青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.7 ラピングトン良子さん

現在、駒ヶ根市にお住まいで、2児の母として育児に奮闘中のラピングトンさん。「陶磁器」というめずらしい職種での協力隊経験や、帰国後駒ヶ根市に移住されたきっかけ、現在、お子さんの通う野外保育園を通じて行っている様々な活動についてお伺いしました。

【写真】ラピングトン 良子 さん (旧姓:澤田)  (京都府京都市出身) 平成13年度1次隊 ザンビア派遣 職種:陶磁器
ラピングトン 良子 さん (旧姓:澤田)  (京都府京都市出身) 

高校時代から行ってみたかった協力隊

現地での指導風景

「高校から陶芸を学び、高校時代の先生が、陶磁器の隊員の知人からハガキをもらったのを見せてもらい、『ああ、こういうのがあるんだ!』と知って、行ってみたいと思いました。現地の人と共に活動しているところが魅力的でしたね。大学も陶芸科に所属し、卒業後は友人と一緒に、京都の工房で陶芸教室などをやっていました。
その後、3度目の受験でやっと合格。 二本松訓練所で訓練を受けました。家族はやはり心配していましたが、やると決めたらやるという性格なので反対は特にされませんでしたね。」

 「ザンビアでの配属先は首都からバスで一泊二日、500キロも離れた地で、高校を中退し、手に職がない若者を対象にしている職業訓練校で陶芸を教えました。水瓶をつくる文化があったので、生徒と水瓶をつくったり、観光客のお土産用にキャンドルポットやシュガーポット、七輪などを、生徒たちに考えてもらったデザインを使って作ったり。窯も生徒たちと一緒に作りました。」

アフリカで学んだ、人との距離と豊かさ

ザンビアで指導した生徒らの作品

「とにかくザンビアでは人と人との距離が近いんです。休日、家に押しかけられることもしょっちゅう。日本ではそのようなことはなかったので、人と本当に近い距離で向き合って生活したことは貴重な経験でした。また、断水や停電が何日も続くことが日常茶飯事。大変でしたが、日本と違い、アフリカではモノはないけれど、村の人々の心はとっても豊か。そのことに気付いたことは今でも大事にしています。
任期を半年延長して2年半の間、現地の人たちの優しさに助けられ、絆やふれあいの大切さを学ぶことができました。」

帰国後、駒ヶ根へ。

現地の子どもたちと

 帰国後、二本松訓練所時代の語学の恩師と結婚され、駒ヶ根に移住しました。その後長野県看護大学に入学し、看護師の資格を取られたらラピングトンさん。実はご自身のおばあさんが自宅で介護を受けていたこととアフリカでの経験がきっかけでした。「協力隊時代のザンビアでは、亡くなった人たちが自宅で大勢の人たちに看取られていた場面に多く出会いました。日本では最期はたいていは病院。自宅での孤独死なども。気持ちが満たされていないことが多いですね。貧しいと言われるアフリカですが、本当にそうなのかな、人の心の満たされ方が日本と全然違うなと。
日本の医療制度は整っていますが、介護が負担になり大変なものとしてとらえられています。ザンビアでは若くして死ぬ人も多く、毎日どこかでお葬式がありました。そんな中、ザンビアにいる間、常に生きることについて考えていました。HIVや乳幼児死亡の問題も身近であり、帰国後、医療の現場に携わってみたいと思ったんです。」

地域のこどもたちのために

11/29のチラシと「はらぺこ」のチラシ

 現在はお二人の子育てに奮闘中のラピングトンさんですが、お子さんらが通う保育園『はらぺこ』(伊那市)での活動に積極的に取り組んでいます。「野外保育園なので、山のぼり、畑仕事などが多いですね。ここではたくさんの大人たちがみんなで子どもを見ています。少し昔の日本では行われていたことですよね。アフリカでは両親がAIDSで亡くなった子を親戚が育てるのは当たり前でした。」

 「保育所は『子どもを預けて働くため』の場所ですが、『はらぺこ』はみんなで子どもを育てる場所。アフリカでの経験をあらためて思い出させてくれるところです。」 毎年『はらぺこ』では子育てについて地域の方々と考えるつどいをしていて、ラピングトンさんが担当しています。今年のつどいは、テーマが「こども・みらい・ふくしま」。講師は小児科医の山田真さん。(写真参照)福島の原発事故を忘れないように、という思いで企画したそうです。(11月29日(日)伊那市くぬぎの杜ホールにて)

 
 アフリカでの協力隊経験を、まさに日本の地域で還元しているラピングトンさん。物静かに優しい口調で語ってくれました。これからもこつこつと、強い意志を持ちながら、地域でこどもや医療に関わる活動を行ってくれることでしょう。