今なお息づく日本の支援−ハンセン病研究センター50周年記念式典

2014年3月12日

日本の民間の寄付により、インドのハンセン病の研究・治療のため設立された、アジア救らいセンター(National JALMA Institute for Leprosy and Other Mycobacterial Diseases:通称JALMAセンター)が設立50周年を迎え、2013年12月5日、ウッタル・プラデーシュ州のアグラにある同センターで記念式典が開催されました。

式典が始まる前に、来賓の保健家族福祉省グラム・ナビ・アザド大臣が、初代所長の宮崎松記博士、2代目所長の西占貢博士のお墓に花を捧げられました。アザド大臣は謝辞の中で、JALMAセンターに感銘を受けたとともに、同省がJALMAセンターをモデルとした同様のセンターを今後2年間で15州に設置する予定であることを述べられました。日本側からは、在インド日本国大使館千正康裕一等書記官と、JICAインド事務所渡辺泰介次長が参列しました。また、千正一等書記官からの挨拶に続いて、西占博士のご令嬢である西村ゆりさんのメッセージも読み上げられました。西村さんは、「光の音符」というNGOを設立して、ムンバイのスラム街にあるハンセン病患者の子どもたちを支援しています。

JALMAセンターは、1963年のインド政府と日本の(財)アジア救らい協会(Japan Leprosy Mission for Asia:JALMA)の合意に基づき、1967年にアグラに設立されました。JALMAはアジア諸国におけるハンセン病の基礎研究および医療活動をおこなうことを目的として1962年に設立され、JALMAセンターの建設資金は民間からの募金によって集められました。ODAによる協力は1966年に医療機器や研究機材などの機材供与に始まり、1972年から75年までは「ライ研究」プロジェクトとして、ハンセン病治療・社会復帰・教育・研究の4分野における述べ7名の専門家を派遣しました。

JALMAセンターは、現在はインド政府に移管されていますが、構内の至る所に宮崎博士、西占博士の肖像写真が飾られており、関係者の深い敬意が表されています。宮崎博士は1972年のニューデリー日航機墜落事故で逝去、西占博士も1985年にアグラで逝去され、両博士のお墓はJALMAセンターの敷地内にあります。

式典では、多くの参加者やセンターの職員から宮崎博士と西占博士への感謝の言葉が聞かれ、インドでハンセン病対策のために力を尽くした多くの日本人の素晴らしい活動ぶりが、実に多くのインド人の心を打ったことを改めて感じる機会となりました。

【画像】

JALMAセンター内にある宮崎博士、西占博士とご令室のお墓

【画像】

50周年の記念誌「50 Years of JALMA:Glimpses into History」が配布されました