塩作りのわ
渡辺 忠さん
今回の『「人」明日へのストーリー』で紹介するのは屋久島で塩作りを営んでいらっしゃる渡辺 忠(ワタナベ タダシ)さんです。
渡辺さんは青年海外協力隊員として西アフリカのコートジボワールとセネガルで活動された後、生まれ故郷である屋久島に戻り、塩作りの工房を始められました。
渡辺さんが作る塩は屋久島の名産品として知られています。
【プロフィール】
鹿児島県内で畜産技術を学んだ後、2002年4月より青年海外協力隊員として西アフリカのコートジボワールに家畜飼育の分野で派遣される。
同年10月、同国の政情不安により退避の為、一時帰国。その後、2003年4月より2005年3月まで、セネガルに任地変更となり派遣される。
帰国後は故郷の屋久島に戻り、塩作りの工房をつくり現在に至る。
はっきりとは忘れましたが、確か、小学生か中学生の時に開発途上国で活動する青年海外協力隊をテレビで観ました。
それがきっかけで、高校生の頃には「協力隊に参加したい!」と思っていました。
ですから高校を卒業後は協力隊に行くために鹿児島県畜産講習所(現:鹿児島県立農業大学校)という専門学校のようなところで畜産を学びました。
そして、その学校の卒業前に協力隊の試験を受けて合格しました。
協力隊員時代の渡辺さん
2002年4月からコートジボワールの農業普及所に派遣されて、主に養豚農家を巡回して指導する活動を行っていました。しかし、情勢が不安定になったので半年後の10月には一時帰国することになりました。
その後、情勢不安が解消されなかったので、2003年からはコートジボワールと同じ、西アフリカのセネガルに任地が変更となりました。
セネガルではコキ郡というところが任地で、3〜4箇所の女性が組織しているグループを巡回して野菜を栽培したり鶏を飼ったりしていました。
また、JICAから派遣された専門家の方が井戸を掘り、給水塔を建てていましたので、その水を使って、(といってもあまり多くは使えないのですが)現地の方と一緒にクワを持って畑を耕し、野菜を作ったりもしました。
自分達が作った畑に野菜が実って、あたり一面が緑色になった景色を観た時は本当に綺麗で嬉しかったですね。
私の協力隊での活動は子供のころに思い描いていたものとは少し異なっていましたが、協力隊に参加して本当によかったと思っています。
塩造りの様子
協力隊に参加する前に父親が1997年に塩の専売法が廃止になったこともあって、「友人と塩作りをやろうかな」と話していたのを聞いていました。
けれど、協力隊の活動を経て3年ぶりに屋久島に戻ってきたときに、まだ、塩作りは始まっていなかったので「じゃ私がやるか」という思いに至たりました。
工房を造る場所も親戚の土地があったので、そこを借りて、竹藪だったところを自分で開墾しました。
実際に塩を作るにあたっては、鹿児島県内のいろいろな塩工房を見学に行きましたが、南さつま市の坊津にある「坊津の華」に伺った際には1週間泊めて頂き、塩作りを教えて頂きました。
そこのご夫妻は本当に親切で「塩造りはいいよ!」と仰っていたのを思い出します。
また、種子島でも実は協力隊OBの関さんという方が塩作りをしていまして、そちらにも見学に行きました。
渡辺さんの作る塩は屋久島のお土産品として人気です!(販売されていると塩とクッキー)
作業は私一人で行うのですが、協力隊の経験があるので体を使うことに何も抵抗がないし、一人でもマイペースで仕事が出来るところは良いところだと思います。
特に綺麗な塩が出来た時は本当に嬉しいですね。
すぐ近くに、今は無くなってしまったのですが「つわのや」というホテルがあって、塩造りを始めた当初から応援して頂き、ここで採れた塩を使った「屋久島永田のクッキー」も出来ました。
観光客の方が沢山訪れている割には、実は屋久島産のお土産というのがあまり多くありません。
ですから、屋久島で採れた塩やクッキーが出来て、地元のみなさんからは「よかった!」というお声を頂きます。
その時に「少しは屋久島の役にたっているのかな」と思いますね。
現在は島内のホテルやお土産店での販売や電話、ホームページでも注文を受けています。
将来的には直売所を作りたいですね。
元青年海外協力隊員の奥様とご一緒に
私は協力隊の訓練所や任地で大切な友人が沢山できました。
ですから、これから協力隊に参加される方には日本人に限らず、かけがえのない仲間を是非、創ってほしいです!