「未来からの使者」のために行う国際交流

【写真】竹崎一成さん熊本県葦北郡芦北町 町長
竹崎一成さん

今回の『「人」明日へのストーリー』は熊本県南部に位置する芦北町々長の竹崎一成さんのインタビュー記事です。
竹崎町長は平成6年に町長に就任後、今日まで「青少年を中心にした国際教育」や「「カンボジア学校建設募金活動」等、様々な「国際化・国際交流事業」を町の重要な柱となる政策として取り組んでいらっしゃいます。
また、平成12年6月に青年海外協力隊の派遣条例を制定後、現職参加制度を利用して3名の芦北町の職員が青年海外協力に参加しています。

【竹崎町長プロフィール】※「崎」のつくりは「大」ではなく正しくは「立」
昭和22年3月21日生まれ。芦北町出身。福岡大学法学部卒業後、会社員、芦北町議会議員を経て、平成6年に旧芦北町長。
平成17年に合併して誕生した新芦北町の初代町長に就任し、現在に至る。また熊本県町村会副会長および全国山村振興連盟会長代行を務める。
空手道2段、柔道5段のほか、クレー射撃の指導資格を持ち、週1回は水泳にも通う。そのほかマンドリン、クラシックギターの演奏のほか、書道をたしなむなど文化にも広く親しむ。

芦北町が現在のように国際交流事業に力を入れるきっかけを教えてください。

【画像】私は平成6年の12月に町長に就任致しまして「農林漁業や商工業の振興」あるいは「福祉や教育」そして「スポーツと文化の振興」といった、大きな柱となる各種の政策を打ち出しました。
その中に「国際化の時代にふさわしい人材の養成」というものがありましたので、「国際化や国際交流」に関する書籍を数多く読みましたが、今一つピンとこなかったのです。
ですから「わが町にとって、国際化や国際交流は如何にあるべきか?」という事を、いろいろな分野でご活躍されている方に集まって頂いて諮問的な立場で提言を行ってもらう「芦北町国際化・国際交流検討委員会」を発足させました。
その委員会から平成8年の7月に「芦北町の国際化・国際交流に関する答申書」を出してもらったのですが、そこには「先進諸国を知ること」と「発展途上国を知ること」という2つの軸がありました。そして「次の時代を担う青少年を中心に国際教育を行うべきである」ということが書いてありました。
この答申書を元にして現在まで国際化・国際交流事業を続けております。

答申書を元に実際にはどのような事からスタートしたのでしょうか?

芦北町は世界中から訪問者を受け入れており、大きな世界地図には町と関わりがあった各国との情報が記載されています。

まずは先進諸国を知るためにイギリスから学ぼうということになりました。
これは明治維新以来、日本が導入した「議会制民主主義」など、いろいろな面でイギリスから学んだ事が多かった事と、何よりも英語の母国であるということが理由でした。
初めは青少年を育てる学校の先生、そして役場の職員、国際交流協会の会員を中心にイギリスへ派遣しました。
この「英国派遣事業」は平成8年から今日まで17回行い、3年前の平成25年度からは対象を中高校生にシフトして派遣しております。
また、他の自治体では英語の試験を行って派遣する人を選抜していますが、芦北町ではたとえ英語が使えなくてもいいんです。
それは現地に行って「英語を勉強しなければ!」と英語を学ぶ必要性を感じて帰ってくるからです。
その方がはるかに刺激になって学習意欲が出てきます。派遣する期間は8日間と短いですが刺激を受けるには十分ですね。
次に開発途上国を知るために、始めはマレーシアに中高生派遣を致して、現地で活動する青年海外協力隊の隊員から活動報告なども聞かせて頂きました。
話しを聞いて子供たちが「日本からこんなところまで来て頑張っているのだ!」と目から鱗が落ちたようになっていましたね。訪問したのは都心部ではなく田舎の方だったのですが、子供達をそこに泊まらせたんです。
泣いた子もいました。お風呂も入れない、英語も通じない様なところに滞在する事で「自分が豊かな生活の中でどっぷり浸かって甘えていたな」と感じて「もっと親孝行しないといけない」とか「古いものや伝統を大事にしないといけない」と学んでくれました。

芦北町は平成12年6月に青年海外協力隊の派遣条例を制定後、現職参加制度を利用して3名の職員の方が青年海外協力に参加していますが、条例制定の背景を教えてください。

「(一社)協力隊を育てる会」の方から、青年海外協力隊から帰国した後に派遣前に働いていた会社に戻るのは難しく、就職先を新しく探さなければならないと聞き「せっかくの人材がもったいない」と思いました。
協力隊で海外に派遣され、尊い経験をし、他国の為に尽くし、日本を想う心も育まれていると思います。
ですから「まずは隗より始めよ」ということで我が町からやろうと「青年海外協力隊の派遣条例」を制定することになりました。
その当時、熊本県では熊本県庁と熊本市だけが同じく「青年海外協力隊の派遣条例」を制定していました。
ただ、他の県も含めて自治体から協力隊に実際に現職参加制度を使って派遣しているかどうか調査したところ、ほぼゼロでした。
ですから芦北町では形骸化させず、身のあるものにしようという事で、町役場の朝礼などでも私が呼びかけました。
その結果、複数名が手を上げてくれて現在まで3名が派遣されました。
そして、今現在も「協力隊に参加したい!」ということで私のところに申し出てくれた職員がいます。

協力隊に参加した隊員が帰国後に職場に復帰することで芦北町にどの様な影響がありましたでしょうか?

【画像】元々、本人達がそういう資質は持っていたのかもしれませんが、熱意と情熱、さらに柔軟性を持って積極的に住民の目線に立った考え方で仕事に取り組んでいますね。
それは協力隊では派遣された先で現地の人の目線で活動を行わないと先に進まないと思います。ですからそれをしっかりと学んで帰ってきます。私も若い頃に諸外国を訪問して学んだ経験がありますが、帰国後に「我が国はどうあるべきか?そして我が町はどうあるべきか?」ということを考えるようになりました。協力隊から帰ってきて、彼らも同じ事を考えると思います。また、各学校や公民館で出前講座を行い、スライドを見せながら活動経験を話していますので、町民にも国際理解が深まっています。

芦北町はその他にも国際化・国際交流事業の取り組みを行っているとお聞きしていますが具体的にどのようなことを行っていますか?

芦北町ではその他にも外国人を積極的に受け入れるなど様々な国際交流事業を行っています。「芦北町の国際化・国際交流に関する答申書」に基づき、平成8年12月に「国際交流友の会」というのが設立され平成10年には「芦北町国際交流協会」になりました。名称を変更するときに行った会員総会の中で「せっかく集まっているので、具体的に何かをしよう」ということで提案されたのが、カンボジアに学校を贈る「カンボジア学校建設募金活動」です。
これは「芦北町国際化・国際交流検討委員会」にも参加しておられた会員の方が「3年B組金八先生」の脚本家である小山内美江子先生と旧知の仲だったのですが、総会を行っている席上から小山内先生に「先生はカンボジアに学校を送る活動をなさっていますが、我々でもそれをやろうと思うので協力して頂けませんか」と電話したんですね。そしたら小山内先生も「協力しますよ!」とお返事いただきましたのでこの活動を行うことにしました。
当時、芦北町で一番大きな佐敷小学校の校長先生が国際交流協会の会長でしたので、小学校の「国際理解教育」の授業でカンボジアに学校が不足しているという話をしたところ児童たちが「自分たちに出来る国際協力を取り組みます」と言って、子供たちの提案で各教室をお店のブースにして家庭から持ち寄った不用品販売のバザーを行い、カンボジア学校建設募金に貢献してくれました。
また山手にある大野小学校ではお米を田植えから刈り取りまで地元の人達と一緒になって行い、出来たお米を「芦北町国際交流まつり」で販売するんです。値段は市場価格よりも少し高いのですが、みなさん喜んで買ってくれて完売します。その売上げを募金に充てています。
その他、内野小学校では「内野っ子まつり」というのがあって、そこでカンボジアに学校を作るための募金を行っています。
そのような形で他の小中学校にも広がっていきましたが、学校だけではなく、個人の方でも募金に協力して頂いております。
例えば、竹で作った貯金箱のことを「たかんぽ」というのですが、ある年長者の女性の方が「たかんぽ貯金」に500円玉をこつこつと何年もかけて貯めた20万円ほどを、町の広報誌でカンボジアに学校を贈る運動をしているのを知って、重いのにわざわざ役場まで持ってきて託してくれました。
また、ある方は自分の高校時代の恩師を偲んで冊子を作って同窓生に販売したのですが、その売上代金を全額寄付して頂きました。
その他にも佐敷小学校の6年生の児童が、道端で1万円札を拾い警察に届けましたが、半年後に落とし主が現れずに、その児童の元に戻ってきた1万円を家族と相談して「カンボジアの学校建設に使って欲しい」と寄付して頂きました。
それから、ある方は終戦後、外地から引き上げてきて、奥様と二人で農業を始めました。そして米を作ったり、芋を作ったりしながら、みかんも作ったのですが、これが今ではこの地域の特産品で日本一の産地になっている「甘夏みかん」なんです。お二人はお子様を立派に育てたあと、悠々自適で日本全国を旅してご馳走を食べていたそうなのですが、何ヶ月かしたら「ご馳走にも飽きた」ということで「残りの貯蓄からこの先の必要な生活費を引いて残った500万円を寄付します」と持ってこられました。その後、2003年の9月にその寄付を元に芦北町から3校目となりますが、この方のお名前が入った学校をカンボジアに贈りました。そのような素晴らしい話しが沢山あるのです。
今日まで全部で5校を「カンボジア学校建設募金活動」から贈りましたが、活動を始めた頃は370万円くらいで建設出来ていたのものが、昨年末に贈呈した5校目は700万円を越す費用が掛かりました。恐らく次に贈呈する際は1,000万円を越すだろうと言われています。ですから必要な建設費用が貯まる期間が長期化する懸念がありまして、子供たちが集めたり、町民から寄付を頂いたりしても形になるのは10年先になるのではという状況でした。それで一計を講じまして、ふるさと納税を芦北町も始めたのですが、納税の使い道として「カンボジアに学校を贈る運動」を入れております。
また、我々が現地を視察する時に欠かさないのがJICAのカンボジア事務所に行って現地で活動をしている隊員の方の講話を聴くことです。最初はマレーシアへ派遣していましたが、今は「カンボジアに学校を建てる」という明確な目標が出来ましたので、カンボジアに派遣しております。ちなみに第1回目に派遣された時に子供だった方が、大人になってその方にも子供が出来て「自分の子供にも国際感覚を養う取り組みを経験させたい」と言っていました。「次の時代を担う子供たちのために」と始めた事業が更に次の世代に受け継がれています。
国際教育事業というのは成果を出すのには時間がかかります。こつこつ進めてきて、今年は国際交流協会20周年になりますが、ここまで長続きするとは思っていませんでした。20年も続いているのは無理をせずに地道にやってきたということが大きいですね。
これからも子供達には視野を広く、懐を深くして先進国や開発途上国から学び、「我が日本はどうあるべきか」ということをしっかり考える事の出来る人に成長して欲しいと思います。

芦北町の今後の国際化についてビジョンを教えてください。

芦北町では塩を使った様々な製品が作られており特産品となっています。

これからもスタンスは変わりません。
より良い生活をするために人は働きますが、仕事をする目的はそれだけで果たしていいのでしょうか?
やはり次の時代を担う子供たちの為に「有形・無形を問わずに何を残せるか?」ということが大事な使命だと思うのです。
私たちが残したものを、受け取る子供たちは「未来からの使者」です。
そういう理念を持っていればおのずとやるべき政策は見えてきます。
これからも国際化・国際交流事業をはじめた20年前と変わらない姿勢で取り組んでいきたいですね。