【JICA-RIフォーカス 第34号】後藤幸子研究員に聞く

2016年7月4日

平和構築:身につけた知識は紛争でも奪われない

近年、世界で勃発している暴力的紛争の多くが開発途上国で生じています。ここ数年は特に一般市民が犠牲となる事例が増えています。こうした中、JICAは、アフガニスタンやフィリピン・ミンダナオ地域、ウガンダ北部、南スーダンなどで平和構築支援の実績を積み重ねています。

後藤研究員は、平和構築や人間の安全保障をテーマとした研究に取り組んでいます。2013年から進めてきた研究プロジェクト「東アジアにおける人間の安全保障の実践」は第2期に入り、2015年11月には、新たな研究プロジェクト「失われた教育機会の回復:紛争中および紛争後の教育に関する研究」を開始しました。JICA職員として平和構築支援に取り組んできた経験もある後藤研究員に、2つの研究プロジェクトの目的や背景、平和構築に関する研究の意義などについて聞きました。

プロフィール
■JICA入構後、中国国際センター(広島県)、人間開発部、アフガニスタン事務所などを経て、2013年より現職。

一人ひとりの生命、生活、尊厳の確保を「実践」するために

-「東アジアにおける人間の安全保障の実践」の目的と進捗は?

「人間の安全保障」という考え方は、1994年に国連開発計画の『人間開発報告書』で提起されて以降、国際的に注目を集めるようになった概念です。その定義をめぐってはさまざまな議論がされてきましたが、近年では「一人ひとりの人間の基本的自由(恐怖からの自由、欠乏からの自由、尊厳をもって生きる自由)を、上からの『保護』と下からの『エンパワメント(能力強化)』によって守ること」という一定の共通認識が形成されています。このように、概念についての議論は深められてきた一方で、例えば紛争や自然災害、感染症の爆発的流行など人々の生命・生活・尊厳を脅かす危機が実際に起こったとき、その現場で人間の安全保障をいかに確保していくかという、「実践」に焦点を当てた研究は、まだ十分になされていません。現場での実践に資するよりよい援助のあり方をまとめる必要があるとの問題意識から、この研究プロジェクトはスタートしました。

プロジェクトが始まったのは2013年。研究は2段階に分かれていて、第1段階では、東アジア地域(ASEAN8ヵ国+日中韓の計11ヵ国)を対象に、各国で人間の安全保障がどのような概念として理解され、またどのような問題が人間の安全保障に対する脅威と認識されているのかを政策文書や主な関係者へのインタビューから調査・分析しました。このうち10ヵ国分については、すでに研究所のワーキングペーパーとして刊行されており、残る1ヵ国についても近く刊行予定です。現在、進行中の第2段階研究では、実際に人間の安全保障上の脅威となった具体的危機に対処した事例を詳細に分析し、そうした問題の発生に際してより適切に対応していくために必要な実践のあり方を探っていきます。

事例には自然災害、暴力的紛争、感染症などを含み、共通の3つのリサーチ・クエスチョンから比較事例分析を行います。

リサーチ・クエスチョンの1つは、国家の安全保障と人間の安全保障とが必ずしも一致しない場合にどのような対応を行いうるのかです。たとえば、今回、取り上げる事例の一つは2008年にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスの災害ですが、当時のミャンマー政府は国外からの援助の受け入れに消極的でした。一方で、その被害の甚大さから、ミャンマー政府だけでは十分な被災者支援は難しいとの考えもありました。研究では、このような状況で人間の安全保障を確保するためにどのような対応があり得るのかを分析します。

2つ目は、包括的な対応をいかに行うかです。人間の安全保障に脅威をもたらす危機的状況は、複雑に絡み合った複数の要因から引き起こされることがほとんどです。人道支援と開発援助、政府と民間などアクター間の枠組みを取り払った包括的な支援をどうすれば実践できるかを、過去の事例から分析していきます。

3つ目は、エンパワメントをどのように促進していけるかです。現実の実践、特に援助の実施においては支援する側がトップダウンで危機下の人々を「保護」することに偏りがちだからです。

研究の成果は、JICAやその他の機関が現場で支援を展開していく上での教訓や提言になるだけでなく、東アジア以外の地域へも応用できると期待しています。

教育機会を失った人々が永続的平和の実現を左右する

-新たにスタートした「失われた教育機会の回復:紛争中および紛争後の教育に関する研究」の目的は?

ミレニアム開発目標(MDGs)の教育目標を達成できなかった地域の多くが紛争地域でした。紛争と教育は相互に影響し合っており、近年、この両者に対する関心が研究・実務の双方で高まっています。JICAをはじめとする援助機関・団体が、多くの紛争影響国で、教育インフラの復旧や教育制度の再構築、教育関係者の能力開発などに取り組んできましたが、支援はその時点で学齢期にある子どもたちを対象にしたものに偏りがちです。しかし、紛争影響国では、紛争のため、多くの人々が教育機会を失ったまま学齢期を過ぎ、青年あるいは壮年と言われる年齢になっています。彼らが教育をやり直す機会(教育の「セカンド・チャンス」)を保障することは、学齢期にある子どもたちへの教育と同様に大変重要です。

厳しい状況が続くパレスチナ自治区、ヨルダン川西岸(写真:久野真一/JICA)

これは第1に、教育は人間の基本的権利の一つであり、また教育を通じて得られる様々な知識や能力は人間の安全保障のための3つの自由を確保する上でも大事な役割を果たすと考えられるためです。私は、JICA研究所に配属になる前、JICAの海外研修制度の一環でパレスチナのヨルダン川西岸で過ごす機会がありました。パレスチナでは、70年近くに及ぶ紛争で多くの人が住む家や生活の糧である土地や故郷を失い、今も占領下で様々な制約や不公正を課された生活を強いられています。現地の人々から「占領下で家や土地は奪われても、自分が身につけた知識や能力だけは誰も奪うことはできない」「教育を受けることは、人間としての尊厳を保つこと」という言葉を聞いたことが強く印象に残っています。

「セカンド・チャンス」が重要な第2の理由は、こうした青壮年世代の人々は社会の中心的担い手となる層であり、紛争後の国の復興を進めていく上で重要な人材であるということです。しかし一方で、紛争が再び起きたときには最も「兵力」となりやすく、社会を不安定化させるリスクがある世代ともいわれています。こうした青壮年世代が教育へのアクセスを回復し、人生の「やり直し」ができる機会を十分に得られることは、平和構築にもつながる可能性があるのではないかと考えています。

ライフ・ストーリーから教育の「セカンド・チャンス」のあり方を探る

-研究の具体的な進め方は?

この研究では、「ライフ・ストーリー」の収集・分析というアプローチを考えています。紛争の影響により一度は教育の機会を失ったものの、なんらかの形で再び教育を受けるチャンスを得て成功した人に、どのような体験を経て成功に至ったのかを詳しくインタビューし、そのプロセスを掘り起こしていくことによって、成功の要因を分析するという手法です。「セカンド・チャンス」を可能にした要因には、本人のモチベーションや努力といった主観的なものから、家族・周囲からの支援、政府の教育制度のあり方や第三者による支援プログラムの存在、それらにアクセスできる環境など客観的なものまで、さまざまな要因が考えられます。それらを明らかにすることによって、今後、教育機会を失ったまま大人になってしまった人々が「セカンド・チャンス」を得るためにどのような政策・制度や支援プログラムが役に立つのかを分析し、援助の実践に参考になるような知見を引き出せればと考えています。

プロジェクトでは、紛争による教育機会喪失の形態(難民・国内避難民化が多い紛争、児童兵の問題が深刻だった紛争など)と地域的バランスを考慮し、ルワンダ、ウガンダ北部、東ティモール、ボスニア・ヘルツェゴビナ、パレスチナの5つの紛争事例を取り上げ、それぞれの事例についてライフ・ストーリーの収集を行う予定です。5つの事例の中でパレスチナは唯一、今も軍事占領下にあり紛争が終わっていないため特殊な事例ではありますが、興味深い教訓を得られると考えています。

開発や成長にとっても重要な平和構築

-JICAが平和構築やその研究に取り組む意義とは?

近年の紛争はその多くが開発途上地域で発生しています。そして、これは特に1990年代後半以降広く意識されるようになったことですが、援助事業は、やり方を誤れば対象国における紛争の発生・継続を助長する恐れがあります。逆に、援助事業を通じて、紛争の予防や緊張関係の緩和に貢献できる可能性もあります。開発協力を進める上で、紛争や平和構築に対する理解は必要不可欠です。2015年2月に閣議決定された開発協力大綱でも、重点課題の一つに、包括的で「切れ目のない平和構築支援」があげられています。

さらに大綱では、この他の重点課題として「質の高い成長」を掲げていますが、紛争は多くの物理的・社会的損害を当該国・社会にもたらしますので、成長の実現にとっても平和構築は重要です。また、開発や経済成長の度合いが低い国ほど紛争が発生しやすいといった研究結果もあるように、一定程度の成長は平和で安定した社会を実現するための土台ともなりうるものです。特に「質の高い成長」の一要素として挙げられている「包摂性」は、紛争要因としてしばしば指摘される「水平的不平等」(民族や宗教など異なるアイデンティティを持つ集団間の不平等)の解消を志向するものであり、永続的な平和を実現していく上でも重要な要素であると考えます。

パレスチナの子どもたち

日本は戦後70年間、非軍事的手段にほぼ特化する形で国際的な平和・安全の問題に関与してきました。このことが特に現場において意味するのは、他国民に直接的な危害を与えていない、ということです。これは平和構築に取り組む上では大きなアドバンテージだと思います。外部からやってきて「平和を実現するお手伝いをします」という時に、その土地の人々を誰も傷つけていないことは非常に大きく、ある種の説得力を持つはずです。JICAもそうした日本の開発援助機関として、さらに大きな貢献ができる余地がまだあるように思います。私自身が取り組む研究も、そうした貢献にささやかであってもつながればと考えています。

私自身は、子どものころから、どうしたら戦争や武力紛争など暴力により大勢の人が殺し合ったり憎しみ合ったりする状況のない社会になるのかということを漠然と考えていました。JICAに入構後は、原爆の災禍から復興した広島にあるJICA中国で、開発途上国から招いた教員や行政官に対する平和構築をテーマにした研修の企画・実施を担当しました。その後、アフガニスタンで職業訓練を行うプロジェクトなどを担当した後、アフガニスタンに2年余り駐在し、主に保健や教育分野の事業を担当しました。JICA研究所の研究は少なからず現場にフィードバックすることを目的としていますから、紛争影響国の現場を経験していることは平和構築研究を進める上でも役立っていると思います。