研修コース名:2014年度 橋梁総合コース
研修期間:2014年9月8日から10月25日まで
役職名:Structural Engineer(構造工学技士) Panama Canal Authorityパナマ運河庁
名前:Ms. CESPEDES MELENDEZ Gloribel Arlin(グロリ)
今年竣工100周年を迎えた中米の太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河には現在2本の橋が架かっています。どちらも太平洋側にある橋です。そして今、いままで橋のなかった大西洋側に第3の橋の建設工事が進行中です。一方、太平洋側にある2本の橋に平行して第4の橋を架ける案が政府によって検討されています。現地で橋梁建設プロジェクトに携わる若き技師、グロリさんに祖国パナマの大運河橋梁建設計画とそれに関わるご自身の橋の設計技師としての抱負、また日本で経験したことや感じたことについてレポートしていただきました。
Bridge of the Americasにて 1963年建設
パナマ運河プロジェクトの進展に伴って、パナマ運河庁は大西洋側の岸をつなぐ3本目の設計および建設の責任を負い、私の所属する技術部門はこの仕事を中心になって担っています。このプロジェクトのフィージビリティ・スタディ(可能性調査)が落札した5年前、構造工学ユニットに所属していた私は上司からこの橋梁建設事業に参加するよう求められました。これは橋に大いに興味を持つ私にとって望外のチャンスです。というのは、この橋は型式にしてもその規模にしてもパナマにある橋の中で2番目に位置するものだからです。私は橋梁設計に係る要請文書の作成、相互評価、建設請負契約、設計審査、そして1000を超える図面についての協働作業に参加することができました。
運河に架ける3本目の橋はフランスのヴィンチ・グランド・プロジェクトチームによって現在建設中で、2016年7月に完成予定です。2013年1月に建設を開始したこの橋はコンクリート製の斜張橋で主径間が530メートル、高さ75メートル、総延長が4,900メートルあります。これが完成すれば、コンクリート製の斜張橋として最大であるノルウェーのSkarnsun 橋(同じく主径間530メートル)と並びます。ただし、Skarnsun 橋は2車線ですが、パナマ運河に架かる橋は4車線です。
そしてパナマ政府は、太平洋側に架ける4本目の橋の予備調査および基本設計に係る要請文書を作成するようパナマ運河庁に指示しました。この仕事を手掛ける上司の手伝いをするチャンスが再び私に訪れました。この契約はヨーロッパの合弁企業が落札し、基本設計が示されましたが、それによると主径間は540メートル、高さが75メートルで総延長は7キロメートルに及びます。私は要請文書の作成と300の図面の評価に携わりました。この予備調査の結果は、第4橋梁建設と3本目の地下鉄建設が実行に移される場合の担当部署である都市整備局に提出され、現在この2つのプロジェクトへの融資に関心を持ったJICAが現在実現の可能性を調査中です。
株式会社横河ブリッジにて
私が現在エンジニアになったのには家族の存在が大きいと思います。ヒスパニック系の家族で育った私は、両親に大いに影響を受けました。二人は常に私のインスピレーション(ひらめき)の基であり、手本でした。父は生産工学の技術者として働いていますが、勉学に励み奨学金を得てアメリカで学んだことを知り、私もそうしたいと思いました。貧しさに負けず努力を続け、専門家として成功する姿を見て、どんなに困難に見えても克服することができることを学びました。私は日々目標に向かって努力を続け、誤りから学ぶことによってより良い自分を目指そうとしています。私は理想主義者です。本当に望めば夢は叶うと思います。「求めよ、さらば与えられん」’Querer es poder’ これは、幼いころ母が教えてくれた私の大事なモットーの一つです。この言葉を私はいつも念頭に置いて物事にあたっています。
学校で勉強を始めて以来、私は数学と物理にずっと興味を持ってきました。またモノの構造を解明すること、とりわけ構造物の制作と修正にかかわることに関心があります。ですから大学進学で専攻を選ぶとき、微積分、物理、化学など高校時代に得意だった分野の含まれる工学部に進むのが自分に最も相応しいと思ったのです。しかし土木工学分野に進むことに真に影響したのは、家族とともに旅行するたびにわたし自身が思い描いた建物や構造物でしょう。ピサの斜塔、バチカンのシスティーナ礼拝堂、マヤのピラミッドなど、私を魅了し影響を与えた建造物です。そして今、私は土木工学分野を自分のキャリアに選んだことを本当に幸せなことと感じています。
私は構造工学に情熱を燃やしていますが、この分野への興味が膨らんだのはコンクリート設計の授業で教授が紹介したフランスのタルン川に架かるミヨー橋という、世界で一番高い斜張橋のことを知ってからです。この驚異的な技術を目にして、いつか自分もあんな構造物を造るチームの一員になりたいと決心したのです。その時は、あのミヨー橋を設計した技師に会える機会があるなど想像もしていませんでしたが、2年前、太平洋側の運河に架ける4本目の橋の設計に参加したMichel Virlogeux氏本人に会うことができたのは本当に幸運でした。
パナマ運河は77.1キロメートルのパナマ国内にある大西洋と太平洋をつなぐ船舶運航のための運河で、アメリカ合衆国によって造られ1914年8月15日に正式に開通しました。運河はパナマ地峡を横断する国際的な海運業の主要な水路です。およそ8時間をかけて35隻の船が毎日運河を通行します。掘削作業を軽減するために設けられた標高26メートルにある人工湖、ガトゥン湖まで船を持ち上げるために、運河の両端には水門が設けられています。
パナマ運河で働くことは、土木技師としてだけでなくパナマ人としても名誉なことです。1999年12月31日にアメリカ合衆国から返還されて以来14年間私たち自身の手で管理したパナマ運河は今年100周年を迎えたのです。現在、パナマ運河の建設以来最大の拡張工事が行われています。この50億ドルのプロジェクトでは閘門が新設され、新たな航路が拓かれて水路の運航能力が倍になります。パナマ運河の構造技師として、私はゲート、タワー、放水路、浚渫機、クレーン、係留などを含むパナマ運河に関わる設計、構造物の点検などに携わっています。
パナマ運河拡張工事に携わる170名の女性エンジニアの一員であることは、とても幸運なことです。この数字はパナマ運河で働く人員の28%に当たりますが、割合は日々増えていっています。現エンジニアリング部の副部長は女性エンジニアで、私たち後進の女性エンジニアの憧れです。将来は私も彼女のようになりたいと思います。
工学分野で学ぶ学生のうち、30パーセントほどが女学生ですがこの割合は増えつつあります。パナマの女性は、経済的な安定をもたらす専門職としてキャリアを積むことを指向しますが、エンジニアもその分野の一つです。女性エンジニアの多くは産業工学もしくは土木工学を学びますが、機械工学や電気・通信工学など他の領域を学ぶ人もいます。
金閣寺にて 研修コース仲間と
奈良公園で鹿に囲まれ餌をやるグロリさん
研修プログラムの一環で、日本語の初歩の初歩を学ぶ機会に恵まれましたが、とても役に立ちました。また、京都や大阪、奈良、広島、そして東京方面への研修旅行を通じて日本の文化に触れることもできました。私は広島の訪問を忘れることはないでしょう。広島平和記念資料館では、愛する人を失った多くの人々の悲しみに触れ、私は心が張り裂ける思いでした。そして、このような経験を経た人々の心情に思いを馳せました。私は新しい料理の味を試すのが好きで、パナマで慣れ親しんだ食事とは全く違う、お好み焼き、たこ焼き、焼き鳥、回転すしなど日本の様々な料理にチャレンジしましたが、いまのところどれも美味しくいただいています。
日本で私が驚いたのは、日本人がとても親切で謙虚なことです。人々はいつも笑顔で、必要であればいつでも助けてあげよう、最上のもてなしをしようという意欲にあふれています。どこを訪れても、道に迷った私たちを助けてくれる人がいました。中には反対の方向に行こうとしていたにもかかわらず、私たちの目指す場所まで一緒に歩いてくれた人もいました。私が出会った人々に日本語で話しかけると、みんな一様に驚き日本語で話す私を激励してくれました。研修で訪問する建設プロジェクトの現場視察では、見るものすべてが高品質で一部の隙もなく完璧なことに私たちは圧倒されどおしです。私の目に映った日本の人々は、親切で、礼儀正しく、謙虚で、まとまりよく、クリーンでそして誠実です。
浴衣を着付けていただきました
私は、人生何事かを成し遂げようとするならどんなことでも達成できると信じています。それには、目的に向かって粘り強くチャレンジし続けることです。「夢は叶う。それを掴もうと必死に努力すれば」私はみなさんに海外で学ぶことを勧めたいと思います。留学経験は学業のみならず、人生経験という面においても人を豊かにするからです。今日では、海外留学のための多くの機会や奨学金があります。こうした機会を逃すことなく活用するべきです。教育は私たちを成長させ、よりよいキャリアへ、よりよい生活へと導きます。そして、私にとって日本は学ぶべき事柄に溢れる素晴らしい国です。私の人生に多大な影響を与えたこの研修に参加する機会を与えてくれたJICAに感謝しています。
1980年代後半のバブル期だったと思います。世界青年の船でカリブ海周辺諸国をめぐった学生(当時)から、「パナマ運河では標高の高いところまで船ごと一旦上り、そこから下るんだ」という話を聞いたことがあります。インターネット検索など存在しない頃の話ですから、その話をわくわく想像して聞いたものです。今では地図や航空写真などで現地の姿をみることができる時代になりましたが、それでも現場の声を聴くチャンスはなかなかありません。
先日、パナマ運河庁の女性技師が橋梁総合コースに参加していることを知り、本場のエンジニアから運河についての話を聞きたいと思いました。そこで、グロリさん本人から話を聞いてみると、何と今年は運河開削から100周年の記念すべき年だとのこと。ぜひ、記事にして紹介したいと話すと、ご当人も、パナマ運河について皆さんに知っていただく機会になればと、忙しい日程を縫って英文記事を書いてくれました。グロリさんからのメッセージの締めくくりは「留学のススメ」でした。グロリさん自身、アメリカの大学と大学院に留学経験があり、そこから得たものがきっと大きかったのですね。そして、今回社会人として日本に来て学び新たな知見を得たグロリさんの次の一歩はきっと今後のパナマ運河の発展につながることでしょう。
JICA関西 研修監理課 有田 美幸