どこでも笑顔でいられるか

大城さん(右)

神戸市立医療センター西市民病院
看護師
大城 温子
(青年海外協力隊OG 22年度4次隊 ベトナム)

はじめまして

Xin chao!! ハイサイ!! こんにちは!! わたしは沖縄生まれ沖縄育ち、東京の病院で働いた後、青年海外協力隊へ応募し、今は神戸で看護師をしています。協力隊へ行きたいと思ったきっかけは、当時青年海外協力隊に参加していた小学校の先生が派遣中に送ってくれた通信です。なぜか私も大きくなったらこれに行くんだと思い、ワクワクしながら読んでいました。国際協力という言葉も知りませんでしたが、知らない国の人と見たことのない場所で笑っている先生がとてもかっこよく楽しそうに見えました。派遣が決まって先生へ連絡をしたとき、「この2年で日本での10年分の出会いがあるよ。」と言われました。実際、ベトナムで出会った神戸の病院関係者から今の仕事を紹介いただき、現在ベトナムの人と関わりながら働いています。

私の当たり前はみんなの非常識

ベトナムの配属先の病院で。

ベトナムのお母さんと一緒に。

「ベトナムの人と笑顔を共にしたい。」意気込むなと言われても気合で満ち溢れた赴任当初、出国前に自分で言った言葉とは程遠い眉間にしわを寄せる毎日。「それは日本だから。」「アツコは間違っている。」同僚のやることなすことが気に入らない。患者さんは日々亡くなっていく。わたしは何のために来たんだろう、居る意味はあるのか、答えの出ない質問を頭の中で繰り返す。「アツコはベトナムに来て楽しい?」そう聞かれて何も言うことが出来ませんでした。

ボランティアだから受け入れてもらえると甘く考えていましたが、関係は自分で作らないといけないと時間がたってからようやく気づきました。時間を共にする中で、少しずつですが私の話に興味を持ってくれる同僚や協力する人が出てきました。日本人として真面目にお手本とならなければならないと勝手に自分で自分の首を絞めていましたが、目標を「目指せベトナム人に負けない陽気な日本人」へ変えてから、自然に笑えるようになりました。現在、任地では後任のボランティアが活動しています。私は、よく食べて踊って飲んでいた人と伝えられているそうです。日本人は悪い人じゃないということだけは伝えられたようです。言葉のままならない私を呼んでくれる患者さん、毎日通う弁当屋のおばちゃんのおまけ、たくさんの人の笑顔に支えられました。まずは口を出すよりも一緒に居ること、焦らず・怒らず・諦めず、そしてちょっと面白い、ということが異文化で何かをやる上では大事だと学びました。

帰国後の進路

日本に研修に来ているダナンの看護師・助産師と。

研修に奮闘中!

私の派遣中に神戸市とJICAが取り組む草の根技術協力事業のプロジェクトが始まりました。ダナンにいる日本人看護師ということで、私も協議に呼んでいただき話をする機会が何度かありました。そこで帰国後の進路をきかれ、決まっていないならうちの病院にきてはどうかと声をかけてもらいました。帰国後も任地と関わることが出来る上、神戸の病院の近隣にはベトナム人が多く住んでいる地区があります。しかし、海外へ行きたいという気持ちだけで、えいやっと乗り込むことが出来たうえに、長く現場を離れているのに日本で働くことが出来るのか不安で怖い。

「この10年分の出会いと人脈をどう生かすか楽しみだね。」
またしても影響を受けた先生からタイミングのよいメールが届きました。初めての関西に馴染めるかも心配していましたが、日本でもベトナムと関わる機会はなかなかない。何より日本では日本語が通じるから大丈夫だよと同期から背中を押され、今に至ります。おかげで、日本で会うことを約束してさよならをしたベトナムの母と、無事に神戸で再会を果たすことが出来ました。

日本に違和感

皆で記念撮影。(右から3人目が大城さん)

帰りたいと待ち望んだ日本でしたが、2年も過ごすと身体はすっかりベトナムに染まっていました。ベトナム赴任当初のように眉間にしわを寄せることから始まった日本での生活。2年の経験を社会還元しなければとまた自分で頼まれてもいない重荷を背負って、落ち込んでしまうこともありました。患者さんと毎日笑顔を交わせるように、また少しずつ日本に居る時間を増やしていこうと思います。