青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.5 宮越 幸代さん

  平成12年3次隊 ボリビア派遣 職種:看護師 (駒ヶ根市在住、飯綱町出身)
  宮越 幸代 さん 

 現在、駒ヶ根市にある長野県看護大学の准教授としてご活躍中の宮越幸代さん。今回で2回目の登場です。(以前の記事は下記リンク参照)(特活)HuMAの医療支援チームとして、ネパール中部地震の被災地から戻られたばかり。緊急医療の最前線でのご経験をお伺いしました。

満を持してのネパール派遣

現地での治療の様子

 「派遣されたのはシンドゥパルチョーク郡バラビセという地区。調査の為の先遣隊の後の1次隊として、5/17〜26の10日間、看護師の自分や医師らを含め5名の派遣でした。正式に派遣が決定したのは出発の前日で、出発日に他メンバーと合流。その場で意気投合できる雰囲気を感じました。
  
 国際緊急援助隊(JDR)※の訓練は数年受け続けていて、行く準備はしていましたが、私にとってこれが初めての緊急医療支援。今回、実は先にJDRに応募して選考に漏れたこともあって、より行きたいという気持ちが強くなっていきました。そんな時、ネパールの元協力隊員の友人からの電話でHuMAの募集を知り、仕事上タイミングがよかったこともあり、すぐに応募しました。現地での10日間はあっという間でした。」

危険と隣り合わせの現場

現地の瓦礫の山

 「現地はがれきの山。車道のみが何とか片付けられてはいましたが人の手でできる状態ではありませんでしたね。半壊している保健センターの中庭にタープを張って診療場所がかろうじて機能していました。建物自体は倒壊しかかった状態で残っているものの、柱にもひびが入っていたり、あちこち崩れかかっていて、周囲を歩き回るのも気を遣うほど。

 近くに医療施設がないため、6時間歩いて来る人たちや、不定愁訴(理由は不明だがなんとなく体調が悪い)やケガの患者が多かったです。地元の薬局による間違った薬の投与や医療行為で傷が悪化しているケースも。重症の患者さんにはそこから2時間ほど離れた病院へ行けるよう紹介をしましたが、本当に行けているのかどうかも責任を持ってフォローできるとよいと思いました。限られた人数ですが破傷風の予防接種も行われていましたが、これから雨季を迎えて、衛生状態の悪化からくる感染症、土砂災害などが増えることが心配です。
 
 宿泊先のホテルまでは車で往復4時間かかり、診療は時間との勝負。崩れそうな崖道や橋なども通るので、日没までに戻らなくてはなりませんでした。途中、落石の恐れや山賊が出没する恐れもあり、往復の間は緊張しっ放しでした。」

ネパール人医療従事者のサポートに徹する

地元医療チームの皆さんと

 「私たちの任務は、現地で走り出した医療をサポートし、現地の医療従事者を休ませること。地震後彼らは一日も休まず、瓦礫の中にビニールを敷いて寝ていたんです。彼らと話し合いながら、なるべく現地のやり方を踏襲しようと努めました。診療の数を追い求めるのではなく、私たち1次隊の役割は、現地の人たちとうまくやり、続く2次隊にそれを引き継ぐこと。子どもの健康、インフラ整備、衛生教育など、やろうと思えば他にできたこともあったかもしれませんが、ぶれずに『我々5名がネパール政府からここをまかされたんだ』という思いで診療を行いました。
 
 小回りが利いて、現地に入り込むことができるNPOならではの活動ができたと感じています。最後に『来てくれてありがとう』と帰らせてくれた時のネパール人医師と看護師の皆さんの笑顔を見て、1次隊の役割は果たせたのかな、と思いました。」

現場への思い、そして行かせてくれた周りへの感謝

患者の血圧を測る宮越さん

 「今回、参加する機会をいただいたことにとても感謝している。できれば、今後も世界中で増え続けている災害支援に関わって、実践できる人を育てる、それと同時にそれを理解してもらえる環境を整えていきたい。」と熱く語る宮越さん。帰国後、なんとまたすぐに荷物を準備したそうです。
  
 「但し、すぐに駆けつけることばかりを考えるのではなく、私でも支援ができたんだ、こんなにたくさんのことを学んできたんだ、ということを周りに発信していきたいと思っています。
初めての緊急援助の経験でしたが、大きな達成感を得ることができました。緊急医療が未経験の者でも、現場経験を積めるということは大事なんですね。ますます『日本に生まれてこんな恵まれた生活をしているのに、ささやかなことにもストレスを感じてしまう日常に埋没せず、今やるべきことをしっかり見据え、自分にできることを増やしたい。』と思うようになりました。

 最近は現場から離れてしまって、伝えることに現実味が無くなり、自分の協力隊経験もありきたりのことしか言えなくなってきていました。日本が以前から行ってきた人道援助の機会は数多くある、そして訓練を受けることもできてきた、それなのにいざチャンスがあっても飛び込めないのはなぜなのか、と自分に問いかけてもいました。今回行ってみて、国際社会で問題になっていることは何なのかを、自分の足を使って学んでくることは本当に必要だと改めて感じました。
 
 今回行くことができたのは、まずは職場、そして家族の理解や協力のおかげです。周りの環境に本当に感謝しています。私が行ったからすごい、のではなく、行かせてくれた環境がすごい、と。今後すぐに現場に行けるような医療従事者が増えていってほしい。そのためには、その彼らが躊躇せずに行くことができる環境を整えることも大切ではないでしょうか。」

これからネパールへ派遣される隊員や医療隊員へ

ボリビアでの協力隊時代

 「ネパールの人たちは一見とても明るく平気なように見えますが、深刻な問題はこれから起こるだろう、ということを覚悟してください。被災地では怪我が悪化したり、障害を持つ人が増える、または亡くなる方々が出てくるということ、観光収入が激減することなど、長期的な影響がじわじわと出てくるかと。でも、今こそ日本の細やかで行き届いた支援が発揮できる機会とも考えられます。ご自分の任地が被災地から離れていても、そこから避難してきた人たちも多いので、できることはあると思います。

 途上国に行った時の強みは、日本でふんだんにモノがある状況から飛び出して、不便な所で原則は基本を見つめなおし、そこからどうする?と、自分の応用力を試すことだと思います。災害現場も同じ。そこであるもので対応するしかないんです。今回、危険を感じたら知らせるようにと笛を持たされました。現地の子どもたちに「それなに?」と尋ねられ、「笛が聞こえたら君たちも逃げてね」と言うと、笑って「そうか。でも僕たちは指笛が吹けるよ」と。そこでハッと気づいたんです。私たちはなんて物質主義なんだろうかと。モノではなく知識を与えれば吸収してくれる力を彼らは持っている。瓦礫が山積みの中でも、黙々と日常的な役割をこなし、夕方にはトランプなどをして楽しんでいる姿も印象的でした。是非そんなネパールの人たちの底力を学んできてください。」

 

 今回の経験から伝えたいことがあふれているという宮越先生のお言葉は本当に熱く、そして重みのあるものでした。

 6/14(日)、宮越先生が現在訓練中のネパール派遣予定候補生に向けて今回の経験をお話しくださいます。一般の方もお聞きいただけます。ご参加希望の方は当日直接訓練所にお越しください。(予約の必要はありません)
 日時: 2015年6月14(日) 15:30−17:00 
 会場: 駒ヶ根青年海外協力隊訓練所(JICA駒ヶ根)内 講堂にて。