パキスタン地震 国際緊急援助隊救助チームに参加して

石橋 俊彦 Toshihiko Ishibashi

国際緊急援助隊事務局 主査(派遣元:警視庁警備部警備第一課 警部補)

2005年パキスタン地震に際し、国際緊急援助隊救助チーム隊員として派遣される。2001〜2007年警視庁国際緊急援助隊登録隊員。東京都目黒区在住。

12回目の派遣となったパキスタン地震

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パキスタンで捜査活動中の筆者

2005年10月8日、パキスタンで発生した大地震に対し派遣された国際緊急援助隊救助チームは、1986年中米のエル・サルヴァドル地震災害(初回派遣)から 12回目となりました。各省庁及びJICAの各機関は、常時海外の災害情報収集を行っており災害が発生した際には、直ちに相互に連絡を取り合い、派遣に備 えて準備を開始します。パキスタン地震の発災時にも外務省の派遣決定の後隊員の人選が行われ、私も警視庁国際緊急援助隊登録隊員の中から選出され、派遣さ れました。

救助チームについて

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亡くなった少女に敬意をあらわす

救助チームは警察庁、消防庁、海上保安庁の救助隊員から構成されており、これらの救助隊員は日頃から災害時の救出・救助の厳しい訓練を充分に受け豊富な経 験と高い救助技能を有しています。また、救助隊員のほか、外務省から団長、JICA職員から業務調整員、医療班として医師・看護師が参加します。パキスタ ンのチーム構成は総勢49名で、本部班と救助班三個小隊を編成して活動に当たりました。活動機材は破壊・救助機器、探索機器、手工具、通信機器にテント等 を携行し、隊員の個人装備品としてはヘルメット、ユニホームの他に、個人用ザックにファーストエイドキット、マグライト等、必要最小限の水・食料(アル ファ米)を準備携行しました。

忘れられない遺族からの言葉

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少女の親族からの謝意

被災地バターモーリーでは、各省庁から集まった隊員が「一人でも多くの生存者を発見救出したい」という気持ちで一丸となり捜索・救出活動に取り組みまし た。あらゆる情報が飛び交う中、娘が行方不明になり途方にくれている家族からの要請により、捜索場所を特定し活動を開始しました。しかし土や石を積み上げ た脆い家屋は瓦礫と化し悲惨な状況でした。昼間は暑く埃と粉塵の中、手工具と素手による作業は、ゴーグル・マスク無しでは出来ず、標高が高いこともあって 息苦しくなりながらも交代で懸命な捜索活動を行いました。しかし、生存者救出の可能性に掛けた捜索活動の甲斐なく、少女は遺体となって発見されました。隊 員は肩を落とし無念でならなかったのですが、少女の親族から「これできちんとした伝統的な葬儀ができる。このことは、長くこの村に語り継がれるだろう。あ りがとう」と言われ、涙が溢れる思いでした。

これからに向けて

この時は残念ながら、生存者を救出することはできませんでした。しかし救助隊員が捜索救助に専念できたのもJICAスタッフの方々に全てのロジスティック を担当して頂いたり、関係者の後方支援があったりしたからこそです。私は、現在JICA国際緊急援助隊事務局へ出向しておりますが、パキスタンでの貴重な 経験を生かし、関係省庁・機関が目標をひとつにし、オールジャパンとしての活動が出来るよう尽力していきたいと考えています。