原発事故被害者の支援に取り組む

【画像】神谷 さだ子 さん

NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金 事務局長
神谷 さだ子 さん

12月10日、JICA駒ヶ根で「信州グローバルセミナー2011」が開催されました。この中で、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)事務局長の神谷さだ子さん(佐久市出身)は、「福島支援から考える」と題した報告を実施。約30人の参加者が熱心に耳を傾けました。

きっかけはボランティア

1986年のチョルノービリ原発事故から今年で26年。JCFは事故被災者への医療支援を目的に、1991年に設立されました。医療者ではない神谷さんがJCFと関わりをもったのは、団体設立から1年が経過したころ。大学でロシア文学を専攻していたこともあり、語学力をいかして団体のお手伝いができればと、ボランティア参加したことがきっかけでした。

当時、白血病治療の研修で、ベラルーシの若い医師が信州大学に来ていました。彼は母国のため熱心に学んでいましたが、神谷さんとロシア語で語るとき、率直な思いを口にしました。それは、日本の先進医療を設備が整わない母国でいかすことができるかといった不安や、こうしている間にも命を落とす子どもがいるという事実への無力感でした。神谷さんは落ち込む彼に当たり障りのない言葉しかかけられず、気持ちに寄り添うことができなかったといいます。このもどかしさが、神谷さんをより一層、JCFの活動にまい進させる原動力になりました。

チョルノービリから福島へ

JCFは21年の活動の中で、95回の医療訪問団の派遣、12回のスタディツアーを行ない、医薬品、医療機器の供与や現地の医師の研修などを行なってきました。神谷さんは、ほとんどの訪問団に同行し、通訳、支援計画の策定、資金調達を担ってきました。そんなある日、プロジェクトの中間評価でベラルーシを訪れた際、神谷さんは信大で学んでいたあの医師と再会します。彼は3冊の大学ノートを取り出しました。困った時、悩んだ時は、いつも日本で学んだこのノートを見ると、彼から伝えられた神谷さん。「あの時の無力感が報いられる嬉しさを感じた」といいます。

2011年3月に起きた福島第一原発事故。大きな衝撃を受けながらも、神谷さんは国内の課題に立ち向かっています。現地に足を運び、放射能のリスクが高いとされる、妊婦・乳幼児・子どもたちを守るため、被ばくの予防の呼びかけや、線量計の配布などを行なっています。チョルノービリ支援を通じて培われた事故後の対応や、医師とのネットワークは、活動を支える大きな基盤となっています。

意見交換することの重要性

信州グローバルセミナーでは、神谷さんの活動報告後、参加者がグループごとに原発事故の課題を議論しました。高校生から一般までの方々が、福島のことを自分のこととして考え、発言する場は、神谷さんにとっても新鮮でした。「皆で声をあげて、意見交換する重要性を感じました。今後もあのような場を数多く作っていきたい」といいます。

チョルノービリを通して経験してきたこと、考えてきたことが、神谷さんにとって、今の日本を考えるうえで大きな学びになっています。「この大変なリスクを、前向きなものに変えていかなければならない。それが私たち大人の責任です」。この発言には原発問題にたずさわってきた神谷さんだからこその強い決意がにじみ出ていました。

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ベラルーシ首都の小児血液センター。日本から臍帯血輸送をしたとき

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福島県飯舘村。積算線量計を一カ月ごとに交換し、生活スタイルについてアドバイスを行う

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信州グローバルセミナーで活動報告する神谷さん