トルコの人々の中にあるイスラム教

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過去2回の掲載では(下記関連リンク参照)、日本人である我々があまり知らないトルコの魅力として「人をもてなす温かい心遣い」と「人間関係の垣根を低くする“魔法の決まり文句”」をご紹介した。今回は、私が感じている「トルコの人々の中にあるイスラム教」をご紹介したい。

首都アンカラなど都会の街を歩いていると、ふとトルコがイスラム教の国であることを忘れてしまう。Eşarp(スカーフ)をかぶっている女性も少ない。トルコは1923年の建国以来、政教分離の方針に基づいて国家(政府)と宗教の分離を原則としている。しかし、人々の心の中心には常にイスラム教があり、社会秩序の維持に大きな役割を果たしている。

トルコの人々の生活は、イスラムの教えに基づいてとても規則正しい。早朝、大音響の1回目のEzan(イスラムの祈りの時を知らせるモスクからの呼び声。1日5回ある)で筆者は目覚める。

現在、中小企業を支援する政府組織に勤務しているが、毎週金曜日の昼に、職員は近くのモスクへ礼拝に行く。礼拝へ行く前は念入りに手足を水で清める。普段の生活でも、とても清潔好きである。オフィスの中にも礼拝室があり、敬虔なイスラム教徒の職員は1日5回の礼拝を欠かさない。礼拝の時間は勤務時間と重なるが、もちろんその時間は勤務時間として認められている。訪問先の人がいなくて、どこに行ったか聞くと、礼拝に行っていることもよくある。

そして、ここでは、年に1回のRamazan(ラマザン、断食の月)に、妊娠中・病気の人を除くほぼ全員が断食を行う。したがって、昼食時には食堂がガラガラになる。日々の生活から年間のイスラムの行事まで、イスラム暦によって規則正しく決められている。彼らはそれに忠実に従う。

イスラム教の行事は、家族・親せき・友人たちを招待し合い、一緒に行う。その点は、日本の盆・正月に似ている。ラマザンも代表的な行事のひとつで、その後、断食月の終わりを祝って甘いものを食べるシェケル・バイラム(3日間)と、信仰の証として神にいけにえを捧げ、貧しい人々にほどこしをするという目的の犠牲祭クルバン・バイラム(4日間)がある。昨年と今年のラマザン期間中には、配属先の人事部からIftar(断食明けの食事)に招待された。家族を連れて来る人も多く、職員・その家族たちと賑やかな食事会を楽しんだ。

Kuran(コーラン)が書かれたのが約1,400年前。日本の飛鳥時代。この頃に取り決めた規則を日本人はずっと守って生活できるだろうか。とても想像できない。信仰心があまり強くない我々日本人に分かりえないであろう、とてつもないパワーを感じる。

イスラム教、人々に規則正しい生活のリズムを持たせ、隣人たちを大切にし、人を思いやる宗教。トルコの人々の世話になって、トルコびいきになっているかもしれない。しかし、悠久の歴史をもつ、このトルコのイスラム教の良さを、多くの人に伝えたいと思う。



(関連リンク)

変えるもの・変えないもの(2017年6月2日掲載)

人間関係の垣根を低くする、魔法の“決まり文句”(2017年6月16日)

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「トルコを理解するために、まずイスラム教を知ってほしい」と職場から渡されたイスラム教に関する本(日本語)。赤い表紙はコーラン

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職場近くのモスク (MKEGAZMASKEFABRİKASI CAMİİ、1970年建造)

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礼拝の前には、必ずイスラム教の定めに従って体を清める


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イスラム僧侶 (İmam イマム)。筆者のFacebook友だち

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モスクの内部、礼拝風景

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配属先人事部のİftar (断食明けの食事) パーティの風景。日没の合図と共に、皆で一斉に夕食スタート


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