国際協力推進員 京都府担当
森 万佐子(もり まさこ)
バオバブの林
2012年5月から京都府担当のJICA国際協力推進員に着任しました森万佐子です。青年協力隊員として、西アフリカのセネガル共和国の地方にあるカフリンという町で小学校教諭として活動をしました。
大学では社会学を学び、飲食店のコンサルティングを行なうベンチャー企業に就職しました。その後、、通信教育で教員免許を取得し、小学校で教員の仕事をしていました。「アフリカに行ってみたい!」という単純な理由で参加した協力隊ですが、セネガル、そしてセネガル人と出会ったことで、国際協力について、そして、その大切さを学びました。
夏休み中のキャンプで体育の指導。ころがしドッヂで盛り上がりました。
着任時は産まれたばかりだったファティマタちゃん。彼女と一緒に成長した2年間でした。
私にとって協力隊員としての2年間はとても学び多きものでした。任地の方々と一緒に生活し、仕事をする中で、何をすることができるのかを日々悩みました。一つずつ壁を取り除き歩調を合わせながら、いかに自分がこれまで自分のことを説明せずに周りに甘えて生きてきたかに気付かされ、自分(日本人)の当たり前は世界基準ではないことを知りました。
協力隊は、それぞれ素晴らしい経験をしています。それを語ることをしないうちに年月が経過すると、多くを忘れてしまいます。
「(2年間)どうだった?」
「うん、良かったよ。」
協力隊経験に限らず、何かの経験について、皆さんもこのような会話をしたことがあると思います。「良かった。」その一言では足りないはずなのに、会話の中ではそうとしか言えない。このまま放置しておくのは、とてももったいないことです。しかし、「良かった。」以上を語るには、それなりの「伝える場」が必要です。「伝えるべきことをその人の言葉で効果的に伝えられる場をたくさん作りたい!」そんな思いから推進員の仕事を志望しました。協力隊に限らず、日本の国際協力がきちんと発信され、受信されるものとなるよう考えていきたいです。
任地を去る前日、配属先から感謝状を頂き、大感激!
東日本大震災が起こった時、私は、セネガルで活動中でした。ニュースを見たセネガル人の友人たちが心配して声をかけてくれたり、電話やメールをくれたりしました。
「両親や友人は無事か。」、
「本当に気の毒だ。なんでこんな大変なことが起こったのか。」、
「日本人はなんて危ないところに住んでいるんだ!そんなところに住んでないで全員でセネガルに移住して来ればいいんだ!!」
セネガルで震災の報道がされなくなっても、「フクシマの問題は解決したのか。」と声をかけ続けてくれました。それは帰国した今でも、連絡をとると聞かれることがあります。
私と同じように、任地の方に優しい言葉を頂いた隊員はたくさんいると思います。日本人はどこかで災害があった時に、「その国の人が全員日本に移住して来ればいい。」と言えるでしょうか。何人ものセネガル人の友人たちは本気でそう言ってくれていました。「どうして無理なんだ。」と言われ、説明するのに困ったほどです。自分の国より物質的に豊かでいい暮らしをしている日本人に対して、素直に助けたいと思い、そのように表現してくれる友人たちの気持ちがとても嬉しかったです。
また、活動先の小学校で震災応援メッセージを集めた時に、現場の先生が子供たちに熱を込めて震災の被害を語ってくれたことも、とても印象に残っています。
「国際協力を伝える」というスキルを磨くべく、色々な方の手法を学びながら実践していきたい。また、多くの人と関わり意見交換をしながら、人を繋ぎ、人の輪を広げたい。そして、その中で国際協力のきっかけを掴んだり、新しいネットワークやアイディアを得られたりする方が一人でも多くいらっしゃるといいなと思います。