「鍼灸を通じて実現する国際・社会貢献」−2006年派遣・鍼灸マッサージ隊員・五味哲也さん

2015年2月27日

第4回目となる青年海外協力隊OB/OG連続インタビューシリーズでは、鍼灸マッサージ師の五味哲也さんにお話を伺いました。

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五味哲也(ごみてつや)

大学卒業後、鍼灸マッサージの資格を取り、医療機関や治療院で経験を積む。2006年10月より2年間、青年海外協力隊員としてケニア中部マチャコスの視覚障害者学校にて鍼灸マッサージのコースを立ち上げ等を行う。現在、「自然堂はりきゅう院」を開院(http://www.harizen.jp/index.html)。

(JICA)まずは、青年海外協力隊に応募する前はどのようなキャリアをお持ちで、どういう思いがあって青年海外協力隊に応募されたのかお聞かせください。

(五味さん)1995年の阪神大震災の時、私は大学生でしたが、技術を持ったボランティアが被災地で大勢活躍しているのを見て、社会貢献に強い関心を持ちました。それを実現する手段として、日本の古典技術である鍼灸に興味を持ち、大学卒業後に鍼灸学校へ入りました。古典派の鍼灸治療の先生に師事し、経験と自信をつけていきました。そんな折、テレビでアフリカの子供が泥水をすすっている姿を見て、何が自分にできるのだろうかと自問自答した結果、青年海外協力隊に応募しました。

(JICA)派遣前に抱いていたケニアのイメージを教えてください。どういった期待・不安がありましたか。

(五味さん)さだまさしさんの「風に立つライオン」という歌が大好きで、その歌詞にあることがケニアのイメージでした。大きな地平線、乾燥した大地、夕陽や朝陽などの大自然です。また、アフリカ大陸で初めてとなる鍼灸マッサージ師隊員として、いろいろな人々や文化との出会いなど全てが楽しみでした。治安が悪いことや、「はたして生徒がいるのかどうか」など漠然とした不安はありましたが、期待のほうが圧倒的に大きかったです。

実際に、首都ナイロビの空港に到着した時の、真っ青な空に、綿をちぎって置いた様な雲が地平線まで続いていた景色は忘れません。アカシアには巨大なハゲコウが巣を作り、人々がせわしなく歩いていました。どう転んだってどうせ2年間しかないんだ、日本の指圧を広めるため、やるだけやってやろう!という情熱に燃えていました。

(JICA)配属先の仕事内容とご自身の主な仕事内容を教えてください。

(五味さん)配属先のマチャコス視覚障害者職業訓練学校において視覚障害者への職業自立の為に指圧を教える、という要請内容でした。マッサージや指圧の文化そのものがなく、「マッサージ」という言葉が売春行為に使う言葉であったため、当初は冷笑されました。そんな中、指圧コースの全般的な立ち上げ(教科書作り・教室作り(ベッド・壁・枕・カーテン、及び授業カリキュラム作成等))をしました。また、教えるだけでは職業自立として意味がない為、雇用先の開拓として日本人社会やホテル、スパ、カフェ等への営業を繰り返したり、スポーツイベントやプロ・スポーツ選手へのデモンストレーション等も積極的に行った結果、テレビやラジオ、新聞などに取り上げられるようになりました。また、指圧を一部の富裕層や外国人のみのものではなく、ケニアの文化にするためのマチャコスでの指圧治療院を開設しました。

(JICA)指圧コースを一から立ち上げられた上に、ご自身の限られた任期を意識し、生徒の職業訓練学校卒業後の道筋までつけられるように尽力されていたのですね。多くのご苦労があったことと思いますが、ご自身の活動で一番大変だったことは何でしたか。

(五味さん)生徒たちは先天的な全盲者が多く、初等教育が乏しく、性格的にもひがみや疑心暗鬼が強く、引っ込み思案、自信が無いなど特徴が見受けられました。そのため、生徒全員をまとめて、イベントやビジネスをする困難さがありました。

(JICA)その困難は、どのように克服されたのでしょうか。

(五味さん)やる気のある生徒を先頭にデモンストレーションや交渉事をしてもらい、全体の競争意識を高めました。「何かをしてもらう」という意識が強かったので、必ず自分たちで切り拓いていくのだという強い気持ちを持つように、ワークショップやディスカッション、営業などをして訓練しました。彼らは指圧を通して、初めて人に感謝の言葉を言われ、少しずつ彼らの自信がついていく様子をそばで見ていましたが、その成長振りは非常に感動的でした。

(JICA)ケニアのみならず、開発途上国の多くでは、未だに障害者の立場が弱いことが多いかと思いますので、生徒が引っ込み思案で自信がないという点も残念ながら想像がつくものでありますが、それを指圧を通じて克服していく姿は感動的ですね。

(五味さん)中でも一番の思い出は、「指圧祭り」です。私の帰任が近づいてきた折、生徒たちだけで「「指圧祭り」をやって、俺を安心させてくれ」と言いました。実際にこの「指圧祭り」には私は全く関与せず、当日になるまでどんなイベントになるのかわかりませんでした。

そして迎えた当日。真っ赤な衣装の鼓笛隊と2台のスピーカーを乗せた車がマチャコスの町中を回りながらイベントの告知をしていました。中心部のスーパー前ではテントを張り、プロのMCが呼び込みをするという大きなイベントとなり、非常に感激しました。彼らだけでイベントができるノウハウが残せて安心しました。また、近隣の多くの隊員達もプラカードをもって行進してくれたり、たくさんのサポートをしてもらいました。

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「指圧祭り」の様子

(JICA)光景が目に浮かぶようです。多くの成果を残されましたので、任地を離れる時には思い残すことはなかったのではないでしょうか?

(五味さん)そうですね、私個人では到底できないことばかりだったのですが、隊員を含む周りの日本人にもたくさん支援いただき、十分すぎるくらいの活動の成果を出せたと思い、すがすがしい気持ちでした。これから何十年か経ってケニアのみならず、アフリカ全土の盲人が日本の指圧で生活できるようになれば、自分が種を蒔いた甲斐があるだろうと思いました。

一番弟子のポールには、自分の事だけでなく、ケニアの指圧界全体の事を考えて、皆をひっぱっていってほしいと伝えていました。指圧と出会うまではただ「将来をどうすればいいのか悩んでいた」と言っていました。今では彼は子供2人が出来、家を建てていると聞いています。

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生徒たちと。右端が五味さん。右から二番 目がポールさん

(JICA)ナイロビのシルバースプリングホテルでは、視覚障害者のかたによる指圧を受けられることで、日本人社会では有名ですし、五味さんの始められた活動は確実にケニアには根付いています。これが、近隣国にも広がれば、本当に素晴らしいですね。では、協力隊の派遣期間が終わり、帰国された後のキャリアについてお聞かせください。

(五味さん)帰国後は訪問専門の鍼灸マッサージを開業し、在宅・介護現場で鍼灸マッサージ師として活動しています。また、路上生活者支援のNPOで鍼灸治療支援や、東日本大震災の鍼灸治療支援を立ち上げたりしています。去年(2014年)には、「自然堂はりきゅう院」を開業しました。子育て支援としての母乳ケア(マッサージ師が母乳ケアやマッサージをしながら、子育て相談にのる)、介護者の為のマッサージ、鍼灸治療では自律神経失調症や軽症うつの方の治療や小児はりなど力を入れてます。また、アフリカ雑貨販売、障害者の作った作品を患者さんに渡したりもしています。今後はお灸教室やマッサージ教室などをしたいと思っています。

(JICA)鍼灸マッサージを通じた社会貢献という点で、目覚しい活躍をされているようですね。こういった活動は、やはり青年海外協力隊の経験を通じて考えたことでしょうか。

(五味さん)ケニアでの経験は私個人の満足を追求するより、自分以外の人が喜んでくれたることの方が、自分自身も何倍も嬉しいということを実感させてくれました。まずは人や社会が良くならないといけないと思うようになりました。その幸せの「輪」が私をあたたかい気持ちにさせてくれ、その結果として良い仲間に囲まれ、患者さんにも感謝されています。

近年、ケニアは経済発展が著しいと聞いています。私が隊員として活動していた当時でさえケニア人の大らかさが少なくなっていると聞いていましたので、今はもっと格差が生まれ、ネガティブな感情が彼らに芽生え治安も悪くなっているだろうと思います。先進国の援助が影を作らず、指圧のように他者を思いやり、患者さんの心を優しくするような文化が浸透してくれればと願っています。

(JICA)そうですね、仰る通りと思います。我々JICAとしても、ケニアの経済成長を様々な形で支援しつつも、それが包摂的(inclusive)である必要があると考えています。それでは、最後に現隊員及び未来のケニア隊員に向けてのメッセージを御願いいたします。

(五味さん)もし、参加すべきか迷っているようであれば、是非参加してください。後悔はしないです。私は、自分自身が成長できたと実感していますし、かけがえのない友人たちにも出会いました。

また、指圧は日本にしかできない、しかも廉価で可能性に満ちたものです。経済発展著しいアフリカでは今後指圧のニーズは高まります。JICAにはケニアだけではなく、近隣諸国やアフリカ全土の視覚障害者が職業自立できるようにサポートしてもらいたいと思います。

ケニア事務所後記

ポールさんは、ナイロビの市内にあるスパで「指圧師」として勤務しており、当事務所スタッフが取材に訪問しました。非常に元気そうな姿で、五味さんが聞いていた通り、結婚し、二人の子供に恵まれています。「私は全盲、妻は半盲なので、子供二人を育てていくのは容易ではありませんが、上の子は9歳になり、良く手伝いもしてくれます。今は、一生懸命働き、子供に良い教育を与えたいとだけ考えています。それが、私が子供に対してできる数少ないことです」と言います。「五味さんは、非常に厳しい方でしたが笑、お陰様で、私を含め、当時の生徒の多くは障害を抱えながらも自立した生活をしています。本当に感謝しています。ご自身の医院を開設されたとのことですが、またお会いできる日を楽しみにしています!」

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現在のポールさん。

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現在のポールさん。