【JICA-RIフォーカス 第35号】萱島信子JICA研究所副所長に聞く

2016年9月5日

JICA事業をアカデミズムの視点から概念化する

2016年4月、長くJICAの教育開発にかかわってきた萱島信子がJICA研究所の副所長に着任しました。自身の関心領域である教育開発の現状、開発をめぐる変化と研究の役割、さらに初の女性副所長としての考えを聞きました。

プロフィール
1982年JICA入構。研修事業部、企画部、社会開発協力部、バングラデシュ事務所、人間開発部などを経て2016年4月から現職。研究・関心領域は開発途上国の教育開発、大学の国際協力、高等教育の国際化。

教える関係から学び合う関係へ

-開発のまわりで起きている変化とは?

この世界で長く仕事をしてきて、今、パラダイムシフトが起こっていると感じています。社会セクターを中心としたミレニアム開発目標(MDGs)が15年間続き、それだけでは十分でないとして、経済セクターや環境の面も取り込んだ持続可能な開発目標(SDGs)が2015年に採択されました。また、MDGsは途上国の開発目標でしたがSDGsは途上国と先進国のどちらもが背負う目標です。中進国が著しい成長を見せるなど途上国の中の多様化が進む一方で、先進国と途上国に共通する課題が増えて、先進国から途上国を見るという一方的な視線だったものが、SDGsではお互いを見る視線に変化しています。

自分が関わってきた教育開発でも、かつては途上国支援は遠い国の仕事との印象があったと思いますが、それがだんだん日本国内の問題と近似してきていることを、ひしひしと感じています。

教育分野では、高等教育の国際化が必須になってきています。大学は、諸外国と国際的な共同研究をおこなうことや国際社会で活躍できる人材を育てること、さらには国際社会の一員としてグローバルな課題に貢献することも求められるなど、多くの改革を迫られています。

先日、「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」のアジア大学ランキング2016で、前年まで1位だった東京大学が7位に落ちたことが報道されていました。このランキング結果を見ると、中国、韓国、シンガポールが強くて、さらに100位以内には、マレーシアやタイのトップ大学も入っています。日本の研究能力や学術の蓄積が優れているから日本が一方的に教えるという構図ではなくなってきているのですね。

また、今、日系ブラジル人をはじめとして日本で暮らす外国籍の人が増え、母語が日本語でない子どもたちにどういう教育をしていくかが大きな問題になっています。アメリカやイギリスは、移民の子どもたちやさまざまなエスニック・グループの子どもたちに対する教育に関して長い歴史を持っていますが、日本にとっては新しい課題です。言語と教育の問題は途上国では古くて新しい課題ですが、日本も同様の課題への対応が求められるようになりました。母語が日本語ではない日系ブラジル人の子どもたちの教育問題は、例えば、小学校1年生から英語での教育が始まるニジェールで、算数をどう教えるのかということに似ているかもしれません。

スリランカの子どもたち(写真:中原二郎/JICA)

さらに、日本でも子どもの貧困の問題が出てきています。今までは日本が教育開発の解決策を持っていて、例えば質の高い日本の理数科教育のノウハウを途上国支援に活用していたわけですが、日本で自分の足元を見てみると、新たな課題や問題が生まれていて、それらに関しては途上国の方が経験を持っているかもしれないのです。

以前スリランカの小学校に視察に行ったとき、子どもたちが真っ白な制服を着ている様子を見ました。当時自分の子どもが小学生でしたから、洗濯が大変だろうなと思いました。でも、「うちの子もこうやって毎日白い制服着て学校に行くようになったわね」と子供の成長を喜ぶ親の姿も想像できました。子どもを学校にやれる喜びは、途上国であろうが日本であろうが変わらない。途上国と日本の間で共通する教育課題が徐々に増えていますが、途上国の教育を取り巻く人々の気持ちに共感することも大事だと思っています。

先進国の大学と途上国との関わりを研究

-教育開発との関わりは?

私は、高等教育協力に日本の大学がどう関わっているかを研究しています。日本の大学の教員がJICAのプロジェクトに参加する動機は何なのか、それによって何を得ているのか、また、大学の組織的な関与はどのようになっているのか。それを調べることによって、日本の大学や教員が国際協力事業に参加しやすい仕組みを作り、結果として国際協力の質の向上に貢献できればと思っています。

JICAは今までは主に途上国の教育に関心のある研究者やコンサルタントの皆さんと事業をやってきたのですが、これからは広く日本国内の教育に関わる多くの教員や教育委員会の方たちと一緒に、途上国の問題を考えていけないだろうかと思っています。

また、少子化の環境の中で、日本の教育産業も途上国にマーケットを求め始めています。こうした民間企業と途上国をつなげることができないかと考えています。民間企業や市民団体レベルでの連携や交流が活発になることにより、日本をはじめとする先進国の子どもたちが途上国のことに触れる機会が増えるのではないでしょうか。

記録・保管し、発信し、外部と内部をつないでいく

-JICA研究所が果たす役割とは?

3つあると思います。

1つ目はJICAの事業のデータや実績を残していくこと、しかも学術的な活動に使える形で残していくことです。開発に関して分析したり調べたりする材料は、援助の現場であるJICAに豊富にあり、その記録・保管という作業はJICA研究所のようなところでなければなかなかできないと思います。今、「ODA歴史研究」という研究事業が始まっていて、日本のODAの開始時から現在まで、ODA政策やJICA事業がどう変化してきたのかということを分析して書籍化しようとしています。そのほか、JICA事業のインパクト分析の研究も、これに該当するでしょう。

2つ目は、JICAの事業について発信していく仕事。例えば、学術的な研究ではないのですが、読み物としてまとめた「プロジェクト・ヒストリー」のシリーズなども、広い層の人にJICAの事業を理解してもらえるようにJICAのデータを加工して発信している仕事です。一方、アカデミックな発信としては、研究員が作成しているワーキングペーパーがあります。「ODA歴史研究」やインパクト分析の研究にも、記録だけでなく発信していく要素もあります。

3つ目は、アカデミックな世界や国際場裏で議論されたり研究されたりしていることを、事業実施機関であるJICAの内部に分かりやすい形で伝えていくこと。さらには、JICAの他の部署の職員と一緒に作業して、国際場裏にアプローチしていくような側面もあるだろうと思っています。

これまでのJICAの実践が注目されている

日本が協力したペルーの国家緊急オペレーションセンター
(写真:岡原功祐/JICA)

-SDGsや「質の高い成長」とのかかわりは?

SDGsは、経済セクターや環境の面も取り込み、先進国と途上国を対象にした目標として採択されました。同じ2015年に日本政府が閣議決定した開発協力大綱でも「成長」というキーワードが出てきました。単なる成長でなく、格差の問題、人間の安全保障的な側面、環境の側面も取り込んだ「質の高い成長」です。

しかしながら、実はこれらのキーワードは、どれもJICAがこれまでやってきたことなのではないかと思っています。Inclusive & Dynamic DevelopmentがJICAのモットーであり、これまで常に社会セクターと経済セクターの両方に軸足を置きつつやってきた。となると研究所のやるべきことは、SDGsや「質の高い成長」という言葉を用いて、JICAの事業をどう説明できるのかを考える、つまりJICA事業とこうした概念をつなぐところだと思うのです。そのうえで、不足している部分、足りない部分があるのかどうかを考える。例えばレジリエンスを例に取ると、JICAは防災面では非常に実績があるのですが、エクスターナル・ショックは、災害だけではない。紛争や経済危機もあります。このようにJICAの得意な分野・不得意な分野、実績の大小があるかもしれない。これを明確にしていくことで、JICAが次にやるべきことが見えてくるのではと思っています。

JICA研究所初の女性副所長として

-研究・仕事におけるジェンダーについて

JICAでも、女性をもっと活用しよう、活躍させようという意識はすごく高まっています。役員も、執行職(部長レベル)も、女性が増えています。ただ、JICAは以前から、女性にのびのび仕事をさせるという気風があったような気がします。私自身も女性だからといって萎縮することなくやってこれました。

女性の中には、子どもを持つことで仕事の仲間から遅れをとるとか、やらなくてはいけないことができないとか感じることがあるかも知れませんが、それはずっと続くことではありません。男性でも健康を害して第一線から一時的に身を引く人も、親の介護に直面する人もいます。組織が、女性を含む多様な働き方を認めることが大切だと思います。私自身は2人の子どもを産んで、1人目の時は生後10か月、2人目の時は生後5か月で復職しました。復職してからも育児時間は割と長く取ることができました。早く帰るとか、時差出勤とか、出張は少なくとか、周りのサポートにはいつも助けられて、本当に感謝しています。

研究所で勤務して、女性である私の視点で気付いたことがあれば組織に伝えていくと思います。ですが、ジェンダーの問題も、当事者でないと理解できないとなってしまうと、女性の問題は女性でしか解決できないということになってしまいます。ジェンダー以外でも、例えば障害の持った人の問題は、障害当事者だけで理解し解決すべき問題ではないでしょう。ジェンダーに関しても、障害に関しても、途上国の問題に関しても、他者を理解し共感するセンシティビティをいつも持つことが大事だと思います。