父の想いを受け継いで

【写真】 黒岩 春地(くろいわ はるじ)さん元佐賀県国際・観光部 部長
黒岩 春地(くろいわ はるじ)さん

2016年度最初の『「人」明日へのストーリー』で紹介するのは、佐賀県においてJICAボランティア事業に多大なるご貢献をいただいた黒岩春地さんを紹介します。

【黒岩さんのご紹介】
2016年3月まで佐賀県庁 国際・観光部の部長としてご活躍。
佐賀県職員採用試験(U・Iターン型民間企業等職務経験者)にJICAボランティア経験者枠の創設にご尽力され、2012年度より2016年5月現在まで7名のJICAボランティア経験者が佐賀県庁に入庁。
また、「JICAボランティア事業の方向性にかかる懇談会」のメンバーとしてもご活躍。
ご自身も定年退職を機に、シニア海外ボランティアに応募し見事、合格。
2016年9月より中南米のセントルシア国へ派遣予定。

JICAボランティア事業に対し、多大なるご支援をいただいていますが、そもそもJICAボランティアを知ったきっかけはどういうものだったのでしょうか?また、黒岩さんにとってJICAボランティアはどう映ったのでしょうか?

【画像】私は平成2年から平成5年までの4年間、佐賀県国際交流課の初代の係長だったんです。
また、私の父がインドネシア、フィリピン、タイで10年ほど、資源開発分野のJICAの専門家(プロジェクトリーダー)をやっていたんです。
ですから、JICAボランティアのことは、かなり前から知っていました。
また、そういう立場でしたからJICAの関係者や青年海外協力隊の経験者の方にいろんなところで接する機会がありましたが、その方々の話を聞くたびにいつも「話しが面白くて、この人たちは語るもの(経験)がある」と思っておりました。

佐賀県庁の社会人採用ボランティア枠を創設するに至った経緯を教えてください。

県庁職員も昔は「佐賀県職員」という看板だけで信頼されていましたが、今はそういう時代ではなく、県民の皆さんに納得して頂けるような仕事ができ、なおかつ信頼関係が結べるかどうかが、県庁のすべての仕事において求められる時代になっているんですね。
青年海外協力隊の経験者ならば派遣された国で、どんなにつらい仕事でも逃げずに向き合い、住民の方と信頼関係を結ぼうと頑張った経験があるので、それを佐賀県で是非、生かして欲しいと思いました。
そんなところから、経営支援本部(現在は総務部)の本部長だった時に人事委員会に「とにかく一人でもいいから青年海外協力隊の経験者を採用したい」と働きかけて採用枠を創ってもらいました。
当初より採用者数は「おおむね1名」としているので、当然、合格レベルに達していなければ採用できないのですが、初年度に採用された細山田さんを筆頭に、毎年、採用されており、昨年度と本年度は2名ずつ採用されています。

実際にJICAボランティア経験者を採用してみてどうでしょうか?

【画像】採用して私は「すごく良かった」と思っています。よく頑張ってくれているし期待通りですね。
ただ、県庁の仕事は最後の砦の様なもので、前に言った事と今言っている事が違う事をとても嫌う世界なんです。
ですから法律とか条例とかをしっかり理解して脇を固め、ある意味守りに入る仕事の仕方が大事なのですが、青年海外協力隊経験者は前に突っ込んでいくところがあり、まだまだ、脇を固めるといった面では弱いと思います。
けれど、良い面がその弱い面も凌駕しているので、この先、もっと頑張って欲しいと期待してます。
私は人事担当者に「青年海外協力隊経験者の最初の配属先は国際関連の分野には配属しないように」と指示したんです。
それはまず、県庁マン・県庁ウーマンとして地道なしっかりとした仕事を身に着けてもらい、それから今までの経験を活かせる分野で活躍して欲しいと思ったからです。
ただ、将来的には、国際関連の部署で活躍して欲しいですね。

ご自身もシニア海外ボランティアへ応募されましたが、きっかけは何だったのでしょうか?また、合格した今、どのようなお気持ちで日々お過ごししていますでしょうか?

現在、猛勉強中という点字カードをご説明頂く。

前々から県庁を退職したら国際協力の世界で頑張りたいと考えておりました。
それは父がJICAの専門家をやっていたことの影響もありますね。
父が情熱を傾けた国際協力の世界を退職後の第2の人生で自分も引き継ぎたいと思い、シニア海外ボランティアを受けて、無事に合格しました。
中南米のセントルシアに「コミュニティ開発」ということで視覚障害者の自立支援をお手伝いする活動と聞いております。
現在は盲学校や点字図書館などに行って、いろいろ勉強して準備していますが、非常にワクワクしております。

お父様の情熱を引き継ぎたいと思われたきっかけは何ですか?

タイ国の食事会にて。左一番手前の方が「Same face!」といって抱き着いて来られた方とのこと。

父の最後のタイでの仕事が25年くらい前だと思いますが、当時、父は中小企業の技術開発センターみたいな人材育成の訓練施設を立ち上げた時のプロジェクトリーダーだったんです。
実は2年程前、国際・観光部長になった時に佐賀県のプロモーションをタイでやったので私もタイに行きました。
私の父は一昨年の8月に他界したのですが、そのタイに行ったのが父が他界してから一か月後の9月だったということもあり、なんとなく父のことを思っていて、せっかくだから、父が立ち上げたセンターを探してみようと、JICAのタイ事務所を訪ねたんですね。
そこで「ひょっとしたらあそこかもしれない」という所を教えて貰い行ってみたんです。
その時は16時を過ぎていたのですがタイの国の施設は16時に閉まるので人影もなく静かでした。けれど中に一人だけいたので、その人に「ここはJICAが関係している施設か?」と聞いたら「そうだ」と言うので、「Dr黒岩を知らないか?」と聞いてみたんです。「もちろん知っている」と言うので、同行したJICAの調整員の方が「彼はDr黒岩の息子だ」と紹介してくれたんです。そしたら「Same Face!(同じ顔)」と言って喜び抱きついてきました。
なんと、そこはまさに探していた父が立ち上げた施設で、なおかつ当時、父と一緒に働いていた人に偶然、出会えたんですね。
その後、施設の中に招き入れてくれて、机の上にアルバムが置いてあったんですが、それを見たら父が写真に写っていました。そのタイの方との出会いは本当に驚きでした。
翌年に再度、仕事でタイを訪れたのですが、そのタイの方が25年前に父と一緒に働いた当時の現地の人たちに連絡を取ってくれたり、JICAの調整員の方もご尽力下さり、私の為に食事会をバンコクでやって下さったのです。
このことは本当にうれしかったですね。
父がタイのJICA事業に携わってから25年以上が経っていますが、その当時の父のレポートを読むと「現地の人と同じ目線で!」ということが、たびたび書かれています。
上からの目線で接するのではなく、同じ目線で現地の人と一緒になってやっていたからこそ、25年を経ても息子でしかない私を大歓迎してくれたのだと思います。
私もセントルシアに派遣されるにあたり「父の想いを引き継がなければならない!」と強く思っております。

【編集後記】
実はお嬢様も今年、青年海外協力隊に合格され「青少年活動」の分野でラオスに派遣されていています。
親子3代でJICAの国際協力に係わることになる黒岩氏が期待に胸を膨らませておられるお姿が印象的でした。