「ケニアでの14年間」−1999年派遣・ポリオ対策隊員・風間春樹さん

2015年9月24日

今回の青年海外協力隊OB/OG連続インタビューシリーズでは、現在長崎大学の草の根技術協力事業の現地調整員としてご活躍中の風間春樹さんにお話を伺いました。

風間 春樹(かざま はるき)

薬学修士課程終了後、外資系医薬品・医療機器製造販売会社、その後調剤薬局での勤務を経て、青年海外協力隊のポリオ対策隊員に応募。ケニア西部のキスムにて活動後、一旦帰国後、NPO法人のケニア駐在員として再びケニアで活動を再開。現在は長崎大学の草の根技術協力事業(学校保健事業)の現地調整員として活躍中。

(JICA)
それでは早速、風間さんが青年海外協力隊(以下、協力隊)に応募する前のキャリアや、協力隊に応募したきっかけを教えてください。

(風間さん)
薬学修士課程終了後、外資系医薬品・医療機器製造販売会社、その後調剤薬局に勤務しました。協力隊のことは高校時代から知ってはいましたが、特段興味はありませんでした。しかし40歳近くになり、何かもっと人や社会に貢献できることはないのだろうかと思っていた時に、たまたま電車の中で協力隊募集の中釣り広告を見て、たまたま住んでいた神奈川県藤沢市で無料の募集説明会が開催され参加しました。そこでの帰国隊員の話が非常に有意義で、これだと思い、すぐに応募しました。ただし、薬剤師としての勤務経験が足りなかったため、保健系のポリオ対策に応募しました。

(JICA)
協力隊に応募するまでは、協力隊の活動に関心が薄かったとのことですが、派遣前に抱いていたケニアのイメージを教えてください。また一番の期待・不安は何だったでしょうか。

(風間さん)
当時のポリオ対策隊員の派遣国は、ケニアの他にニジェールとバングラディシュがありましたが、たまたまケニアになりました。ケニアと言えば、暑いところで、野生動物がいて、マサイ民族や世界トップクラスのマラソンランナーがいることぐらいしか知りませんでした。友人達からは、ライオンに食われるなよ、などと言われました。

期待としては、私のこれまでの経験を人様のために役立てることができるのではないか。不安としては、2年間の任期をちゃんと全うできるのだろうか、というものでした。

(JICA)
行ったこともない途上国で2年の活動というのは不安も大きかったと思います。それではケニア及び任地に到着後の第一印象を教えてください。

(風間さん)
ナイロビの空港には調整員の方が、迎えに来てくれました。我々の隊次は23名と多く、空港を出た所で車両にスーツケースを乗せようとしていたところに、何やらいろんな人が寄って来て、隙あらばスーツケースの一つでも盗もうとしていたのを覚えています。油断も隙もないな、という印象でした。

ナイロビから西へ350kmのキスムには、初めに任地が同じ方面の同期隊員達と、バスで8時間ぐらいかけて行きました。道路には穴が多く、振動のため、本も読めませんでした。そして、キスムで400円ぐらいの宿に、皆で泊まりました。翌朝、窓から外を見ると、いわゆる浮浪児が道端のゴミをあさっているのが見え、私は恵まれているなと思いました。幸い、キスムには大きなスーパーがあり、インスタントラーメンがあるのを発見した時、料理ができない私は、よしこれで2年間乗り切れる、と思いました。

(JICA)
最近ではNISSINがケニアでインスタントラーメンを販売してますが、昔からインスタント麺は売ってたのですね。それでは配属先の仕事内容や、どのような同僚がいたか、そして風間さんご自身の主な仕事内容を教えてください。

(風間さん)
配属先の保健局は、県内の保健行政を一手に司っていました。医療施設の監督、疾病サーベイランス、予防接種の管理、住民への衛生指導などです。同僚には、医師、看護師、公衆衛生師などがいました。

私は保健局の疾病サーベイランス課で、主にポリオ(脊髄性小児麻痺)患者発生の監視に携わりました。具体的には、ポリオと疑わしき症例が報告された場合、その患者を追って村々を回り、患者の便を回収し、その便をバスでナイロビの検査センターまで運搬する。便は冷蔵保存しなければならず、村には電気がないため、保冷剤を入れたワクチン保冷ボックスを抱えて回りました。便の検査結果が出てきたら、再び患者のフォローアップに行く。また、年に一回開催されていた、全国ポリオワクチン一斉投与週間では、ワクチンの入った保冷ボックスを抱えながら同僚と村々の家を一件一件訪ね歩き、5歳以下の幼児に経口ポリオワクチンとビタミンAを投与するサポートをしました。その他、保健局で管理していたポリオを含めた他の予防接種ワクチンの在庫管理及び州のワクチン保管倉庫からのワクチンの集荷、県内の医療施設へのポリオ患者巡回調査などを行っていました。

これらの活動には、JICA事務所より貸与を受けていた、単車が威力を発揮してくれました。

(JICA)
キスムからナイロビまで保冷ボックスを抱えて運搬するというのは1日がかりの大仕事ですね。色々大変な業務はあったと思いますが、風間さんご自身の仕事で一番大変だったことは何でしたか。それをどのように克服されましたか。

(風間さん)
ケニアのペースに合わせることでした。とにかく全てが、ゆっくり過ぎてそれに合わせるのが大変でした。始めの頃はイライラすることもありましたが、ここはケニアなんだと何度も自分に言い聞かせ、郷に入れば郷に従え精神で、克服していきました。まだ携帯電話もない時代でしたので、誰かに会いたければ、まずそこへ行く。その人がいれば運が良いが、いなければひたすらそこで待つしかありませんでした。保健局にはコンピューターもなく、全ての業務が紙ベースでした。

(JICA)
今ではケニアでも皆、携帯電話を持っているので、仕事のやり方も変わってきていますね。それでは仕事以外での一番の思い出を教えてください。

(風間さん)
楽しかったことは、同僚と酒を飲んだり、同僚の実家を訪問した時です。大変だったこととしては、やはり、水のない生活を強いられたことです。家には蛇口があるのですが、そこから水が出ることはほとんどなく、リヤカーで水を宅配してもらっていました。水がないと、水浴びができない、トイレが流せない、食事が作れない、皿や鍋が洗えない、歯も磨けない。隊員の家に遊びに行く時の合言葉は「水ある?」でした。おかげで、水の大切さを身にしみて学ぶことができました。

(JICA)
任期を終了し、任地・ケニアを離れる時、どのような思いがありましたか?

(風間さん)
幸い、任期中にポリオ患者がケニア国内で1症例も出なかったのには、ほっとしました。しかし、やはり仲良くしてくれた同僚、市場のおばちゃん、スーパーの店員さん、その他知り合ったたくさんの人々と別れるのは、とても悲しかったです。まだまだ彼らといたいな、という思いでした。

日本へ向かう途中、帰路変更を利用して一人でセイシェルへ行きました。ヨーロッパから来る観光客が多く外国人慣れしているためか、町を歩いていても誰も話しかけてくれず、寂しかったです。ケニアでは見知らぬ人どうしでも、気軽に挨拶してくれたのに。ああ、ケニアに戻りたい、と切実に思いました。

(JICA)
青年海外協力隊の経験で何か心残りはありますか?

(風間さん)
保健局は県立病院の敷地内にありましたので、院内を回ることも多く、病棟や外来では日本ではまず見ることがない、マラリア、エイズ、コレラ、腸チフス、狂犬病などの様々な症例を見ました。病院に来る人のほとんどが、何らかの感染症を患っており、中には予防がそれほど難しくないものもありました。ただ、その背景には貧困、知識の不足など様々な要因が絡んでおり、これらを何とかできないかという思いでした。ちょうどこの頃、ケニアではエイズが猛威を奮っていた時代でした。

(JICA)
派遣終了後、どのようなキャリアを歩まれていますか?

(風間さん)
派遣終了後、せっかくなので同じような業界で仕事をしたいなと思いましたが、応募資格が35歳までものが多く、必然的に断念せざるを得ないものがたくさんありました。薬剤師としてのアルバイトをしながら、再びケニアで何かできないか、という思いでいっぱいでした。たまたま、20年におよびケニアで活動していたNPO法人少年ケニヤの友が、新たにキスムでの駐在員を探していることを知り応募し、2003年10月にキスムに舞い戻りました。主な活動内容としては、孤児の奨学金の支援、湧水浄化槽の建設、ビクトリア湖の離島でのVCT(Voluntary Counceling and Testing:HIVのカウンセリングと検査を無料で提供する施設)センターの開設や診療所の建設などでした。その後、ケニアで熱帯病の研究をしている長崎大学が、JICAの草の根技術協力事業で地域保健活動をビクトリア湖沿岸のビタで始めるので、現地調整員を担当しないかと誘われ、働くことになりました。2009年から3年間、地元の保健局と協力しながら地域保健事業を行いました。現在は5年のプロジェクトで、教育局と保健局とともに小学生を対象とした学校保健事業を展開しています。

(JICA)
青年海外協力隊の経験は風間さんの人生をどのように変えましたか?

(風間さん)
劇的に人生が変わりました。気がつくと、かれこれケニア滞在歴が14年になってしまいました。ケニアは日本より広い国なのですが、隊員時代を含め、どういうわけずっとビクトリア湖沿岸で働いています。国際協力には、様々な手段があります。国家間の巨大事業やインフラ整備も、ケニアにはまだまだ必要です。地味かもしれませんが、私は地域住民との触れ合いを大切にしながら活動するのが、とても楽しいと思えるようになりました。これは協力隊に参加する前には、全く考えられなかったことです。

(JICA)
協力隊時代と比べて現在のケニアの状況をどのように認識されていますか?

(風間さん)
隊員時代に比べ、道路がだいぶ改善し、ほぼ全ての物価が2倍になりました。便利なものも増え、ナイロビなどの都市は少しずつ発展しているように見えますが、電気や水がない地方の生活は、15年前とほとんど同じままです。また、貧富の格差が是正されるどころか、ますます広がっているように感じます。日本や他の先進国もそうなのかもしれませんが、都会より地方の人々の方が優しいです。

政治は相変わらず民族闘争で、2008年の大統領選挙後の混乱時には、私自身も国内避難民に加わってしまい、まさに明日何が起きるのかわからない状況でした。キスムが位置するニャンザ州も、外務省の退避勧告が3ヶ月ほど続きました。その時に思ったのは、紛争が起きている国の難民は、毎日このような絶望感の中で生きているのだろうか、というものでした。

【画像】

現在のケニアでのポリオ対策の活動風景

(JICA)
配属先の同僚や任地での知り合いで、今も連絡を取っている方はいますか?

(風間さん)
幸い現在もケニアにいることもあり、隊員時代のキスム県保健局の同僚や同じ敷地にあったキスム県立病院の知り合いと、今でも時々会います。同僚らは転勤で違う県の保健局に散らばったり、保健省の本省に勤務している人もおり、思わぬところでバッタリ会うこともあり、会うとお互い歳をとったなーと笑い合っています。また、今も時々キスムに行くのですが、露天商やスーパーの人たちが覚えてくれていて、私にとってはまさに第2の故郷です。

(JICA)
任地で一番会いたい人は誰ですか?

(風間さん)
隊員時代、一番仲が良かった同僚は、私より若かったのですが、既に他界してしまいました。入院していた時、見舞いに行きましたが、すごく痩せ細っていました。彼の葬式はちょうど2008年の大統領選挙後の混乱時だったため参加できませんでしたが、彼の奥さんとは今も連絡を取り合っています。

(JICA)
現隊員及び未来のケニア隊員に向けてのメッセージを御願いいたします。

(風間さん)
確かに日本に比べて、ケニアでは大変なことが多々あります。しかし、ここから日本を見ていると、日本って変な国だなー、と思うこともたくさんあります。一度、外から日本を見てみるのも良いのではないでしょうか。人生観がガラッと、変わると思います。

現隊員とは、時々交流させてもらったり、ビタの活動現場を見学に来ていただいたりして、こちらが新鮮な刺激を受けることもあり、感謝しています。これからも仲良くして下さい。

(JICA)
その他、何かありましたら自由に御願いいたします。

(風間さん)
ひょんなことからの参加でしたが、協力隊に参加できて、心から良かったと思っています。自分の子供にも自慢して言えます。先輩、同期、後輩隊員は、それぞれその後いろんな方面で活躍しており、とても心強いです。

以上