青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.4 永井 由美子 さん

【写真】永井 由美子さん(旧姓:滝沢)平成10年度3次隊  職種:家政 派遣国:ニジェール   駒ヶ根市在住、群馬県出身。
永井 由美子さん(旧姓:滝沢)

合格から派遣まで、波乱万丈の隊員時代

手芸教室の生徒たちと。

  群馬県嬬恋村出身の永井さん。学生時代を東京で過ごし、そのまま東京の会社へ就職。同じ会社に2人も元協力隊員がいたことで、話を聞いて協力隊に興味を持ちました。20代でお父さんとお兄さんを相次いで亡くされ、その際に周りの多くの方々にお世話になった経験から、人の役に立つことをしたいと思った永井さん。元隊員の先輩たちにも背中を押され、応募。実は2度の不合格。3度目のチャレンジで合格通知を受け取り、そこには、派遣国はニジェールとありました。当時アフリカについてはほとんど知らず、アジアに行けるものと思っていたので少しがっかりしたそうです。
  当時は嬬恋社会福祉協議会で働いており、村で初の協力隊員、ということで席を置いたまま退職せずに参加できるようにしてもらい、必ず帰ってくるから、と反対するお母さんを説得。派遣前の訓練を駒ヶ根訓練所で受けました。
日本を出発後、まずは日本大使館のあるコートジボアールで表敬訪問をした後、飛行機でマリ、ブルキナファソ経由でニジェールに着く予定だったのが、直前のブルキナファソで飛行機を降りることに。なんとニジェールの空港で大統領が暗殺されるクーデターが発生。他の隊員と共にコートジボアールに戻ってしばらく待機、という普通ではない事態を経験されました。
 40日後、なんとかニジェールに入国。永井さんの赴任先は、首都から700km以上離れたアギエという、なにもない小さな町。
  赴任先では、担当者が直前に代わったり、不在の期間があったり、言葉の不自由さもあり、1年目はほとんど活動できず、「自分のちっぽけさを痛感しました。」とのことですが、2年目には手芸教室を実施。若い女子たちに編み物などを教えることができました。

初めての体験「喜捨」への戸惑い

青空レストランにて。後ろには青い入れ物を持った少年たちが。

  永井さんには忘れられない風景があります。ニジェールで初めて外食した道端の青空レストランで、子どもたちが青い小さい入れ物を持ってうろうろしていました。初めは何をしているのかわからなかったのですが、彼らが客の食べ残しをもらおうとしていたとわかった瞬間、どうしていいのかわからなくなったそうです。その後も、イスラム教の国では当たり前である「富む者が貧しき者へ与える」喜捨の習慣に戸惑うことが何度もあり、その経験が、今でも国際協力について考え続けるきっかけとなったそうです。

再びアフリカ、ウガンダへ

 隊員としての活動は満足いくものではなかった、という永井さん。その後、同じく元隊員であるご主人の仕事に付き添って、今度は東アフリカのウガンダへ。同じアフリカの国でもニジェールとは全くことなる自然や風景に驚きました。
 ウガンダはエイズ発症の地と言われ、当時もエイズでなくなる人々もいて、自宅の門番をしてもらっている人の子どもがエイズで命が危ない、という場面に遭遇したことも。その門番は永井さん夫婦に助けを求めてきて、子どもを病院へ連れて行ったりしましたが、結局は亡くなりました。帰国時に何かできることはないかと考え、彼の他の子どもたちの教育資金を、日本人の知人に頼んで毎月少しずつ渡していたそうです。その時も、今も、何をすることが国際協力に繋がるのか模索し続けています。

アフリカから駒ヶ根へ。まだまだ続く元隊員としての思い。

餅つき大会の様子。候補者と地域のOBや子どもたちが交流しました。

 帰国後、ご主人と共に長野県で農業の研修を受けた後、縁あって訓練所のある駒ヶ根のいちご農家で修業し、その後独立。これまでの思いを込めて、「おかげやいちご園」※リンク参照という名前をつけ、もうすぐ8年が経ちます。甘くておいしいと大評判のいちごを訓練所に度々持ってきてくださる永井さん。稼業が忙しい中でも、アフリカでの経験や感じたことを忘れず、活かしたい、伝えたいといった熱い思いを持ち続けています。
 2年前からお母さん仲間たちと共に、子どもたちのためのサークルを作り活動を開始。また、今年の1月には地域の元協力隊員らを集めて訓練所で餅つき大会を実現。4月には依頼を受けて伊那市の「まほらいな市民大学」でも講演。ご自身の「協力隊での経験を還元したい」という強い思いを常に表現し続けています。

「元協力隊員として、訓練所のある駒ヶ根市で何かやりたい!」とおっしゃる永井さん。今後の活動にさらに注目です。