国際緊急援助隊医療チーム 日本を代表した国際緊急援助活動

浅井 康文 Yasufumi Asai

札幌医科大学附属病院高度救命救急センター 教授、国際緊急援助隊医療チーム支援委員会委員長

2001年エル・サルバドル地震、2004年スマトラ沖地震・津波(インドネシア・バンダアチェ。1次隊)国際緊急援助隊医療チームに副団長とし て派遣。国際緊急援助隊以外でも、1996年バングラデシュ竜巻災害調査(国際災害研究会)、1997年先進国における国際緊急援助実施体制・手法にかかる調査研 究調査(ノルウエー、ドイツ、スイス)、2002年シリア救急医療体制支援専門家チーム(団長)、2004年インドネシア国際緊急医療チームとの交流会 (団長)など、国際救急医療分野で幅広く活躍。北海道札幌市在住。

はじめに

1982年に国際緊急援助隊の派遣に関する法律が施行されて、今年で20周年を迎えます。2003年10月には独立行政法人・国際協力機構(JICA)となり、緒方貞子理事長のもと、我々一同、GO(政府組織)の立場で日本国を代表して国際緊急援助に貢献しようと日夜努力しております。

国際緊急援助隊と関わったきっかけ

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エルサルバドルで活動中の筆者(中央)

私の住んでいる北海道は地震や火山噴火が多く、災害医療を学ぶ必要性を感じ、また国際貢献をしたいと言う思いで、1993年2月に国際緊急援助隊の導入研 修を受け、多くの仲間を得、これが私の財産となっております。同年 7月に230人の津波等による犠牲者を出した北海道南西沖地震で現地調査に協力させてもらい、その後の研修会の講師などをやらせて頂きました。

エル・サルバドル地震、スマトラ沖地震・津波への出動

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インドネシア(バンダアチェ)での診療活動

2000年まで地方公務員は法律上、国際緊急援助隊の海外への派遣に加わることが出来ず,法の改正により2001年1月に地方公務員派遣として初めて、エ ル・サルバドル地震の副団長で活動しました。地方公務員に道を開いて頂いた、JICA、外務省、そして当時の太田宗夫支援委員会委員長、山本保博副委員長 に感謝します。国際緊急援助隊医療チームは、現在はあらゆる医療機関の医療従事者などから希望者を事前登録しておき、登録者の中からメンバーを選び、チームを作っ て派遣しています。災害はいつ発生するかわからず、突然の派遣に備えて、日ごろの研修や、職場や家族の理解が不可欠です。2004年12月のスマトラ島沖 地震は、過去100年間で最大の22万4千人余の死者を出しましたが、地震による大津波の医療支援に、国際緊急援助隊医療チームの派遣は4カ国に及びました。私は インドネシアのバンダアチェへの一次隊副団長として出動し、この時は三次隊から自衛隊へのサイトの引き継ぎがオールジャパンとして行われました。そしてこ れを契機に、インドネシア軍とゲリラとの和平が実現しバンダアチェに平和が訪れたことはすばらしいことでした。

これから派遣される人へ

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インドネシア(バンダアチェ)診療サイトの前で

私が支援委員会委員長を拝命してからの出動は、2006年5月に6000人以上の死者を出したジャワ島中部地震のみですが、過去にも3年間近く出動がなかったこともあり出動の機会は必ずあると思い、それに備えて登録者は研修を重ねております。

 現地での活動の目的は、被災国の人的被害の軽減、日本の国際社会への貢献・存在感、日本国民の国際協力参加の推進があげられます。さらに 切れ目のない災害支援(緊急援助、復旧・復興、予防・防災)と、わが国と被災国との友好関係の発展などがあります。国際緊急援助隊医療チームはこれまでの経験の蓄 積と研修の効果で、そのレベルは着実に向上し、メンバーは日本の災害においても中心的役割を果たしています。この災害における国際貢献に、全国からメン バーが集まってくれることを期待しています。