畑の母子手帳:キサンカードの挑戦-インドにおける点滴灌漑事業-

2018年10月22日

【画像】

キサンカード(表)

【画像】

キサンカード(裏)

ムンニが取り出したのは黄色のカードだった。キサンカードという。直訳すると農民カード。カードには、どのようなものをいくらで買ったか、肥料はどのようなものをいつ、いくら投入したか、そして、どんな作物をどれだけ収穫して、いくらで売ったかが書かれている。きゅうりは頻繁に収穫が可能なので、小まめに収入を得ていた。他の農家でもキャッシュフローが得られやすいきゅうりは人気だという。

ムンニは半年前、仲間と作る自助グループ、いわゆるSelf Help Group(SHG)の支援を受けて、44,300ルピー(約70,000円)で、点滴灌漑施設(井戸水を汲み上げ有機肥料を投入するポンプ、畑から水の蒸散を食い止める畝ビニール、そして有機肥料入りの水をホースから垂らす点滴灌漑の機材一式)、ビニール育苗施設、ミミズ堆肥施設を買い入れたところだ。必要資金のうち、65パーセントは円借款事業の仕組みとして州からの補助金、残る35パーセントのうち三分の一は頭金として現金で用意し、三分の二はSHGの信用力を担保にローンを組んだ。借りたローンは3年間で返済せねばならないので、点滴灌漑で収入が増える計算でローンも組んだ。SHGの仲間の目もあるし、迷惑をかけないためにも、しっかり成功させてローンを返済したい。

【画像】

ミミズ堆肥施設

有機肥料を含んだ土壌は、ミミズ堆肥施設を使って手作りする。畑の隅に、三ヶ月で肥料を作れるというこの施設を置き、雑草や堆肥など、教えられたとおりに重ねた。苗は、その隣に設置したビニール育苗施設で育てている。この施設で1ヵ月半程でタネを苗に育て、それから畑に植える。これまでは、タネを直接畑に撒いていたが、施設で苗まで育てることで、適切な温度管理や、肥料・水やりを効率的に行え、丈夫な苗を作ることができるようになった。畑の畝にはビニールをはり、余計な水を撒かないので、雑草も育ちにくくなった。畑仕事が効率的になり、収穫回数も増えた。一石二鳥か、三鳥だ。

ムンニには、もともとこんな知識はなかった。女性同士でつくるSHGにもそんなことを知っている人はいない。でも、方法を教えて貰ったら、その効果に驚きだ。円借款事業スタッフでもある州の生計向上組合の担当者が、小まめに地域を巡回して、営農指導をしてくれる。その時見せるのが冒頭のキサンカードだ。巡回指導員と一緒にキサンカードを見ながら、ムンニの小さな畑のプロジェクトが技術的に持続可能か、変な栽培方法を行なっていないか、余計な支出をしていないか、市場で求められている付加価値の高い作物を効果的に栽培しているか、収穫量や販売価格は適切か等の財務的健康状態を確認する。ローンの返済もあるので、おかしなことにならないよう細心の注意を要する。州の巡回指導員が、ムンニの畑の作物の助産師なら、さながら、キサンカードはムンニの畑の母子手帳だ。

【画像】

ビニール育苗施設。ここでタネを苗に育てる

【画像】

ムンニが1日で収穫した4キロのきゅうり。小まめに収穫できるそう

【画像】

Self Help Groupの集会

上記は、インドのジャルカンド州でJICAが実施している点滴灌漑事業の農家を訪問した時の一幕です。ジャルカンド州は豊かな鉱物資源に恵まれながら、人口の70パーセントが農業に従事しており、少数部族が多く、小規模農家が70パーセント以上を占めています。小規模農家は貧しく、教育、保健、女性蔑視の悪習が悪循環となっている状況でした。出稼ぎなどにより男性は不在のため、小さな農家の担い手は女性です。このため、もともと女性でつくるSHGがジャルカンド州ではいたるところに存在しています。女性たちが担っている農業ですが、気候や雨量等の自然状況によって作物の生産性が大きく影響するため、安定的な生産を作り出すことが難しく、市場に流通させるだけの十分な作物を作ることが難しい現状がありました。

このような状況をうけて、JICAはここジャルカンド州にて、小規模農家の女性農民を支援するため、2016年3月に借款契約を結び、7年間の予定で、貧困女性農民を支援する円借款事業を開始しました。円借款事業では、点滴灌漑施設・ビニール育苗施設・ミミズ堆肥施設の3点を1パッケージとし、貧困女性農家を対象に導入を行っています。最終的には、30,000世帯の女性農家をターゲットに導入を行う予定で、現時点で、700世帯にこのパッケージが導入されました。円借款事業では、パッケージの導入のみならず、農業技術も与えることで、所得向上を図り、現在の悪循環を断ち切ること目指しています。

この円借款事業には、2点のユニークな要素が含まれています。1点目は女性農家が35パーセントの費用を自己負担して、パッケージを導入しなければならないことです。これにより、オーナーシップを持つだけでなく、多くの女性農家は所属するSHGからローンを借り入れるため、これを返済するために、一生懸命、作物の生産性向上に取り組みます。そして2点目は、キサンカードです。これは、畑の状況をデータ化する目的で導入された新しいシステムで、1人1人の女性農家がそれぞれのキサンカードを持っています。キサンカードには、各女性農家が自分の畑の栽培状況や収支状況を把握し、改善に役立てるという目的のほかに、各女性農家が持っているキサンカードの情報を、州の生計向上組合の担当者が一箇所に収集し、様々な分析に使われることも予定されています。この分析により、作物のいっそうの収穫率をあげるために何か改善余地のあるのかを把握することができるようになります。

【画像】

キサンカードを手に、きゅうりの生産性向上を説明するムンニ

ムンニは言います。「このパッケージを導入して、農業技術のトレーニングも受けたので、以前よりも良い品質のきゅうりを短い期間で育てることができるようになったし、市場でも高く売れるようになった。パッケージを導入するために10,000ルピー(約16,000円)のローンを借りたが、予定よりも早く返済できそうだ。このパッケージを導入したことで農作業に割く時間も減ったので、余った時間は家事や自分のために使えるようになった。」

30,000世帯への導入を目指して始まったこの事業は、まだスタートラインにたったばかりです。一歩づつ、リスクを取りつつ改善を図っていく、ムンニのような挑戦者がインドの農村風景を変える日が来るかもしれません。