テレビ番組作り隊員の奮闘記

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2016年7月、東ティモールの地に降り立った。

私は、十年以上にわたる番組制作の業務経験を生かすため、この国の国営放送局に番組制作隊員として派遣された。要請内容は番組の質の向上。私で2代目である。

このレポートは任期を残り半年とした頃に書いている。もともと「書くこと」は苦手な方である。

配属当初、私はこの国の公用語“テトゥン語”を話すことができなかったので、仕事らしい仕事はなかった。とりあえず、同僚の顔と名前を覚えることと職場の状況を観察することに努めた。そして、今の私でもできる仕事を見つけては担当者から奪うようにして仕事をした。

なぜなら、何も仕事ができないのは、私の存在意義がこの職場でないのと同じだからだ。少しでも必要な人間だと思ってもらうためにそのようにした。そんな日々を過ごすうちに同僚たちから声を掛けられるようになり、少しずつだが信用を得て仕事を頼まれるようになった。私の知識が評価され、私の年齢が所属先の課長級・部長級の人たちと同じ世代だったことなども、良い方向に働いた。

しかし、一部の人(長年この職場で働いている人たち)からは疎まれるようになった。理由は、間違えた設定で使用している機材を私が良かれと思って修正して回って、それを彼らに指摘したからだ。それで、彼らのプライドが傷ついた。そして、機材トラブルがある度に私のせいにされて、その弁明に時間を取られることが多くなった。

そんな時、中継の機材設営で問題が発生した。彼らはその問題を解決できないでいた。私は、その問題解決の方法を彼らに指導ではなく提案として知らせた。その方法で問題はうまく解決し、彼らのプライドも傷つくことはなかった。それで信用を得ることができ、今まで以上に機材を自由に使えるようになり、仕事もスムーズに行えるようになった。

だが、今度は別の問題が起きた。私の配属先はちょうど組織改革の時期で同僚のおよそ半分が入れ代わった。特に撮影職の人たちがほとんど新人になってしまった。

新しい上司からは彼らの指導を要請され、私もその仕事を中心に考えていた。しかし、私は一人のスタッフとして仕事を同僚から依頼されることが多くなり、なかなか新人向けの技術講習ができないでいた。派遣当初あれだけほしがっていた仕事が、今では私がしたい活動の妨げになっていた。

現在は、私が抱える仕事を別の同僚に少しずつ分けて指導の時間を確保しようとしている。残りの任期、どれだけのことができるかわからないが、悔いを残さないよう、前に進むだけである。



(関連リンク)

各国における取り組み 東ティモール

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派遣先RTTL(ラジオ・テレビティモールレステ)。手前の車は中継車

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若年者向けの技術講習会

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観光番組の取材で地方出張


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UNICEF共同事業。 子ども番組で子どもたちが使う機材の指導

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収録でお会いしたルオロ大統領(右)

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