国際緊急援助隊医療チーム 看護師としての活動−被災者に励まされて−

川谷 陽子 Yoko Kawatani

愛知医科大学病院 高度救命救急センター救急外来 主任、救急看護認定看護師、国際緊急援助隊医療チーム総合調整部会研修実施検討会メンバー 中級研修実施検討会 外科・外傷班班員

2003年イラン国地震、2005年インドネシア国ニアス島地震(2次隊)、2006年インドネシア国ジャワ島中部地震に対し派遣された国際緊急援助隊医療チームに看護師として派遣。

国際緊急援助隊医療チームに登録したきっかけ

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毎日傷の処置を行った患児とともに(左端が筆者。2005年ニアス島沖地震)

就職して間もないころ、近隣空港で航空機の墜落事故があり、多数の患者様が運ばれてきました。その頃は「災害」という知識が全くなかったため、看護 師としてどうしたらよいか全く分かりませんでした。悲惨な体験や悲惨な現場を見た患者様や家族に対してどのような看護をしたらよいのか全く分からなかった のです。そのことがきっかけで災害看護に興味を持ち、姉が青年海外協力隊員だったこともあり国際緊急援助隊医療チームに登録しようと思いました。

 登録の前提となっていた導入研修では目から鱗の体験ばかりでした。ですが、導入研修で学んだ直後に東海豪雨があり、病院から救護所に派遣され研修がすぐに実践に役に立ったことを覚えています。

被災地で看護師として活動して

 「医療チーム」は医師・看護師・調整員で編成され、1チーム約20名程度で活動します。派遣期間は1チーム2週間単位ですが、活動内容は時間の経過と共 に変化します。初めて会う仲間と2週間の活動を共にするため、チームワークが非常に重要となります。医療チームにおいても初対面同士、出会ってすぐ互いの 意思疎通を図り、協力しあって活動をするため、高い協調性が要求されます。看護の技術だけでなく、精神面でも短期間に本当に密度の濃い体験をすることがで きます。こうした経験は有形無形の形で、看護全般に役立つのではないかと実感しています。

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2006年インドネシア・ジャワ島中部地震

私が派遣された2006年のインドネシアの地震では、外傷患者さんが7割を占め、傷が化膿している患者さんがほとんどでした。設備や物資が極端に不 足する中で、こうした重症患者さんの看護をするのは、困難の連続です。様々な看護の工夫が必要となります。また、最初はショックで無表情だった患者さんた ちが、救護がすすむにつれ笑顔を取り戻してくれるのを見て、励まされると同時に、使命感を新たにしました。被災して大変な状態にもかかわらず、患者さんか ら感謝のこもった手紙をもらったことも、忘れられない体験です。

 私の派遣は2003年のイラン地震のときが最初でしたが、私が所属する病院でも緊急援助隊の派遣はこれが最初のケースでした。この時は年 末であったにもかかわらず、看護師長をはじめ、看護師仲間が積極的に派遣に賛成してくれ、すでに決まっていた勤務シフトの調整など、出発に向けていろいろ な支援を行ってくれました。周囲の協力や応援がなかったら、派遣は実現しませんでした。また、家族も協力的で応援してくれています。

今後派遣される人へ

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2003年イラン地震での診察風景(右端が筆者)

被災地での活動は、身体的にも精神的にも大変なこともあります。しかし被災地での活動は今まで行ってきた看護を振り返ることができるだけでなく、今後の看護に必ず変化があります。また多くの大切な仲間に出会うことができ、その仲間は自分にとってすばらしい財産となります。

今後の派遣に向けて

あまり知られていませんが、国際緊急援助隊救助チームも医療班を帯同します。その医療班の一員として、毎年1回行われている国際緊急援助隊救助チームの総合訓練などにも参 加し学んでいます。救助チームの医療班の役割は、隊員に対するメディカルサポート、隊全体の衛生管理、要救助者への医療処置など多岐にわたります。今後は 救助チーム医療班として、今まで学んできたことを生かしていきたいと考えています。