世界とつながるサッカーの力

【写真】下田 功(しもだ いさお)さんギラヴァンツ北九州 ホームタウン推進本部 副本部長兼普及部長
下田 功(しもだ いさお)さん

今回の「人」明日へのストーリーは、北九州市に本拠地を置くJ2サッカーチーム「ギラヴァンツ北九州」で働かれる下田さんです。
1985年にコスタリカに青年海外協力隊の体育隊員として派遣され、その後シニアボランティアとして再度コスタリカで活動されました。
連載にて掲載予定で、第一弾はコスタリカ青年海外協力隊編をお送りします。

なぜ青年海外協力隊の体育隊員に参加されたのですか?

大学を卒業した後に学校の先生になろうと思っていました。ただ、教育実習に行った際に疑問を感じたのです。漠然と自分は学校の先生に本当になりたくてなるのかと考えていました。そんな時、偶然にも総武線で協力隊のポスターを発見しました。元々いつかは海外に行きたいという思いもあり、2年間海外で生活でき、生活費も支給されることを知り、これはすばらしい制度だと思いました。早速千駄ヶ谷で説明会を受け、即決し応募しました。

なぜコスタリカを選ばれたのですか?

実はモロッコを希望していたんです。協力隊はアフリカに行くと思い込んでいました。そうであれば映画「カサブランカ」で知っているモロッコだろうと思い選びました(笑)。ただ、いざ合格通知をみたらコスタリカと書いてありました。コスタリカってどこだ?となり、アフリカの地図を探しても見つからなかったのでJICAに電話で確認し、それで初めて中南米だと知ったのです(笑)。

現地でどのような活動を行ったのですか?

「トレーニング科学普及員」として派遣されました。要するコスタリカのスポーツ選手に対して、日本のトレーニング科学を駆使し、理論を伝えて能力を向上するのが目的でした。
ただ、実際に派遣先の文化青年スポーツ省スポーツ局に行ってみたら、いきなり「体育の教科書をつくるプロジェクトに参加してくれ」といわれてしまいました。
ただ、私はその為に来たのではないので最初は断ったんですよ。
結局ですね、当時、コスタリカ大学に柔道隊員がいたので、まずそこに行くことになり、柔道の為のトレーニング法を、日本の教科書や雑誌から勉強し、スペイン語に翻訳し、一つの教科書のような冊子を作りました。
また、大学にはボロボロですが、トレーニング場もあったので、作った冊子の実践活動も始めることにしました。

現地で活動していくうえで苦労したことを教えてください。

2か月ほどトレーニング場で活動をしていたら、ここに出入りをしていた、体育学部の教授から「55時間分のカリキュラムを作ってくれ。そうしたら体育学専攻の学生と有志の教員20名を集める」といわれました。
赴任してまだ2か月目で、スペイン語で質問されても十分に答えられない状態で、自分にとっては一大決心でした。でもやってやろうと思いました。
早速、週2回、講義・実技を1時間ずつ、主にウェイトトレーニングについて、理論と実践を踏まえた授業を開始しました。
当時フィットネスブームもあったせいか、興味を持ってくれる参加者がかなり出てきて、拙いスペイン語でもなんとか進めることができました。でもスペイン語への翻訳など準備がかなり大変でよく徹夜で準備していましたね。

赴任から2か月で一気に現地に溶け込んでいますね。現地での思い出に残る出会いを教えてください。

そうですね、さらに活動が3か月ほど経過した後、ここでの臨時講師としての活動を評価してもらい、隣にあるナショナル大学から正式に講師として依頼をいただくことができ、すぐに快諾しました(笑)。
ここにですね、デポルティーポ・サプリサというプロサッカーチームの20歳以下(以下U-20)のチームの監督が、学生として在籍していたんですよ。
ある日この学生から「この講義はサッカーに役に立つのか?」と聞かれました。私自身が大学までサッカーをやっていたこともあり、自信を持って「当然、役に立つ」と答えたんです。
そしたら、早速この学生にデポルティーポ・サプリサの練習場に連れて行かれて「ここの若い選手の体を強化するために何が必要だ?」と聞かれたわけです。
私が必要機材を伝えたら、このチームはたった1週間でそれを揃えてきました。そこからですね、このチームの体力トレーニングを担当させてもらうことになり、若手選手の肉体改造の強化プログラムを行うことになりました。

人との出会いをきっかけにし、自ら状況を切り開いていますね。ここでの活動で特に達成感を感じたことはなんですか?

そうですね。まずは、デポルティーポ・サプリサでの活動開始の半年後に、国内の大会で優勝を経験することができたのはとてもうれしかったですね。
そしてその後、ここでの活動を評価していただき、U-20コスタリカ代表のチームコンディショングコーチとしてお誘いをいただいたのです。
ただ、当時の新聞には「なぜ日本人なのだ?」と懐疑的な内容が掲載されるなど、あまり歓迎はされていなかったようです。
そんな中、ここから2年間にわたるU-20コスタリカ代表のコンディショングコーチとしての活動を開始しました。
コスタリカサッカー界に初めて本格的なウェイトトレーニングの要素を取り入れ、1年が経ったころには、選手の平均体重も5kgほど増えました。ただ、この手法には依然批判がありました。
そんな中、U-20代表のワールドカップ出場をかけ、中米北米カリブ大会決勝ラウンドがグアテマラで始まりました。
これまでコスタリカは周辺国から身体能力で劣っていることもあり、世界大会の出場経験もありませんでした。しかし、この大会ではアメリカやカナダ、ジャマイカなどを押しのけ、なんと決勝まで勝ち上がりました。そして決勝ではこの地域一の強豪国メキシコに勝ち、初優勝を達成し、念願のU-20ワールドカップの出場権を手に入れました。
コスタリカの空港に到着すると2万人を超える人だかりができていました。
当時27歳でしたので、まさかこの年でこんな体験ができるとは思ってもいませんでしたが、このようにして、コスタリカでの青年海外協力隊での活動は終了しました。

続く。 

次回は帰国後のシニアボランティアとして再度コスタリカに戻ってきた活動にスポットをあてます!!