マンガに魅せられた心優しいエンジニアが見た日本の防災

【画像】役職名 ハイチ公共事業省、道路管理部門、施設長 
名前 Mr. BOTRE Serge(サージ)
研修コース名: 2015年度 インフラ(河川、道路、港湾)における災害対策コース
研修期間:2015年5月12日から7月17日まで

まず、私自身について:家族のこと、エンジニアへの道

道路維持管理担当者セミナー参加者とともに

同世代の親族の中で一番デキがよかった三人兄弟の末っ子の私は、カトリック系のミッションスクール(ハイチのトップ2校の一つ)で学びました。
私がエンジニアになった一つの要素は、数学の成績が良かったことです。事実、私は「数学を極めることのできる学部へ進学するべきだよな」と自覚していました。そして大学への進学を控えた年に、ハイチ国立大学の理工学部が数学コンテストを開催したのです。母校から私を含む二人がコンテストに出場し、結果的に学費免除で大学に進学する機会が与えられました。私は、ここで数学を学ぶことができるのなら理想的なチョイスだなと思いました。コンテストに一緒に参加した友人や他の生徒と共に大学に進学して学び、時に困難にぶつかりながら成功し、時に挫折を味わいました。私自身の学生生活は数学一筋というわけではなく、製図やコンピュータにむしろ大いに興味をそそられました。

同僚と共にセミナーに参加

伝統的な学校にあって数学が得意な私は、時には物理や化学でも成果を上げました。科学に魅了された私は、百科事典や科学関連の文献、電子機器に関する書籍(コンピュータ、電話、ビデオゲームなど)を読破することに時間を費やしました。そして、専門分野を選択することになり、工学分野へと進路を取りました。私の設計図の腕を認めた建築学の教授が建築を学ばないかと勧めてくれましたが、私が選んだのは土木工学でした。私の周りにいた友人たちは、普段彼らのコンピュータの問題を解決する姿を見て、私のことをコンピュータのエンジニアだと思ったようです。こうして私は独学でコンピュータのことを学び、同級生たちにはコンピュータサイエンス分野で働くんだと言っていましたが、卒業後にした仕事は土木技術関連でした。土木技師として、建物、道路他様々な構造物に触れるエンジニアの仕事ができて幸せです。
土木技師として、私が情熱を傾けているのは計算であり、現場での仕事です。普段の業務では、そのどちらも行っています。現場の仕事は決して生易しいものではなく胆力が必要ですが、私には刺激的でやる気が出ます。

仕事について

現場監督として

2013年10月、私は管轄地域の道路維持管理施設長を拝命しました。私の任務は、道路の状態を調査し、部門長に報告書を提出することです。私の報告を受けて、上司はさらに報告を上げます。手当の必要な道路区間が選ばれ、道路維持管理の資金供給部門が報告書を分析し、道路維持管理事業計画の策定がなされるのです。その後、部門長と一緒に計画を遂行するため建設会社を選定するための入札、その他補佐的な仕事をする組織や監督者の選定を行います。プロジェクトに関係するすべての企業と監督者が私の管理下に置かれるため、私は工事がうまく進み、適正な時期に完了するよう進捗管理をします。監督者から工事終了報告書を受け取り、上司と共に内容を確認後、道路維持管理費の支払いをして一連の業務を完結します。

日本の日常で見えてきたこと:私的旅行など

明石海峡大橋にて研修員仲間と

布引ハーブ園にて

奈良公園で鹿に餌やり

研修に参加中、私は日本語を学ぶ絶好の機会に恵まれ、とても助けになりました。また日本の様々な文化を学びました。いろんな都市を訪れ(東京、京都、奈良、広島など)、現場見学をし(共有ダクト、新名神高速道路、明石海峡大橋など)、守口幼稚園、広島平和資料館、神戸布引ハーブガーデン、平安神宮や金閣寺、御所の訪問などすべてが印象に残っています。そして、講義では、日本事情、自然災害と防災について学びました。
私にとって広島平和資料館への訪問は特別なものがありました。それは、「サダコ」(※1)の話を来日前から知っていたからです。そして、もっと知りたいと、研修監理員(※2)の八木さんに「1000羽鶴を折ろうとした少女」について尋ねました。八木さんは「広島の平和資料館に行けば、もっといっぱい情報があるよ」と教えてくれました。資料館の展示で「サダコ」の話を読むことができて嬉しい反面、写真を見て悲しい気持ちになりました。
日本のお寺はどの寺院も好きですが、多くの鹿に出会えた東大寺は特に印象に残りました。日本食にもチャレンジし、研修員仲間にも、「寿司」を強く勧めました。
ところで、私は日本の人々がとても親切で礼儀正しいことに感銘を受けました。日本は森林に覆われ、多くの公園や庭園のある素敵な国です。狭い国土を繋ぐ道路や鉄道網は驚くばかりですし、他では見られない自然災害に耐える家屋や道路の設計は完璧です。安全で、すべてのものがうまく構成されている日本は何度訪れてもいい国です。

「サダコ」を来日前に知っていたのは…

私は、日本のマンガが好きで、ドラゴンボールやナルトなどをよく読んでいました。ナルトに出てくる折り紙名人のくノ一、小南(コナン)は弥彦と長門と共に暁の仲間でした。この3人の雨隠れ忍者は自来也を師に修行し、小南はナルトシリーズの中で情熱を武器に戦います。このマンガを通して折り紙に興味を持った私は、「折り紙」という言葉を頼りにその起源を調べていくうちに「サダコ」の千羽鶴の話に至ったのです。

日本のみなさんへ

浴衣の着付け

日本へ来たのは私にとって何よりもよい経験でした。なぜなら、より良い明日のために一生懸命働く人々の姿を見ることができたからです。自身のため、家族のための明日ではなく、母国のために。美しい花を咲かせるため、仕事の質を上げるために学ぶことは、より良く生きることに繋がります。生来「なまけもの」の私は、この経験で変身しました。皆さんにも旅すること、そこから学ぶことをおススメします。
私にとって、様々な新しい技術を学ぶことのできた日本は偉大な国です。自然災害に対するハード面およびソフト面の対策、災害後の復興対策、洪水防止対策などを学びました。私自身も日本で行われているものと似た技術を使ってきましたが、特に日本での道路の維持管理方法のすごいところは短時間での実施が可能なことです。とりわけ袋に土砂を詰めた「土嚢」の使用や、ブロック積みの擁壁、道路維持管理の方法などです。私は、この研修プログラムへの参加を可能にしてくれたJICA、すなわち日本のみなさんに感謝しています。

編集者より

2010年に大地震に見舞われた中米の島国ハイチ出身のサージさんは、「ホームページに載せる記事を書きませんか?」という冨田研修担当職員の呼びかけに応えて研修終了前2週間の一番忙しい時期に研修旅行先で記事を書いて送ってくれました。その記事のドラフトに一言「サダコ」と書いてあるのを見て、サージさんに「どういう経緯でサダコさんのことを知ったの?」と尋ねてみました。すると、「まんが「ナルト」で知った「折り紙」について調べていくうちに「サダコ」という少女が広島の原爆で白血病になり、折鶴を千羽折れば病気が治ると信じて折り続けたことを知った」と話してくれました。日本のマンガから「サダコ」に至るつながりが興味深く、「そこ、もう少し詳しく書いて」というリクエストに応えて仕上げてくれたのが上の記事です。日本で学んだ防災・減災の考えを応用して、ハイチでより安全な道路づくりを進めたいというサージさん。研修に同行した研修監理員の八木さんもその後「サージさん、広島の平和資料館で佐々木貞子さんに関する展示を熱心に見ていましたよ」と話していました。日本のことに興味を持って調べ、より深く理解しよう、そして日本で学んだことについて発信しようと、何事にも意欲的に取り組んできたサージさんの温かいメッセージから、日本と同じ地震国の道路を守るサージさんの優しさが伝わってきます。

JICA関西 研修監理課 有田 美幸