦。今度はあっさりと勝ったが、明らかに手加減された。悔しい。

そんな中、ボードゲーム以上に印象的なことがあった。その場には耳が聞こえない初老の男性も一緒に遊んでおり、ほかの住民はその人を「ブブ(言葉を話せない人)」と呼び、「アーアー」と男性が声を出すまねもしていた。私にはこれが差別的に感じ、「なんか嫌だなあ。ひどいなあ」と思った。

ところが、住民の一人が耳の聞こえない男性を指し、私にこう聞いてきた。

「お前はこいつと話せるか?」

その男性に会釈をする私。でも、それ以上は何もできない。「だめだなあ。見てみ」。しびれを切らした住民が、耳の聞こえない男性といきなり手話を始めた。もちろん私には理解できない。「今日、朝起きて何をして、嫁にこんなことがあって」と話したらしい。「え、みんな手話ができるの?」と聞くと、うなずく住民ら。「じゃあやってみてよ」と、別の住民を指名したら本当にできた。

興味深かった。ほかの村人たちも「できるよ」と、手話を見せてくれた。「アメリカ手話」のように定められたものではなく、思いつきも含むようだ。しかし、彼らの動きには共通点が多かった。

日本では「アーアー」と声を発する人がいても、「あの人は(私たちとは違って)耳の聞こえない人だから」と見て見ぬふりをする。その「区別」は、ある意味で自由な交流の障壁になる。

しかしこの村では、耳の聞こえない人を「違う人」と考えない。一つの特徴がある仲間として受け入れている。周囲の住民はその仲間とコミュニケーションを取ろうとして、手話を覚えるのだ。いや覚えるというより、何かを伝えよう、理解しようとするうちに自然と身につくのだろう。

私には日本人として染みついた感性があるため、「アーアー」というものまねを受け入れるのは難しい。しかし、この村で自国との文化や常識の違いを知り、タンザニアの人々の持つ良さにも気付くことができた。学びの多い経験になった。



(関連リンク)

各国における取り組み タンザニア

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ボードゲームをする様子

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ボードゲームの盤面

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耳が聞こえない男性(右)と手話を交わす住民


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村人同士の手話の様子

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「昼」は手を上に。「夕方」は横に。「朝」は目をこする

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「トウモロコシ」はこんな手の形で表現する


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