だから私はここにいる−ブラジル在住日系一世を看取って−

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「だから私はここにいる」。そう気付かされたのは、配属先で出会った入居者Aさんとの関わりがきっかけでした。

私は日系社会シニアボランティアとして、「高齢者介護」の職種でここブラジルに来ました。サンパウロ市で3週間の現地研修を終え、2013年7月23日、活動拠点であるサンパウロ州サントス市の日系人高齢者を入居対象とした『日伯援護協会養護老人ホーム・サントス厚生ホーム』に到着しました。

入居者のみなさんと笑顔で元気よく挨拶(あいさつ)を交わしていたところ、ホーム長から入居者Aさん(一世)とのコミュニケーションについて説明を受けました。

「今から紹介するAさんは目と耳が不自由な上、コミュニケーションは主に日本語で、彼女との関わり方は特殊です。今、彼女とコミュニケーションが取れるのは介護員のBさん(日系人女性)だけなので、まず彼女のコミュニケーション方法を見てください」

その方法とは、伝え手がAさんの右手の指で、左手のひらに文字(平仮名)を書くというもの。私が初めてAさんに会ったとき、「や・し・ま・ゆ・み」とAさんの手のひらに書くと、Aさんは一字ずつ確かめていきました。「『や』『し』『ま』『ゆ』『み』...さん?日本人ですか?」と小さな声で尋ねられたので、教わった通りAさんの左手を大きく上下させ「イエス」を表す合図をしました。すると不安そうだった様子が一変、とてもうれしそうに、次々と自分のことを話し始めました。それからというもの、Aさんは私との会話をとても楽しみにしてくれて、いつしか私は看護師とAさんとの通訳をするようになっていました。

配属から約1ヵ月が経過したある日、Aさんは持病の悪化で入院しました。私とBさんが病院を訪れると、そこには右手をベッドの柵に縛られ、すっかりやつれた様子のAさんがいました。看護師の話では、状況が理解できないAさんが、暴れて点滴を外してしまうので、やむを得ずこうしたとのこと。私はAさんの右手を柵から解いて、こう伝えました。

『やしまです ここはびょういんです いま てんてきしています てをうごかさないでください』

そして点滴の管に触れさせると、Aさんは私に気付き、静かに頷(うなず)いて治療を受けてくれました。私はその後Aさんの体を拭いたり、食事の介助をし、『また きます』と手のひらに書いて病室を出ました。しかしその日の夕方、容態は急変しAさんは息を引き取ったのです。

後日、Aさんの最期に立ち会えなかった私に、Bさんが言いました。「ゆみさん、ありがとうね。Aさんは日本語で話せたから最期まで安心してたよ」。その言葉を聞いた途端、これまで体験したことのない感情が胸の奥から込み上げると同時に涙が溢(あふ)れ出し、この時、私は気付かされたのです。

こんなにも切ない看(み)取りがここにはあるのだということ。そしてもう一つ、「だから私はここに来たんだ」ということに。

この日以来、私は日本語の継承について考えるようになりました。正直、それまでは日本語教育と高齢者介護はあまり関係がないと思っていましたが、この体験が、その繋(つな)がりを認識できた瞬間でもあったのです。今、ブラジルの日系人は6世まで確認され、日本語を母語とする人たちは減少の一途をたどっています。母語の違う人たちはここブラジルで最期の思いをどこまで伝えることができるのだろう......。

このような人たちが老いても安心して暮らせるように、時には家族に代わって思いを受け止めることが、ここに来た私の使命だと感じています。

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入居者と「春祭り」で販売する手作りまんじゅうのアズキを選定中

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選定したアズキを使って現地ボランティアが作ったまんじゅう

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行事予定。施設内には日本語や日本を感じる掲示物が多い


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雑誌に投稿する入居者のエッセー。添削も日本人の私の仕事

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