(財)北九州国際技術協力協会 コースリーダー
上野 正勝(うえの まさかつ)さん
諸外国から受ける恩恵に匹敵する何らかのActionが必要です。それが国際貢献だと私は考えます」
開発途上国を対象に年間100コース以上の研修を実施するJICA九州。一つの研修コースを取り仕切り、研修員から「先生」と呼ばれるコースリーダーという人達がいる。(財)北九州国際技術協力協会(KITA)の上野正勝氏もその1人。「アルゼンチン製鉄業におけるクリーナープロダクション」のコースリーダーとしてアルゼンチン鉄鋼協会、アルゼンチンの鉄鋼企業から来る研修員の指導にあたる。上野氏は日本鋳鍛鋼(株)役員を退職後、JICAの研修事業に携わっている。九州発の鉄鋼技術の伝道師でもある上野氏。彼を動かすパワーの源は何か、彼が考える国際協力とは何か、そして彼が研修員に伝える「CP」とは一体何なのか。
約40年間、鉄鋼プロフェッショナルとして最前線で活躍してきた上野氏。日本鋳鍛鋼(株)の役員を退職する際、自らのキャリアの中で習得した技術を社会に還元できないか、考えていたという。職場の元上司から国際協力の伝道師、コースリーダーの仕事を紹介された時、自分の経験が世界で必要とされているのであれば、との想いから仕事を引き受けることにした。自らが長年かけて磨いてきた技術が社会で活用されないのはもったいない。国際協力の仕事に携わることに迷いはなかったという。
「人生というのはプラスマイナスゼロでなければいけません。世の中から恩をいただいた分だけ、世の中に何かを返す必要があると思います。このまま仕事を引退してしまっては、世の中にお世話になりっぱなしの状態で人生を終えてしまう。そう思ったのです。」
鉄鋼研究に熱中した学生時代。八幡製鉄(株)に就職することが強い希望だったという。大学院を卒業後、念願かなって八幡製鉄(株)(現:新日本製鐵(株))に入社し、鉄鋼材料の研究に従事した。その後、シームレス鋼管の開発・製造を経験した後、38歳のときに米国テキサス州ヒューストン事務所勤務となり、人生初の海外を経験した。宇宙開発(NASA)で有名なヒューストンは石油掘削技術のメッカでもある。石油掘削に使用されるシームレス鋼管を通じて石油メジャーとの交流をきっかけに資源問題や日本と海外のつながり(相互依存の世界)に強い関心を持つようになった。米国駐在時代、ニューヨークの国連本部前でたまたま見つけた一つのモニュメント。平和を希求するシンボルとしてのモニュメントが強く印象に残っているという。上野氏の平和(Peace)への追求はこの時点から始まっていた。
上野氏は現在、アルゼンチン向けに製鉄業におけるクリーナープロダクションを教えている。クリーナープロダクション(Cleaner Production)は頭文字2文字を取り、通称「CP」と呼ばれている。例えば製鉄所の各工程で発生するダスト・スラジという廃棄物をリサイクルし、環境に優しい製鉄業を実現する。人類が依存している地球に過度の負担をかけず、大切にしていく。これがCPの発想だ。
北九州は1901年に設立された八幡製鉄所を中心に発展した工業都市。1970年代、80年代にかけ、公害が深刻化し「七色の煙」に覆われたが、現在は地域が一体となって公害を乗り越え、環境モデル都市として世界各国に環境技術を発信している。製鉄業におけるクリーナープロダクションもまさに北九州の経験がつまった技術なのだ。
上野氏は言う。「日本は資源国でも農業国でもありません。つまり『地球からの供給(恵み)が極めて乏しい国』です。この条件下で約1.3億人の日本人が生きていくためには『少なくとも食料とエネルギー』は海外に求めなければなりません。それを入手するためには日本は外国に何かを売らねばなりませんが、売れるものは『人工物=工業製品』しかありませんから、日本は工業国でしか生きていけない国です。資源が無い工業国は、悲しいことに原料(入り口)から商品(出口)まで海外に依存しなければなりません。しかし一方的な依存では対等な関係での付き合いは出来ないし、ましてや永続的な友好関係などとうてい構築できません。対等な関係での付き合いを望むなら諸外国から受ける恩恵に匹敵する何らかのActionが必要で、それが“国際貢献”だと私は考えます。」
世界に依存する分、日本は世界に貢献する必要がある。その手段が国際協力であると考える上野氏。海外の研修員を指導する際に彼が持つ信念も聞いてみた。
「コースリーダーは日本の成功経験を押し付ける者であってはいけません。人類が直面する問題を海外の研修員と共に考え、お互いの文化・歴史を尊重する。その上で、問題の解決につながるヒントを私の経験から少しでも提供できればと思っています。」
上野氏がこれまでCP(Cleaner Production)を指導した研修員はインドネシア、アルゼンチンからの19人。彼らは日本でCPを学び、母国でCPの普及に尽力している。
上野氏が決まって研修員を連れていく場所がある。それは長崎原爆資料館だ。「日本の技術を学び、母国の発展に役立ててほしいのはもちろんのこと、同時に日本で来て学んで欲しいのは平和の大切さについてです。」と語る上野氏。戦争という経験を乗り越えて今の日本がある、日本人として平和の大切さを伝えたいという上野氏の強い想いがある。「CPは『Cleaner Production』であると同時に、『Creation of Peace(平和創造)』」上野氏は来日する研修員に必ずこのメッセージを伝えている。
8月6日、広島に原爆が投下された日。偶然にもこの日に最終日を迎えたアルゼンチンの研修では、研修員から日本の経験から得た成果が発表された。発表を締めくくった研修員のソレ氏は語った。
「私は日本でCP(Cleaner Production)について本当にたくさんの知識を得ました。CPをアルゼンチンに持ち帰り、環境に優しい鉄鋼技術を必ず広めていきます。そして、8月6日というこの日、最後に皆さんと1枚の写真を共有したいと思います。」
ソレ氏が長崎原爆資料館の出口で撮った1枚の写真。「No more War」と書かれたその絵からは「CP(Creation of Peace)がいかに大切か」というメッセージが強く放たれていた。
CP(Cleaner Production)とCP(Creation of Peace)。経験と知恵に基づく上野氏の想いは、確実にアルゼンチンの研修員に伝わっていた。
<プロフィール>
上野正勝(うえの・まさかつ)
宮崎県生まれ。大学院卒業後、新日本製鐵(株)に入社。研究所に配属され、鉄鋼技術の研究に当たった。ヒューストン事務所赴任、製造部門で品質設計・管理も経験し、研究部長を歴任後、日本鋳鍛鋼常務取締役に就任。平成18年に退職後、(財)北九州国際技術協力協会へ。
JICA九州 研修業務課 坂本圭
上野正勝さん
上野氏とアルゼンチン鉄鋼関係者
JICA九州で研修を受けるインドネシア研修員
ヒューストン駐在時代
今でも忘れられないという国連本部ビル前のモニュメント
アルゼンチンの製鉄所には廃棄物が蓄積している
八幡は近代製鉄発祥の地(北九州市)
上野氏が指導するアルゼンチン鉄鋼企業
上野氏が指導したインドネシア研修員との現地での再会
インドネシアの帰国研修員は現地で植林活動を普及する。上野氏の指導したCPは根付き始めている。
必ず研修員を連れて行く長崎平和記念像
上野氏が指導したアルゼンチン研修員
ソレ氏が発表した1枚の絵「No More War」