青年海外協力隊員(看護師)
梅澤 志穂 さん
駒ヶ根市出身の梅澤志穂さんは昨年10月、幼いころから憧れていた協力隊員として西アフリカ・ニジェールに赴任しました。しかし今年3月、現地の治安悪化により日本への退避を余儀なくされます。帰国した梅澤さんを待っていたのは、未曾有の巨大地震の被害に立ち向かう母国の厳しい現実でした。看護師の資格を持つ梅澤さんは、復興支援ボランティアとして宮城県東松島市で約1週間活動しました。ニジェール、そして被災地での経験をたずさえ、梅澤さんは新しい任地へと旅立ちます。
3月2日午後5時、梅澤さんの電話が鳴りました。治安の悪化により、活動中のニジェールから日本への退避を知らせるJICA事務所からの連絡でした。青年海外協力隊の看護師隊員として赴任して約5ヶ月。近隣住民や職場のスタッフとの信頼関係が生まれ、地域で行われている乳幼児健診や感染症の予防接種などを一通り観察し、独自の活動を提案しようと思っていた、その矢先のことでした。「まさか、という気持ちでした。すごい切なかった」と、当時の気持ちを振り返ります。
東日本を襲った巨大地震の発生を知ったのは、たまたま訪れた近くの協力隊員の家のテレビを通じてでした。「津波の様子や原発事故を見て、日本のこととは信じられなかった」と梅澤さん。「ニジェールの知り合い、みんなが心配してくれた。中には電話で身を案じてくれた方もいた」といいます。日本退避が間近に迫っており、被災地でのボランティア活動を検討する隊員の仲間も出始めました。
「自分も被災者の役に立ちたい」との思いを募らせた梅澤さんですが、一方で、大きな不安もありました。「災害現場での経験がない素人が行けば、ただ寝床を奪って食べ物を消費するだけではないか」。どうすればよいか考えあぐねていたとき、JICAから被災地でのボランティア募集の連絡がきました。要請内容は避難所の運営。「これなら役に立てるかもしれない」と、梅澤さんは即座に手を挙げました。
ニジェールからの退避の連絡を受けてからちょうど1ヵ月後の4月2日、梅澤さんは宮城県東松島市に向かいました。約400人の住民が避難している中学校で梅澤さんは、看護師の経験を活かし、同校の養護の先生と協力しながら被災者の健康相談を行ったり、感染症予防の観点から手洗い・うがい・マスク着用の徹底を呼びかける啓発ポスターを制作するなど、積極的に活動しました。刻々と変化する現場のニーズを見逃すまいと、「同じ目線で考えることを常に心掛けました」と梅澤さんは振り返ります。
「必要な支援をするために、相手の様子を目で見て把握することが大切です」。4月27日にJICA駒ヶ根で開かれた「東日本大震災の被災地でのボランティア活動を考える会」で、復興支援活動を報告した梅澤さんは、派遣前訓練中の青年海外協力隊員らを前に訴えました。「現場を巻き込み、効果的に活動する必要があります。期間が短ければなおさらです」。その言葉は聴講者にはもちろん、再び海外でのボランティア活動に向かおうとする自分自身に向けられていました。
半年に満たなかったニジェールでの活動、そして被災地でのボランティアを通じ、梅澤さんは勉強不足を痛感したといいます。「もっと役に立てる人材にならないといけない」。次の派遣国は東アフリカ・ウガンダに決まりました。要請されている内容は病院の業務改善です。幼いころからの“憧れの協力隊員”になった今、現地の住民に“頼りにされる協力隊員”を目指し、一日たりとも無駄にしないよう自己研鑽に励んでいます。
ニジェールで乳幼児健診の補助をする梅澤さん
ニジェールの配属先のスタッフと
JICA駒ヶ根で震災被災地でのボランティア活動の報告会