草の根技術協力事業(パートナー型)「地域園芸振興プロジェクト」 組織培養専門家
スバシュ・ライさん
今回の主役は、スバシュ・ライさんです。スバシュさんは、インド西ベンガル州カリンポン生まれの25歳。宮崎国際ボランティアセンターが実施する地域園芸振興プロジェクトのテクノロジーセンターのラボで、サイト内の宿舎に寝泊りしながら、組織培養の仕事に取り組む日々を送っています。
カリンポンは、ヒマラヤ山系の東端に位置する紅茶の産地ダージリンから、谷ひとつ隔てた尾根に広がる町です。急峻な傾斜地にびっしりと家が張り付くように並んでいます。水平移動は楽ですが、垂直方向の移動は一苦労。それでも周辺地域を含めると約30万人が暮らす中心地です。カリンポンは海抜1000m以上の高地に位置するので、気温はデリーと比べると10度以上低く、デリーやコルカタの人々の避暑地となっています。
スバシュさんと日本との出会いは、宮崎国際ボランティアセンター(代表杉本サクヨ氏)が彼のスポンサーになった頃まで遡ります。この奨学金のおかげで彼はガンディ・アシュラム小学校を卒業し、ドクター・グラハムズ・ホームズが運営する中学・高校を終え、大学に進学し生物学を専攻。その後、当該団体が運営するグリーンハウス事業で組織培養の専門家となり、2010年7月から10月まで研修のため来日しました。滞在先は宮崎国際ボランティアセンターの本部のある宮崎県宮崎市から北へ20km離れた新富町。ここで、彼は組織培養の技術を学んだそうです。
宮崎で、彼は生まれて初めて「海」を知り、研修の余暇はもっぱら海で釣りをして過ごしたそうです。そして、もう一つの初めての体験、それは地震です。カリンポンで地震に遭遇したことはなかったので、かなり怖い思いをしたと話していました。
それでも日本滞在は彼にとって楽しい思い出であることに変わりはなく、好きな日本食は焼肉、きのこ類、味噌汁、そして海の町ならではのSASHIMI!
カリンポンでの仕事は朝の会議に始まり、ラボでの作業、栽培、そして経理と多岐にわたりますが、“仕事は全部好き”というプロジェクトにはなくてはならない頼もしい存在です。彼の仕事に対する情熱は並々ならぬものがあり、研修を通じて新技術の普及を図りたいと、はにかみながらもきっぱりと言い切ります。JICAが供与した顕微鏡は彼の宝物だそうで、特にグラフティング(接木)技術の研鑽に力を入れています。「将来の計画は?」と聞くと、「成功を信じて、生産者組織団体の為に、協力的な社会で高品質の農産物を生産したい。」と静かな口調で答えてくれました。これから取り組みたいことは、ごぼう・アスパラガス・イチゴの栽培、そしてハーブ類の活用と夢は広がります。成功すれば、いずれも農家の収入向上をもたらすに違いないでしょう。
週末には、車で45分の実家に戻って、家族と過ごすそうです。家族は両親に祖母、大学生の妹と中学生の弟。もちろん両親は農業を営んでいます。実家に帰らないときはギターを弾いたり、スヌーカー(玉突きゲームの一種)に興じたり、同僚とピクニックに行ってバーベキューを楽しむことも。実は彼は隠れバイオリニストでもあります。ガンディ・アシュラム小学校やドクター・グラハムズ・ホームズの学生時代を通じて、バイオリン演奏を習得したそうです。これら貧困家庭の子女教育を行う学校では、集中力や忍耐力を養うために楽器の演奏を活用しています。彼は、カリンポンの学生たちのまとめ役として初来日の際、地元のジュニアオーケストラや合唱団との合同記念コンサートで大舞台に立ち話題になりました。母校であるガンディ・アシュラム小学校を訪問時には、照れながらもバイオリンの演奏を披露してくれました。その腕前を垣間見る(聴く?)恩恵に浴しました。
日本人は親切でもてなし上手、そして2回の来日で学んだ一番大切なことは、「時間厳守」、オンとオフのけじめ、と彼は真剣な眼差しで語ってくれました。最後に、日本そしてJICAへの感謝の言葉でインタビューを締めくくってくれました。
【インタビューを終えて】
大変真面目でシャイな若者ですが、仕事に対するひたむきな思いがひしひしと伝わってきました。杉本さんとの出会いは彼の人生を大きく変えるきっかけだったようです。そのおかげで、日本やJICAに対する感謝の念も深く、日本人であることをほんの少し誇りに思いました。
プロジェクトサイトでインタビューに答えるスバシュさん
カリンポン町並み
彼を実の息子同様に感じている杉本氏と
バイオリン演奏中のスバシュさん