青年海外協力隊50周年記念特集  〜世界と地域を結ぶ。グローカルな協力隊員50名 リレーインタビュー 〜 vol.9 北原 有 さん

伊那谷を中心に、音楽家「笛師九兵衛」として、ご自身のオリジナルからくり楽器や様々な笛などで、主に子どもたち対象のコンサートを行ってご活躍中の北原有さん。協力隊での職種とは全く異なるお仕事を現在されている北原さんですが、そのルーツはやはり協力隊にあったようです。

【写真】北原 有 (きたはら ゆう) さん (駒ヶ根市出身、在住)平成1年度1次隊 ペルー派遣 職種: 農業土木
北原 有 (きたはら ゆう) さん (駒ヶ根市出身、在住)

身近にあった駒ヶ根訓練所と協力隊

駒ヶ根市出身なので、訓練所のおかげで協力隊はとても身近でしたね。学生のころから協力隊になりたくて、なることを前提に学校も土木科を、そして就職も選びました。卒業後4年間公務員として働いた後、応募しました。

ペルーで試行錯誤の2年間

北原さんが今も大切にしている当時のペルーの通貨。インフレのために、1ドルが約1,000,000インティとなった時のもの。

 応募時には国はどこでもいいと言いましたが、当初合格したのはケニア。でも直前になってペルーに変更となり、ちょっとうれしかったです。実は以前からペルーの音楽が大好きでペルーの笛を演奏していました。派遣中は現地の人とも一緒に演奏したりもしましたね。
 
 現地の仕事は農業用水路の設計・施工。以前から協力隊に行きたいという気持ちが強く、気負っていたからなのか、なかなかやりたいことを実現するまでには至りませんでした。また、当時のペルーは国としての体制が整っておらず、ものすごいインフレで、その率は2年間で1,000倍にもなっていました。そんな中、ペルーの役所で活動をしたのですが、物価がどんどん上昇し、同僚の役人たちは給料だけではやっていけない状態。自分だけががんばってもなかなかうまくいきませんでしたね。広い土地に灌漑用水路を作る計画があったのですが、テロや政情不安、インフラの中で四苦八苦していました。

何でも自分で作るペルーの生活

 ペルーでの生活はほとんどが人力・手作業。セメントも自分で砂利を混ぜて人の手で作ったり。モノがない中でどうやっていくのか、非常に勉強になりました。モノがなくったって結構生きていけるじゃないか、と。現地では何でも自分でやらなくちゃいけない。車のエンジンを取り外して自分で修理している人、部品を作っている人などもいましたね。日本の昭和20年〜30年代でやっていたことをそのままやっている感じ。自分の手やあたま、そして知恵を使うということを学びました。
 
 また、スペイン語は論理的で簡潔な言語なので、割り切って考えることができましたね。言わなくてはいけないことははっきりと言わなくてはいけない、ということを学びましたね。

帰国後、そして協力隊経験が「宝物」となった現在

「笛師九兵衛」として演奏時の北原さん

 現在、からくり楽器を作るのが仕事になっていますが、実はペルーで見た道端の音楽家がヒント。マンドリンを抱えてピックを持つ手でバチも持ち、口にはハーモニカ、足には太鼓をつけた大道芸人を見てとても新鮮な驚きを得ました。自分もそうなってみたいなと。ペルーで学んだことが現在の生活にも活きているんですね。

 帰国したての頃は、実は協力隊の経験が「苦労の種」でもありました。税金を使ったのに成果は出せなくて、と自分を責め、協力隊OBであることが重荷になったことも。でも20数年たった今、宝物ですね。自分の基礎となっています。