50年前の看護学校で学んだ日本の心をミクロネシアの学生に伝えて

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ミクロネシアは、1920年に国際連盟からの日本への委任統治領南洋諸島となり、終戦後の1947年以降はほかの島嶼と共に太平洋諸島としてアメリカの信託統治下に入りました。そして1986年、独立しました。

太平洋西部、赤道の少し北に位置し、南北1,200キロ、東西3,200キロにわたり点在する島嶼群の4州で構成する連邦国で、首都パリキールはポンペイ州にあります。私は、ミクロネシア短期大学の、ポンペイ州にあるナショナル・キャンパスで、看護教育を担当しています。キャンパスは他州も含め計5ヵ所にありますが、看護プログラムはナショナル・キャンパスにのみ設置されています。

学生たちは4州から集まります。ミクロネシアの公用語は英語ですが、4州はそれぞれの文化と言語を持ちます。加えてこの国の約20パーセント以上が日系人とも言われ、「刺身」「しょうゆ」「先生」などが現地の言葉になっています。

ミクロネシアの人は、日本びいきで祖父や親戚が日本人であることに誇りを持っています。教育熱心でまじめに働き、信頼できるという日本人のイメージは、学生だけでなく知り合った人々からも聞くことができました。

看護プログラムでは基礎看護を教えています。学生は高校卒業の資格と英語、数学、理科系が強いこと、特にアメリカの看護教育プログラムを適用していることから英語力が成否を左右します。4州それぞれの島の文化・言語で生活してきた学生たちが、ナショナル・キャンパスで、異文化・異言語の壁と格闘しながら、必死で学んでいます。

私は、50年前に学んだ「看護の基本となるもの」を中心に「技術」や「態度」を教えています。コミュニケーションを起点とし、人間関係のスタートである「あいさつ」でその基礎になるのが「態度」。時間厳守を徹底し遅刻と欠席には厳しく対応し、身だしなみはプロフェッショナルとしてのこの職務の姿勢であると伝えています。でも、言いたいことを英語で明確に言えなくなると、コスラエ州出身の学生が流ちょうな日本語で「頑張って、頑張って、が~んばって」というリズムで歌うのです。言葉の壁を乗り越えてゆく瞬間でした。

随伴の夫と共にミクロネシアに赴任して感じているのは、「外国で生活しているという気がしない」ということ。そんな毎日を過ごせるほど、異文化を意識しないで生活に適応できたのです。

それは、日本がこの国の言語や生活習慣に深く影響を与えていたことを「五感」で納得したからかもしれません。

一番驚いたのは、目と目が会うとお辞儀をすること。そう、ミクロネシアの人は、お辞儀をする習慣をもっているのです。次に驚いたのは日本語の発音がとてもきれいなことです。あいさつの言葉「おはようございます」「ありがとうございます」が日本人と同じ発音で美しいのです。

私は、戦前、日本が統治した事実について、ネガティブな歴史認識を持っていました。ところが、日本や日本人を好意的に思っているミクロネシアの人々に出会い、日本を再発見する機会になりました。

この国の豊かな自然の中で人々との交流を深めながら活動しています。

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ミクロネシア短期大学ナショナル・キャンパス

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キャンパス入り口の看護プログラムの広告

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看護プログラムの学生たち(中央が筆者)


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実習病院はマイクロバスで30分です

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ポンペイ州立病院の救急車の前で

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現地で人気の日本料理「刺身定食」


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