青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.1 森下 ともみ さん

【写真】森下 ともみ さん元青年海外協力隊 H12年度3次隊 派遣国:ニジェール、職種:栄養士
森下 ともみ さん

 青年海外協力隊50周年を記念して、帰国後長野県内で地域に根差し、地域を元気にしている元協力隊員をリレー形式で50名にインタビュー。初回は阿智村清内路地区在住の森下ともみさんです。
協力隊員としてニジェールで活動後、帰国してニジェールの方とご結婚。一昨年にお子さん3人と下伊那郡阿智村清内路地区へ。人口約600人のこの地区になぜ移住を決意されたのか、そして隊員としての経験との関わりなど、お伺いしました。

※(注1)グローカルとは、グローバル(国際的な)とローカル(地域の)を組み合わせた造語。本シリーズでは、地球規模で考えながら、自分の地域で活動する元協力隊員を紹介していきます。

ニジェール、そして清内路へ移り住んで

協力隊員としてニジェールで活動中? 子どもたちを対象に、栄養に関する紙芝居をしているところ。

 「生まれは愛知県ですが、飛騨高山に住んでいたこともあり、子供は自然豊かなところで育てたいと思っていました。駒ヶ根訓練所で派遣前の訓練を受けているとき、南アルプスを毎日眺め、「信州に住みたい」と考えるようになりました。
 帰国して結婚後、日本とニジェールの経済格差が家庭での日常生活にのしかかり、大変な思いも経験してきました。アフリカで起きている貧困・飢餓・紛争・児童労働などの問題が身近になったことで、社会のひずみに目が行くようになりました。また、東日本大震災によってそれまで持っていた価値観が大きく変わり、このままの生活を続けていてはいけないとも感じました。その一方で、社会は震災を忘れつつあり、自分の思いと現実社会との差が大きくなってきたことも移住のきっかけとなりました。
 清内路では、自分に近い価値観を持った多くの方たちに出会えました。ここでは都会では得られないものがたくさんあります。季節を感じながらの暮らしや、村の人たちの温かさに人としての生き方を学ばせてもらっています。周囲の人たちと顔の見える関係が構築できることも魅力です。」

ニジェールでの隊員生活で知ったことは、「自分は何も知らなかったんだ」ということ。

同任地隊員と一緒に行った「植樹祭」で大豆の普及活動をしているところ。

 「その当時のニジェールは、携帯電話はもちろん、固定電話や電気、水道もすべての家庭に普及しているわけではない“不便”な生活でしたが、毎日、生きていることへの確かな実感がありました。厳しい環境の中助け合って暮らしているニジェール人の心の豊かさを学び、自分は何も知らなかったんだ、ということに気付きました。何かを教えに行ったというよりも、実際はニジェールの人たちから、生きていくための基本的なことを学ばせてもらいました。清内路でも同じこと。こちらに来る前に大病をし、食の大切さを痛感したのですが、ここで味噌や醤油づくりなど、食の基本を教わっています。
 人はこんなにもシンプルに生きられるのに、便利さとか、利益とか、追求したら限りないものを追って、一体何を目指して世界は進んでいるのだろう、と思うことがあります。シンプルに生きるといった点で、ニジェールと清内路は共通点がありますね。」

清内路での現在の活動とこれからの夢

同じく「植樹祭」にて。

「村内外のいろいろな活動に加わらせてもらっています。地元のお年寄りに郷土食を教わる『家庭料理を味わう会』、福島の子供達をサマーキャンプに呼ぶ『福島に学びつながる会』、同世代のお母さんたちと暮らしを楽しむ『清内路豊かな暮らしを育む会』、村内のお年寄りから戦争体験を語り継ぐ『子供の文化を考える会』など、関わりたいことがたくさんありすぎて悩むこともあります。
 いつ何が起こるかわからない世の中ですが、子供たちにはどんなことがあっても生きていける力をつけてやりたい。今の自分は、世界の現場に行っての国際協力はできませんが、子供たちには世界の現状を学び、自ら考え、行動する人になってほしいと思っています。
また、自分自身が世界のひずみに立たされた経験から、自分の生活は世界につながっていることに気付かされました。日々の生活の中で、自分の選択が遠い国の誰かを苦しめていないか、考えるようにしています。国際協力とは呼べないかもしれませんが、小さくても身の丈でできることをコツコツと続けていきたいです。」