株式会社都農ワイン 代表取締役社長
小畑 暁さん
2017年度最初の『「人」明日へのストーリー』で紹介するのは宮崎県にある「都農ワイン」の社長、小畑 暁さんです。青年海外協力隊OBの小畑さんは隊員時代の経験を活かしブラジルでのワイン造りを皮切りに現在では地域を盛り上げるワイナリーのトップとしてご活躍されています。
【プロフィール】
北海道生まれ。青年海外協力隊員として1985年から1988年まで食品加工の分野で南米のボリビアにて活動。帰国後は九州を拠点にする大手飲料メーカーでワイン醸造に携わり、この間にブラジルにも滞在する。都農ワイン入社後は工場長を経験したのち2016年より現職。
北海道にある大学で「食品の油脂」を研究していたのですが、隣の研究室の教授がケニアにある農業系の大学で食品関係のプロジェクトに携わっていました。その頃、青年海外協力隊員として同じ大学の先輩2人がそのプロジェクトの講師としてケニアで活動していましたが、その教授から「君もいかないか?」と声をかけられたので「いきます!」と答えたのです。ところが一年たっても募集がかからない状況でした。そこで各国から協力隊にきている他の要請を調べに行ったところ「食品加工や貯蔵」という分野にいくつか募集がありました。本来は分析が専門なのですが、加工や貯蔵なら自分にも出来る気がしたので、協力隊の試験に挑戦してみたところ合格しました。余談ですが協力隊の訓練が始まる直前まで大学で実験をやっていたので「事前学習」なんて全くやってなかったのです。ところが協力隊の訓練所で入れられた語学のクラスはスペイン語のトップクラスだったので苦労した思い出があります。
ボリビアの任地は首都からアマゾンに下っていく途中にある「ユンガス」というところで、私が住んでいたのは標高が500mの亜熱帯でした。北海道育ちなのでゴキブリも見たことがないのに、出てくる虫の数が半端じゃなく、派遣当初は精神的におかしくなりそうでした。ガラス窓がない日干し煉瓦の家でしたが、そのうち慣れてきて、いつのまにか昆虫採集が趣味になっていましたね。
現地には食品加工の要請で派遣されたのですが、行ってみるとほとんど仕事がありませんでしたので、新たに何かを始める必要がありました。そこはオレンジが採れる場所だったので「ジャムやママレード」を造ったらどうかと思ったのです。そして造ったジャムをお祭りなどの催しがあった時に出品していました。そしたらそれがたまたま国連職員の目にとまり、国連からも資金援助をして貰えることになりました。実はコカ(コカインやお茶の原料)の栽培をコーヒーに変えようという国連主導のプロジェクトがあったのですが、「ジャム造り」はそのプロジェクトの一部になりました。国連からは3万ドルの資金をもらい作業小屋を建てましたし、本当に充実した活動でした。そして2年の協力隊の任期が終わるころになると現地の人たちがJICAにあと1年、私の活動を伸ばして欲しいと要望してくれましたので通算3年間いました。
私の協力隊での活動は肩に力を入れずに自然体でしたので3年間やり遂げることが出来たと思いますし、本当にボリビアが大好きになりました。
醸造タンクの前で
ボリビアから帰国し職を探していた時に、九州にある大手飲料メーカーの海外事業部が協力隊を通してブラジルでワインを造る人員を募集しているのを知り、面接に行ったら即内定となりました。
入社当初、3か月の試用期間中にブラジルから日本にワインを輸出する過程の事前調査を行うためブラジルに派遣されたのですが、先に現地にいた日本人スタッフの一人が病気になって帰国してしまったので、代わりに半年間いました。現地の責任者からは「調査は一人でやるように」と言われたのですが、協力隊で培った経験を活かし必要な関係先を電話帳で調べたり、関係団体に連絡したりと知恵が湧いてきて、無事に一人でも調査ができました。帰国したら同僚から「あなたはどこでも生きていけるサバイバル社員だ」と言われましたね。誰の手も借りず調査をやることができたのはボリビアで培った協力隊の経験のおかげです。
その後、国内のワイナリーに派遣され、「立ち上げ」を経験したり、カリフォルニアの関連会社のワイナリーで研修したりしましたが、最終的にはブラジルで4年程ワイン造りに関わりました。ブラジルから帰国したのちは大分の飲料工場で品質管理を行う部署で働いていたのですが、ワイン醸造に対する情熱は冷めませんでした。
そんなときに「都農ワイン開業の為に技術者を探しているけど来ないか」と声をかけられ現在にいたります。
ボリビアの隊員時代
このワイナリーで地域開発的な発想があったのは協力隊の影響ですね。
例えば梅ワインやマンゴーワイン、リキュールなど普通の醸造家ならあまり造らないものも「俺たちのワインの技術をみせてやろう!」と喜んで取り組んできました。それは協力隊で培った視野の広さでワインの世界をみているからだと思います。
私は根本的なところではここでも協力隊をやっているような気がしているんです。
それはボリビアで「ジャムを作りたい」という小さな夢を共有する仲間を見つけることをやっていましたが、ここでも同じことをやっているからです。
地域の為や国の為ということではなく「自分の夢」が「地域の夢」につながるようにしたいですね。
好きな事、やりたい事と仕事のベクトルが同じだという事は幸せなことだなと思います。
都農ワインで販売しているグラッパ(ホワイトブランデー)
世界各国で親日家をつくっているのは間違いなく協力隊です!
協力隊の隊員は草の根の外交官みたいな立場だと思うのです。
また、私は協力隊時代の仲間が財産になっています。協力隊のネットワークは本当に強くて帰国後も随分助けてもらいました。例えばイタリアの蒸留酒である「グラッパ(ホワイトブランデー)」を都農ワインで造ったのですが、協力隊の同期が日本語教師でローマに住んでいて、いろいろ手助けしてくれました。
僕の人生は協力隊がなかったら考えられないです。これから参加する方には協力隊に行ったら好奇心を持って活動して欲しいですね。