青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.2 赤塩 千寿 さん

【写真】赤塩 千寿(あかしお ちず)さん (旧姓 伊藤)平成12年度3次隊青年海外協力隊 派遣国:パキスタン 職種:美容師
赤塩 千寿(あかしお ちず)さん (旧姓 伊藤)

 青年海外協力隊50周年を記念して、帰国後長野県内で地域に根差し、地域を元気にしている元協力隊員をリレー形式でインタビュー。第二回目は駒ヶ根市在住の赤塩千寿さん。現在市内で「ラカポシ」という美容院を経営されています。(ラカポシとは、パキスタンの7千メートル級の山の名だそうです。)前回の森下ともみさんとは協力隊の同期であり、同じ時期に駒ヶ根訓練所で訓練を受けました。

地元にいても全く知らなかった「協力隊」を目指したきっかけ。

同期の隊員をモデルにヘアカットの指導中。

 お隣りの伊那市ご出身で、駒ヶ根市内の高校を卒業し、近隣で働いていた赤塩さん。実は協力隊と駒ヶ根訓練所のことを全く知らなかったそうです。「当時、勤務先の美容院に、お客さんとして訓練中の候補者が来ていて、初めてその存在を知り、美容師の職種もあるということを聞きました。その時、(協力隊への)スイッチが入ったみたいです。」と。ちょうど別の場所で仕事がしてみたいと思っていた頃でもあり、すぐに応募、2回目のチャレンジで合格し、駒ヶ根訓練所で訓練を受けた後パキスタンへ。それまで国際協力についても協力隊についてもあまり知識がなかったためなのか、「意外とすんなりパキスタンの生活に溶け込めました。」とのこと。
 海外旅行経験はハワイのみ、親元を離れたこともなく、ご両親は猛反対。それでもご自身の意志を通した赤塩さんに、最後には納得してくれたそうです。

明るく楽しいパキスタン人と、あっという間の2年間。

現地の生徒たちとファッションショー

 「派遣前はパキスタンという国についてあまり知りませんでしたが、行ってみると、人々はとても人懐っこく、年中冗談ばかり言っている明るい人たちが多かったのが印象的でした。」と話す赤塩さんは、政府が運営している女性のための職業訓練校に派遣されました。美容師を目指す女性たちに指導を行っていましたが、彼女たちもとっても元気で陽気。そんな人々の中で「2年間があっという間に過ぎていきました。」
「現在、パキスタンには安全上の問題から協力隊はいませんが。当時はそれほど治安も悪くありませんでした。しかし、派遣中にちょうど、9.11のテロが起こって、その直後に日本に一時的に緊急帰国させられたこともありました。」
 最近は、パキスタンといえばイスラム教の国で、女性が抑圧されている、などとイメージされがちですが、一般のイスラム教の人々は本当に普通の人たち、と赤塩さんは言います。「彼らに、お祈りの時に何を祈っているの?と聞いたことがありますが、『私たちがお寺にお参りするのと同じように、家族の健康や幸せを祈っている』との答えでした。」 他の元パキスタンの隊員たちも、「実際は、イメージとはかなり異なるよね。」という共通の想いを持っているそうです。

知らないうちにコミュニケーション能力がアップ。

 帰国後、ご自身では意識していなかったそうですが、友人に「話しやすくなったね」と言われたそうです。「派遣前の訓練期間中に他の多くの候補者やスタッフの方たち、そして現地で多くの人たちと関わるうちに、自分では気づかないうちにそうなったみたいです。」と。美容師になりたての頃は、お客さんと何を話してよいかわからなかったとのことですが、協力隊での経験は、現在の接客業にも大きくプラスになっていると実感されています。

正しく伝えたい、パキスタン 〜 地元からつながり続ける。

 本業の傍ら、駒ヶ根市を中心とした地域イベント「みなこいワールドフェスタ」の国際広場の日には、県外から元パキスタンの隊員とともに現地の食べ物ブースを出展したり、駒ヶ根ハーフマラソンには同じく他県からの元パキスタン隊員と一緒に出場したり、地域でも協力隊のネットワークを活かしてご活躍中。
 また、お隣りの飯島町提案のJICA草の根技術協力事業がパキスタンで行われていた際に(注1)町の人たちに現地のウルドゥー語を教えたり、その縁で、昨年駐日パキスタン大使が飯島町を訪問された際に歓迎会に呼ばれたこともあったそうです。
 昨年、久々に母校の小学校にお願いされて、生徒さんにパキスタンでの体験を話し、現地料理の調理実習も行いました。今後もそのような機会があれば、パキスタンという国の事実を正しく伝えていきたいとおっしゃいます。本業では、日本発でまだ県内からは世に出ていない「イアーアートジュエリー」を自分の美容院から発信していきたいとおっしゃる赤塩さん。今後も地元駒ヶ根から様々なことにチャレンジされるようです。