【インタビュー】前・キルギス日本センター共同所長 井口忠雄さん

2013年4月30日

2009年10月から13年3月末まで、キルギス日本センターの共同所長を務めた井口さん。2010年4月に起きた革命騒動などの時期を含め日本センターの運営に携わり、収益向上や現地との関係強化を進めてきた取り組みについて聞きました。

−現地赴任後にまず大変だったのは、カウンターパートであるキルギス民族大学との関係改善だったと伺っています。

インタビューを受ける井口さん

JICAの技術協力プロジェクトである日本センターを将来、現地に移管するにあたり、民族大学との良好な関係を保つことが、この事業の基盤です。しかし、私が着任した当時、双方の関係は非常に拗れていました。それはJICAプロジェクトとなる以前に発足した日本センターに対する現地側の期待と日本側の考えに理解の相違が有ったことによるものでした。それによる不満を私が着任する直前の会議で大学側が表明したことにより、着任後の双方の関係は悪く非常に大変でした。

それに加えて、キルギスでは反政府活動の激化に伴い、2010年4月7日に当時の野党勢力による大統領府占拠が起こり、政権が崩壊しました。私を含めた日本人スタッフは自宅待機を余議なくされました。こうした過程の中で、着任後わずか2年弱の間に大学の学長も3度交代するような状況でした。その間、大学から日本センターの建物の半分の返却を求める文書を受取ったこともありましたが、1週間後に撤回文書が送り届けられました。

キルギス民族大学とのジョイントセミナー サラバエフ教授の講義風景

しかし、そうした騒乱状態が多少落ち着いてきた2010年12月21日だったと記憶していますが、当時の学長だったアーリーベク・アクノフ氏から面談の申し出を受けました。アクノフ氏は、「日本センターが当大学にあるのは名誉なことであり、引き続き入居してほしい」と述べつつ、騒乱の最中に紛失したものと思われますが日本センター関連資料の再提出を要請されました。

私達はこれは大学からの非常に重要なメッセージだと受け止め、仕事おさめの12月28日に浜田業務調整員、オクサーナ所員と3人で、日本センター発足以降の関係書類の一式を学長に持参し、手渡しました。

日本センターではJICAプロジェクトがスタートした年から将来の自立化を目指すためにNPO法人が設立され、活動の有料化を進めており、そのNPOの財務資料を含めてお渡ししましたが、振り返ってこれが先方の信頼を得ることにつながったと思っています。

キルギス民族大学とのジョイントセミナーの講義風景

そうした中で2011年5月、大学との関係がなんとか修復し状況が整ったと判断し、大学とキルギス政府、日本大使館、JICA事務所、そして日本センターとの間で、日本センターの活動方針を決める機関である合同調整委員会を1年半ぶりに開催することができました。この会議では、大学の国際連携・投資関連部長であったテミール・ジュマカディロフ氏の日本センター共同所長就任が決定されるなど、両者の関係改善が進んで行きました。

その後、大学とのジョイントセミナーを開催したり、日本センターが仲介になって民族大学が日本の大学と学術協定を締結、そしてジュマカディロフ共同所長の日本センターでの常駐など、大学との関係は徐々にカウンターパートとしても実質の伴ったものとなっていきました。

−ご帰国前の2013年3月に民族大学から名誉博士号を授与されたとお聞きしましたが。

はい。お話をお聞きした時は少し驚きましたが、大学がJICAプロジェクトである日本センターをカウンターパートとして認めるに至った事の証しだと受け止め、有難く頂きました。それは、所員皆が日本センターを、大学だけでなくキルギスの人々の育成に役立だろうと頑張ってきた結果だと思っています。そのことをむしろ嬉しく思っています。

−自立化に向けた取り組みにより、収益面も向上したと伺いましたが。

担当職員による書道コース

キルギスは人口550万人程で経済規模が小さく、貧富の格差も大きい国です。従ってセンターが運営するビジネスや日本語などのコースに受講料を支払って参加できるのは一部の富裕層に限られています。キルギス人が経営しているのは零細企業ばかりです。大きな企業も少なく、それも殆どが外資という状況ですし、日本企業も皆無に近いのが現状です。加えて各国のドナーが実施する各種プロジェクトや事業も大半が無料ですから、収益事業を行って実を上げていくことは容易ではありません。

UNDPの会計監査人資格更新試験の風景

そういう中で自立化を目指していくには、既存のコース運営だけでは難しく、日本の大学から委託を受けて実施している留学フェアや各国等のドナー、あるいは大きな企業からの受託を発掘していくことに道があるかもしれないと考え、皆で努力を重ねてきました。しかし同時に、私は余り収益に走るのではなく、日本センターの事業の質を高めていく事が基本だと思っています。実は、帰国前の2月に国連開発計画(UNDP)からキルギスの会計監査人の国家資格更新試験を実施の打診を受け、120名を超える大掛かりな試験を3日間にわたって実施をしました。日本人専門家も関与していますが、具体的な準備その他はビジネスコース担当のスタッフ3名が準備にあたりました。帰国後に浜田業務調整員からの連絡でUNDPから責任者が訪ねられ、今回の試験では一切問題なく試験が実施され、JICAのプロジェクトである日本センターの評判は耳にしていたがお願いして良かったこと、また今後、IT講座の実施などUNDPと一緒に事業を実施する可能性が出てきたとの報告を受けました。この成功はスタッフの自信にもつながったと思いますし、私にとっても最近では一番嬉しい出来事でした。

−現地スタッフの育成は、どのように取り組まれていたのでしょうか。

当初、スタッフの多くは自分で考え、行動することが苦手というか、あまり積極的ではないように思え、自分の考えを発言することも殆どありませんでした。今にして考えると、公の場で年配者の考えを意見に異を唱えることは失礼だという社会的な規範も関係しているのだと思いますが、これは困るため、スタッフに自発的に物事に取り組む場を提供するなど、例えば、相互理解コースの文化講座では、スタッフ自らがプレゼンテーションする機会を作ったりしました。そうした取り組みを通じて、スタッフが少しずつ自信を持って人前で話をする姿に気づきました。機会を与えることは大事ですし、人の能力にたいした差はないと思います。機会と経験の積み重ねではないでしょうか。

−約3年半の経験を通して、今後のキルギスの発展についてお考えになったことを教えて下さい。

担当スタッフのプレゼンテーション風景

国の政策に関与する人々が自国の発展について考え、戦略を練っていく、そして国民の信頼を得ることだと思います。日本をはじめとするドナーも、彼らの望む援助を与えることも大切ですが、加えて、キルギスにとって大切だと思うことがあれば、遠慮せずそれを伝え、働き掛けていくことも必要だと思います。

−日本センターの今後に関しては、どのようにお考えでしょうか。

キルギス日本センターは、今後3年間、引き続きJICAの支援を受けることになりましたが、自立化を目指して、収益の向上に努力していくことになると思います。しかし、収益の向上を意識する余り、質の高いサービスの向上を忘れないようにして頂きたいと思っています。それが現地の発展につながるわけですから。また、相互理解の向上と云った収益には殆ど貢献しないが、実は日本センターの評価を大きく高めている活動を忘れないようにもして頂きたいと願っています。

担当スタッフが司会をする日本語で話そう会

日本センターはキルギスと日本と結節点であり、日本に興味のあるキルギス人、キルギスに興味のある日本人の拠りどころでもあるわけです。中国をはじめアジアの経済的な躍進に伴って、日本の相対的なプレゼンスの低下が喧伝されていますが、長い歴史と文化を誇りに思いながら高い技術を今なお誇る日本を評価し、憧れを抱く若い人達が多いキルギスでは、日本センターに対する期待が大きいと思います。両国の貴重な架け橋として日本センターの地に足のついた活動を今後も期待しています。